第29話:温泉湯治と美味しい料理

文字数 1,561文字

 峯崎家でも、やるせない気持ちで元気なく過ごしていたが、春になって、河津桜を見に行き、少しずつ元気を取り戻た。5月から、峯崎悦郎は、毎月の様に秋葉原へでかけ、楽しんでいた。今年の夏は、地元の海で、家族4人で、海水浴に出かけた。小学生の和也は、運動神経が良く、平泳ぎ、クロールを覚えて、かなり長い距離を泳げるようになった。

 秋は、修善寺温泉に日帰りで行くこともあった。やがて秋風が吹き、12月を迎え、1996年を迎えた。1996年1月5日、社会党の村山富市首相が退陣を表明し、1月11日に、自民党の橋本龍太郎内閣が発足した。2月16日、菅直人厚相、薬害エイズ事件で血友病患者に直接謝罪。4月1日、国内初の商用検索サイト「Yahoo! JAPAN」がサービスを開始。

 同日、日本初のインターネット株取引「オンライントレード」大和証券が開始。峯崎悦郎が、国内初の商用検索サイト「Yahoo! JAPAN」がサービスを開始を聞いて、この会社が、1億円を超す会社になると頷いて、証券会社の担当者の道下さんに、ヤフーという会社が、新規公開株を3単位、買いたいので、わかり次第、できるだけ早めに情報を下さいと言った。

 すると道下さんが、ヤフーとは、変な名前やなーと言い、承知しましたさかい任せて下さいと語った。その後も温泉に行く位で旅行に出かけずに秋を迎え、年の瀬が過ぎ、1997年のを迎えた。1997年4月、証券会社の担当者の道下さんが、峯崎に電話をかけてきて、ヤフーと言う会社が上場を目指し公募株を依頼する証券会社を探してると言う未確認情報を得たと告げた。

 その後、1997年7月、ヤフーがに正式に株式市場に上場する事が決まったと連絡が入った。しかし、何か、プロの人達が、かなりの株数を買いたがっていて人気になるので3株は難しいかもしまへんと話した。ヤフーが上場したのは1997年11月4日。最も早い頃に3単位購入の意思表示を出した。しかし、その後、9月になっても人気が高く1単位のみだった。

 しかし10月下旬に同じ証券会社の顧客が、買う権利を放棄したため2単位を買える事になった。10月下旬に公募価格1単位70万円と決まり、2単位分の140万円を支払い、2株を購入できた。やがて、上場日1997年11月4日を迎え初値が200万円となった。公募価格の約3倍の価格で決まりひと安心した。

 その後、もう2株買いたいので安いところで買える様に担当の道下さんと話した。11月13日、8時半、電話が入り164万円の気配値が出ているが160万円で指値しておいた方が無難でしょうと言われ、同意して160万円で2株買い指値注文を入れた。すると、昼に、160万円で2株320万円で買えたと連絡が入った。

 その後、家族4人で12月初旬、修善寺温泉に1泊して、温泉でゆっくり疲れをとってきた。やがて1998年があけた。今年は、熱海の来宮神社に初詣でに出かけ、大きな、くすの木の幹の回りを回ってきた。家内安全と商売繁盛と息子の将来の成功を祈願してきた。翌月2月中旬の早咲きの桜と梅の花見に熱海梅園を散策して多くの写真を撮って来た。

 帰りに、熱海でも有名な金目鯛の煮付けの美味しい店に入り、ゆっくりと家族4人で大きな金目鯛2つを注文した。その金目鯛の味に舌鼓を打ち、奥さんのステファニーと母が、日本酒の熱燗を飲んで、桜色になって、上機嫌だった。

 その他に温泉饅頭を買い込んで、自宅に帰っていった。今年、秋葉原へ行った時、父が、NECパソコン、9800バリュースターを買いたいと秋葉原で店員に話すと和也も欲しいと言うので2台とプリンター1台を購入し自宅へ送ってもらった。その後、自宅で、NTTの「OCNエコノミー」を導入し、常時インターネットを使える様にした。
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