3.1嬉野と歩田の画策

文字数 1,635文字

3.

 温泉はリラクゼーションエリアの三階にある。この周辺の床は、旅館を意識しているのか、西洋風のようで和風のような赤い絨毯に変わる。
 例えば他にゲームコーナーがある。例えば他に自動販売機がある。もちろんラインナップは牛乳系だ。オーダーでなんでもできるといっても、やはりアナログには言い難い(おもむき)があった。
 僕たちは暖簾(のれん)をくぐって通路を行く。温泉といえばときおり遭遇する脱衣所までの長い通路だろう。これも文化なのだろうか。通路を歩きながら、そういえば神社がその例だったことを思い出す。神社の長い階段とこの長い通路、似たようなところがあるのだろう。
 通路を曲がると一気に湿度が変わるのが分かった。そして僕たちは脱衣所に到着する。
 脱衣所も例に漏れず広々としていた。扉は無く、カゴが置かれているタイプの脱衣所だった。見たところ二十はあるだろう。館の特に男性に限っていえばカゴの数は過剰だった。これも雰囲気のためだろうか。
「やっぱ疲れたときは風呂だよな」
 そう言って嬉野は服を脱ぎ始める。
「まあね」と言って僕もさっさと脱ぎ、タオルを巻いた。
 準備が整ったときにはすでに嬉野はいなかった。腰まで背のある扇風機だけが回っている。嬉野は先に浴場に行ったのだろう。
 浴場への引き戸を開けた。視界がもやに包まれた。
 僕はかけ湯をしながらいつものように効能を読むことにした。とはいえよく分からず、全部入れば健康になるのだろうと、そんな感想しか湧いてこなかった。
 浴槽に嬉野の姿を探す。まさか同じ場所に入りたいとは思わない。僕は壁際の、ガラス向こうに植物が見られる浴槽に浸かった。
 身体が温度に慣れていくのが分かる。そのまま完全に脱力した。
 水面を打つ音。水の流れる音。水の音は安らぎを与えてくれる。
「なあ、歩田、俺たちなんでここに閉じ込められたんだろうな」
 声を張らなくても誰もいないのでよく声が通った。
「さあ。それが分からないから困ってるんだ」
「賞金のため、か」
 つまり脱出ゲーム。僕たちはこの可能性を追っていることを思い出す。
「脱出ゲームだとして、どうすれば脱出ができるんだ? ヒントらしいヒントがどこにもない。設定ミスにもほどがある」
「ヒントが無いことがヒントって可能性もある」
「どういうことだ?」
「分からない。必ず現実的で、脱出できる方法があるんだと思う。それを考えて試すのがテーマなんじゃないかな」
「難しい話だな」
「結局、ヒントが無いのと変わりないからね」
 惹かれるのは水面を絶え間なく叩く音だった。そのリズムに心が整っていき、負の感情が洗われていった。こうなると会話も反射的になっていく。自分でも何を話しているのかよく分からなかった。
「要するに、自分から何かしろってことだよな」
「そうだね。自分からアクションをして反応を調べる」
「藤堂には言わないほうが良さそうな話だな」
「被害者がこれ以上増えないためにもね」
 以前にあったのだ、館の物を壊したことが。もちろん壊された物はロボットによって修理される。だから過剰な心配はいらないのだけれど、警戒は分かっていてもしてしまうものだった。壊すことが正解と知れば館そのものを壊し始めるかもしれない。それはそれで脱出の出口ができるだけなのだけれど。
「それなら、SOSって紙を流してみないか?」
「SOS?」
「だから、紙にSOSって書いて排水管に流すんだよ。紙は濡れないようにカプセルかなんかに入れればいい」
「なるほど、やってみる価値はあるね」
 僕はまた無心に戻った。するとSOSの書かれた紙が浮かんできて、消え去り、次には無人島を見下ろしていて、SOSの文字を見つける。無意識に近い思考なんてこんなものだろう。現実と夢の狭間のようだった。
 現実に引き戻されたのは、水を底から蹴り上げたような、勢いよく立ち上がる音だった。振り向けば嬉野は目的を見つけたときの真っすぐな眼をしていた。
「よし、そうとなればやってみるぞ」
 その一言で僕も思考を切り替えた。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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