4.3嬉野と歩田の画策

文字数 4,440文字

 エンタメエリアには視界の開けた展示場と壁で囲われた店舗のような展示場の二種類がある。そしてゴミ箱はその店舗と店舗の間に設置されていた。
 なぜこの場所にゴミ箱があるのか、これもやはり分からない。この館で過ごしていて、この場所でゴミが捨てたくなることはほとんどなかった。そうなるとこの場所のモチーフが分かってくる。展示場ではなく、どこかの大型ショッピングモールなのだろう。
 僕たちはゴミ箱の前に到着した。その大きさはちょうど二人の人間が快適に入れる程度だった。荷物は押し込めば入るだろう。
「いよいよだな」
 嬉野は緊張しているらしい。その緊張が自分にも伝搬(でんぱん)してくるようだった。僕は「うん」とだけ答えた。
 ゴミ箱の近くにはボタンがある。このボタンを押せばロボットがやってきてゴミ箱を回収する仕組みになっている。僕はゴミ箱のフタを開けてみた。箱の中身は空だった。それを確認したうえで、試しに回収のボタンを押してみた。
 通路の突き当りの壁が真っ二つに割れる。扉のようにスライドして、中からロボットが出てきた。目の前のゴミ箱を直線的な動きで運んでいき、来た扉へと消えていく。しばらく待つとロボットがゴミ箱を持って帰ってきた。同じ箱を持って戻ってきたのかは気になったけれど、今は関係ないだろう。とにかく欲しかった情報は得られたので問題はない。
 ロボットが去っていくと嬉野は「何したんだ?」と尋ねてきた。
「箱の中身がなんであっても運んでくれるのか調べた」
「なるほどな。つまり中身は関係ないってことか」
「恐らくね」
 そうと分かればさっそく僕たちはゴミ箱の中へと入ることにする。嬉野がゴミ箱の真ん中を向く形で入り「早く入れよ」と催促(さいそく)してきた。期待に満ちているところ申し訳ないけど、僕は「入る向きが逆」とだけ伝える。このまま入って狭い所で向かい合えば、文句の言い合いになるのは目に見えていた。
 嬉野が「ジョークだよ、ジョーク」と言って向きを変えた。それを見て、荷物を抱え、背中を合わせるようにしてゴミ箱へ入った。手を伸ばしてボタンを押す。ゴミ箱のフタを閉めた。フタの隙間から入ってくるわずかな光が視覚を与えてくれる。間もなくロボットがやってきて箱が揺れた。
 壁の向こう側に来られたのだろう。さっきまであった光が無くなり完全な暗闇となった。
 大きな装置を想像させる機械音が近づいてくるのが分かる。箱の中に入っている僕たちには為す術もない。じっと変化を待ち、息をひそめた。懐中電灯の電源に指をかけ、何が起きても対応できるように構える。
 機械音の正体はクレーンのようなものらしい。箱が掴まれたようで、地面を離れ、不安定に揺れる。この先どうなるのかは分からない。宙を移動して、箱から放り出された。
 人が来ることを想定していないのだから明かりはなくて当然だ。すぐさま懐中電灯を点け、辺りを照らしてみる。同時に強烈な光に目が眩んだ。嬉野の持つ懐中電灯が原因だった。こちらを向けて点けたらしい。手で遮って、再び辺りを探った。
「これは……」
「ベルトコンベアってやつか」 
 摩擦と弾力のある帯がどこまでも続いていた。モーター音が聞こえてきて、ベルトコンベアが進みだした。それに伴って僕たちは運ばれていく。長い旅程になることを予感させた。
 僕たちは懐中電灯で辺りを探りながらただただ運ばれた。
 警戒心というのはゆりかごのように一定のリズムかつ風景が変わらなければ薄らいでくるらしい。途中から雑談が始まり、さらにそれが安心感を加速させ、すっかりと気の抜けた会話となった。
「歩田はここを出たらどうするんだ?」
「うちに帰るだけだけど」
「それはそうだ。家はそのためにあるものだからな。そうじゃなくて、ここから出てやりたいこととかないのか?」
「やりたいこと、か」
 この館を出て僕がしたいこと、それを考えて即答できなかった場合、本当にやりたいことなんて無いと解釈しても差し支えないのだろう。もちろん考えることで深い答えが出てくることもある。しかしそれは選択肢を厳選した結果、際立って光る結論であって、そもそも選択肢が無いのだから、何もないところから答えを出してくるのは戯言だった。
 考えなければ思いつかないことに価値はあまりないように思う。一応考えるふりはしたけれど。
「店で売ってる弁当が食べたいかな」
 嬉野は吹き出した。
「それぐらいこの館でもできただろ。わざわざ外に出てすることでもない」
「だからこそだと思う。僕たちは館で制限のない生活が与えられてきたから、常に物欲は満たされてきたんだ。そうすることで欠乏してくるのは何か。社会的な欲求が足りなくなるんだと思う。僕たちが館を出たとき、まず先に求めるのは社会的な立場じゃないかな。そういった意味では大学に戻りたいかな。弁当も現実を思い出すのに良いと思ったんだけど。あれは健康的とは言えないから」
 嬉野は「なるほどな」と独り言つ。
「社会的な立場か。歩田らしい考えだな。お前ってほんと興味関心が極端に薄いから。いや、薄いって表現は語弊があるか。関心はあるが、表に出てこない。例えば、編み物をやらせてみるんだ。すると説明も無しに何かを編み始める」
「それはやったことがあるから」
「そうだ、やったとことがあるからできる。当たり前だな。ただ、お前の場合は何をやらせてもやったことがあるんだ」
「たまたまだと思うけど」
