1.2ある日の大川と歩田

文字数 2,851文字

 再び足音が聞こえてきたので、次こそ大川さんが来たと思って、足音が向かってくる方を向いた。けれどどうしてか、その足音は素通りして遠ざかって行った。
 最初は呑気にも揶揄(からか)われているのだろうと思っていた。そうではないと分かったのはしばらくしてからのこと。ここまで時間が経てば現実も見えてくる。どうやらさっきの足音が帰ってくることはもうなさそうだった。
 つまり、大川さんではない誰かが目の前を通って行ったことになる。
 そうと分かって背筋が凍りつかないわけがない。人気のない場所。アイマスクをする男。誰が通っていったのか? 館のメンバーの顔が次々と浮かんでくる。
 嬉野は……素通りしないだろう。藤堂さんはさっき通って行った。その他となると……。足音しか聞いていないのだから、特定のしようがなかった。
 声をかけられるよりも素通りされる方が恐ろしいらしい。その理不尽さに、僕はただただ諦めるしかなかった。
 それから間もなくのこと。
 ロボットの駆動音が聞こえてきたかと思うと、「よっと」と目の前で突然、声がする。僕は不意を突かれ、顔を上げた。
「ええと、何をしているのかな」
 大川さんだった。
「待ちくたびれただけです」
憔悴(しょうすい)って感じだね。そんなに遅かったかな?」
「いえ、実はさっき目の前を素通りしていった方がいて」
 そう言うと大川さんが吹き出した。
「それは災難だったね」
「他人事なんですね」
「他人事だからね」
 それはそうだけれど。確かに勘違いされているのは自分だけだった。大川さんは関係ない。
 それから一言「手」とだけ言われる。僕はすぐさま意味を理解して手を差し出した。うずくまっていたところから引っ張り上げられる。途中からは自力で立ち上がった。
「あいたたたたた」
「大川さんもですか?」
「ということは歩田くんもなんだ。慣れないことはするもんじゃないね。特に腕だよ、腕。まともに手も上げられない」
 昨日、僕たちは館の壁を壊した。壊したのはほとんど僕だけれど、残骸(ざんがい)を軍手で運んでいたのは大川さんだった。結果は藤堂さんにも言った通り、何も得られていない。館を壊したその成果というか対価が筋肉痛だけなのは少し残念なところだった。
「へえ、しかし、本当にアイマスクをするなんてね……。普通の神経をしているならどこかで疑うはずなんだけど。面白いね。君って背くということはしないのかな。いや、私から言い出しておいてそれもそれで変だけど」
「信頼しているからじゃないですか?」
投げやりにそう言う。
 大川さんの笑い声が聞こえてきた。
「君は都合よく物事を考える傾向があるらしい。鉄骨だって折って見せるんじゃないかな」
「幸せの秘訣、とでも言っておきます」
「まあね。その方が幸せだ」
 そう言えば偉人が常識は偏見だと言っていただろうか。考え方ひとつで世界は変わるのかもしれない。
「ただ、君のブラックボックスはそう単純には出来ていないよね。従順なようでいて裏では計算がされている。頭を揺すってみたら音がするんじゃない?」
「お金が出てきたらいいんですけど」
「多分、おみくじじゃないかな」
 僕は大川さんの考えていることを理解しようとした。おみくじ……。大吉しか出ないことでむしろ反感を買うようなおみくじしか想像できなかった。だから違うのだろうけど。
「君は現状が分からなくて困っている」
 大川さんの声音が一段と低くなる。その言葉には強制力があった。
「それなりに」
「つまり準備万端だ」
 けれど、そう言ってはぐらかされるのだった。核に触れさせようとして触れさせない。昨日からこの調子だ。
 そこに理由はあるのだろうか? 段々と気まぐれで話されているような気がしてくる。
 では、このアイマスクは? そこだった。そこに意味が無ければアイマスクをするなんて発想は出てこない。常識的に考えて異常。つまり、合理的な理由がある。
 そんなことを考えていると、大川さんから「ところで、そのアイマスクは本当に前が見えないの?」と質問された。
「別に疑っているわけじゃないよ。今回はそこがかなり重要だから」
 さっきよりも近くから声が聞こえてくる。アイマスクの粗さを覗き込んでいるのかもしれない。
「見えてませんけど」
 そう返事したものの反応が帰ってこず、変な間ができた。
 前が見えないというのは聴覚を頼りにするしかない。つまり相手の沈黙が弱点だった。不安になって「どうかしましたか」と尋ねてみる。
「いや、別に。変顔をしていただけ」
「大川さんって変顔するんですか?」
「いや、しないよ。だから今もしていない。ただデコピンはしようとしたかな。腕が上がらないからできなかったけど」
 言うように、変顔はしていないのだろう。しているところが想像できなかった。
 ただ、この場合本当にしている可能性もあるのだ。見えないことをいいことに遊ばれている気がした。
「揶揄うのはここまでにしておこうか。何も始まっていないのに腹の探り合いなんかで疲れたていたら馬鹿みたいだからね……」
 僕は頷いて肯定する。
「……て、そう言っても、考え続けるのが歩田くんってやつか」
 図星を突かれ僕は苦笑した。なぜアイマスクをしてデートをするのか。気にならないはずがない。
「状況を整理すると、館を壊した、アイマスクをした、そしてデートをするだからね。意味わからないよね。だから、この場合ヒントぐらいはあげておくのかな」
「ヒント、ですか……」
 欲しいと言えば欲しいけれど、果たしてそのヒントが役に立つのかどうか。
「あまり期待していない感じだね」
「ここにきて答えに近づかせるのは不自然ですから」
「何も考えないこと」
 僕は沈黙する。大川さんの言葉に従ったわけではない。その言葉の内包する意味が一つしか無かったからだった。言葉そのままの意味。点と点がつながらない。ゆえに形ができあがらない。ゆえに解なし。
 大川さんは吹き出すように笑い出した。
「それじゃ行こうか」
 そんな僕を放っておいて、体の向きを変えたのだろう、声が少し遠くなる。
 微妙な間ができた。
「手、出して」
 僕は閉口して口を曲げてみせる。
「歩田くんはその状態でどうやって私についてくるのかな」
 そういえばそうだった。ただでさえ立っているだけでも平衡感覚が狂ってくるのだ。歩くとなるとなおさら難しいのだろう。
 だから僕は少し変だと思いながらも右手を差し出す。
「こういうのって立場が逆ですよね」
「随分と生意気なことを言うんだね。君はいつから紳士になったのかな」
「ターニングポイントが無いのなら生まれながらにして紳士の可能性があります」
「アイマスクで見えなくなるのは視界だけだと思うけど」
「結構、厳しいこと言いますね」
「君らしくないからね」
 そう言って差しだした手を取られる。いつもなら出会い頭に「いいところにいた」と手首を(つか)まれているところを、この日は優しく(てのひら)を取られた。引っ張り方も丁寧だった。
 僕は大川さんに導かれるままに歩き出す。この先がどうなるのかは大川さんにしか分からない。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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