第1話:父の交通事故死、悦夫も昏睡状態と死亡保険?!

文字数 1,603文字

 父、峯崎夏彦は、沼津の漁師で、母の智子は、三島の農家出身で普通の家に育った。そして1950年に結婚して、実家が手狭になり沼津の鉄筋5階建て市営住宅3階、3DKに住んだ。父の夏彦は、雇われ漁師で、忙しい時期に漁に出かけた。1952年6月、長男の峯崎悦郎が、静岡県沼津で生まれた。1953年12月、長女の峯崎朋美が誕生した。

 漁のシーズンが終わるとトラック運転手として運送屋の手伝いをして、生計を立てていた。母は、近くの商店にアルバイトで夕方9時から17時まで働いていた。1965年、長男の悦郎が小学校を卒業し地元中学に入学した悦郎は、暗算が得意で、暗記力もあり、いわゆる地頭が良いため中学に入ってもトップクラスの成績で、市営住宅でも評判だった。

 そのため地元の名門高校、浜松東高校に合格して東京大学でもめざすのではないかと噂された。一方の長女、峯崎朋美は、ファッションや化粧が好きで、洋楽が好きで、家でもイヤホンで常に音楽を聴いていた。ビートルズ、アニマルズなどと、ポールモーリアなど美しいオーケストラ音楽も聞いていた。

 中学に入ると英語の勉強に一生懸命に打ち込んでいて、英語と国語が得意だった。しかし、成績はクラス50人中20番、前後で中の上と言った所だった。そこで商業高校をめざそうと考えていた。その後1970年、長女、朋美は、沼津商業高校に合格。翌年1971年、悦郎は、返済不要の日本育英会奨学金の試験にも合格。

 奨学金をもらい静岡大学経済学部に入学。1973年1月15日、早朝、朝7時、峯崎家に電話が入った。
「その電話を取った母が、しばらくして泣き出し、すぐ、悦郎が電話を代わった」
「すると静岡県警交通科からの朝5時に富士市の東名高速道路で玉突き事故が発生」
「峯崎夏彦さんが前後の大型トラックに挟まれ車が炎上して亡くなったと告げられた」

「それを聞いて、思わず、信じられないと大声で叫んだ」
「警察官が冷静な口調で、残念ながら本当の話ですと答えた」
「ご足労だと思いますが、富士警察署へお越し下さいと言われた」
「仕方ないので、今日、伺いますといった」

「その知らせを聞き、すぐに着替えて、東海道線で富士市に向かった」
「東海道線は通勤ラッシュが始まり、かなり混雑していた」
「電車の乗って15分位して、悦郎が気分が悪くなり倒れた」

「次の駅で下ろし駅員が担架で悦郎を事務所のソファーに寝かした」
「大丈夫な声をかけても、ピクリともしないので、救急車を呼んだ」
「そして聖霊富士病院に運ばれたが、なかなか意識が戻らなかった」
「その後、母が、父の所へ行き朋美さんが悦郎の病室で付き添った」

「15時頃に病院に母が来て朋美さんに父が死んだと伝えた」
「それを聞いた朋美さんが信じられないと涙を流した」
「医者が来て強烈なショックとストレスで倒れたのでしょうと告げた」
「心臓も問題なく動てるので1,2日で回復するではないかと説明した」

「しかし、呼びかけや刺激に反応しないのが気になると語った」
「夕方になり、母が、今後どうしようかと朋美さんと聞いた」
「父の交通事故の処理が大変だから自宅に母が帰ってもらい、朋美が兄の意識が戻るまでいる事にしようと告げた」
「翌日も先生の問いかけに悦郎の反応が全く見られなかった」

「ちょっと長引くかも知れませんから一度、自宅に帰られた方が良いかも知れません」
「先生が朋美にそう語り、電話番号を書いてと話した」
 そして、朋美が、自宅に電話して、先生から帰るよう言われたので、家に帰ると言い、翌日の昼過ぎに実家に帰って、休んだ。

 その翌日、父、峯崎夏彦さんが、挟まれて大型トラックの運送会社A社と、B社の社長が家に来て、保険金の話を母と話していた。夜になって、母が、A社と、B社で保険会社から1千万円ずつ送りますと話していたそうだ。それ以外に峯崎夏彦も死亡保険1千万円出て合計3千万円が入るとわかり驚いた。
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