「たまたまね。たまたまか。そうかもしれない。ここで言いたいのは関心が無いようでいて、意外と関心があるってことだ。ん? いや、違うか。いつの間に逆転したんだ? 話がおかしな方に行ったな。そうじゃなくてだな、なんだ、要するにだ、お前は関心が極端すぎるんだ。極端に関心があって、極端に関心がない。ここで強調したいのは関心が無いほうだ」
 僕は嬉野の言いたいことが分からなかったので黙って話の続きを待つことにした。言われていることは決していいことではないのかもしれないけど、事実なら特に思うことはない。
「要するに、歩田は人への関心が極端に薄い」
「結構きたね」
 僕は失笑する。
 その一言で嬉野が言わんとしていることは大方理解した。嬉野が引っかかっているのは社会的な立場と言った部分だ。
「しかしまあ、そこがお前の面白いところでもあるんだがな。館から出て最初にすることは普通安否の報告、現状の確認じゃないか? そんなことも気にせずに日常に戻っていくのがお前らしい」
「痛いところついてくる」
「覚えておけよ。こんなに行方が分からない日々が続いたんだ。お前のことを気にする人間は案外いるんだぜ」
「覚えておくよ」
 僕は痒くも無い頭をかいた。
 社会と自分ではなく、周囲の人間と自分。確かにその考えは自分の中には無いように思えた。館から出たらまずは安否確認が自然だ。
「ただ幸いしたことはお前が館からの脱出に関心を示したところだな。どうせここを出る理由もたいしてないんだろう? 興味があるから脱出する」
「そうだね。希薄だけれど」
「歩田はそれでいいんだよ。そこがお前らしいところだ」
「自分らしい、か」
 僕はそう言って考えることをストップさせた。これ以上考えると長くなるのだろう。こういうのは放っておけば考えていることが多い。時間をかけて消化する話だった。
「そういう嬉野は? この館から出てやりたいことって?」
「ん、俺か? 妹に会うために出るんだよ」
 僕は「妹?」と言う。
「お前が思ってる疑問はもっともだと思うぜ。歩田から見れば俺ってめちゃくちゃ脱出に積極的なやつに映ってるはずだからな」
 その通りだった。館の人で脱出方法を考える人は多いけれど、受動的か能動的かという意味で、実行する人は少ない。僕とかは館を観察して得られる情報を考察することばかりしているけど、嬉野は自分から館に働きかけその反応を探っていた。それだけ本気だということだ。
「そこまで妹に会いたいのかって話だよな。うち、片親でな」
 それを聞き、だいたいの事情を察する。人それぞれ館を出たい理由があるということなのだろう。そういえば他の人がなぜ館を出たいのか、聞いたことが無かった。話していないのか、話せないのかは分からない。他の人も嬉野のように深刻な事情があるのかもしれない。そうなると呑気に館を出ることを考えていた自分を馬鹿らしく思えてきた。
「嬉野、さっさとここから出よう」
「お前まで責任を感じる必要はねえよ。これは俺の問題だ。とりあえず脱出は今のところうまくいっているんだ。急ぐ必要はない。人事を尽くして天命を待つってやつだ」
「そっか、そうだ、嬉野の言う通りだ。気持ちが前に行き過ぎた」
 嬉野は「かえって俺が冷静になったけどな」と笑った。僕はゆっくりと息をする。思考回路が正常に戻るのが分かった。
「んで、この時間はいつまで続くんだ?」
「さあ。それこそ待つしかないと思うけど」
「天命を待つって言ったって焦らすのはよくないよな」
「神様はサイコロを振らないからね。悩み続けると長いんじゃないかな」
「マーク試験だったら点数もらえないんだぜ? えんぴつでもいいから転がせよ」
 嬉野はそう諧謔(かいぎゃく)を言う。それがあだとなってのかもしれない。神様は暇なもので地獄耳を働かせたようだ。
 突然、大きな音と共に振動が伝わってくる。
「なんだ?」
 その正体はしばらく行った先で分かった。暗闇の中からプレス機が現れたのだ。この周期的な巨大な音の正体はベルトコンベアをあるいは僕たちを押しつぶそうとする音だった。
「歩田。これ、まずくないか」
「死ぬね」
 たちまちパニックになる。このままでは押しつぶされるのが目に見えていた。
「戻るぞ」
「そうだね」
 僕は後方を照らした。長い間、運ばれてきたのだ。先が見えるはずもない。
 僕はため息をする。運動はそれほどするほうではないのだ。
「体力が持つといいけれど」
「急げ」
 そう言って僕たちは荷物を放り出し、逆走を試みた。すると、そのとき。
 行く手を阻むように壁のようなものがスライドしてくる。逃走経路が絶たれた。僕は振り返ってプレス機との距離を測った。そんなことしたところで自分の命の短さを知るだけだった。四方八方を明かりで探る。抜け道は……。
「あった」
 横穴があった。こんなもの最初からあっただろうかと思ったけれど、助かるならなんでもいい。僕は嬉野の手を引っ張り、その横穴へ飛び込んだ。
 飛び込んだ先もベルトコンベアになっていた。後方で壁がフタをするように閉じられる。あのスライドしてきた扉がフタをしたのだろう。荷物も一緒に運ばれてきた。
 前方ばかりを見ていた嬉野を振り向かせる。僕たちは荷物を取りに逆走した。
 経路を変えられてまもなくベルトコンベアの終わりが見えてくる。その先に下りる階段があるはずもなく、嬉野はひょいと、僕はつまずきながら飛び降りた。
 顔を上げる。ワイン色の絨毯、ベージュの壁。そこは館内で何度も見てきた正五角形の空間だった。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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