1.1プロローグ
文字数 2,985文字
人が閉じ込められたとき、まずは何を疑うべきだろう。例えば誘拐。例えば事故による密室あるいは故意による密室。例えば懲罰。どんな理由であれ閉じ込められたとき、そのだいたいが劣悪な環境となっているのだろう。
けれどこの場所では、建物から出られないという意味で密室でありながら、生活水準の高い暮らしを送ることができた。
自然エリア、学術エリア、エンタメエリア、スポーツエリア、リラクゼーションエリア。それぞれのエリアが五角形の一辺を担っている。恐らく正五角形の建物。要するに僕たちはこの建物の中で生きていくには過不足ない、むしろ充分過ぎる暮らしをしていたのだった。
ここがどこなのか。その特異性のせいではっきりとしない。僕たちはそんな違和感を持ちながら日々の生活を送っていた。
この日は月に一度の集会の日だった。学術エリアの三階にある会議室へと十時の十分前に到着する。
会議室にはすでに三人の人がいた。円卓には九個の席があり、三人はそれぞれ定位置についていた。
「おはようございます」
そう挨拶をすると、佐伯 さんが「おはようございます」と返してくる。嬉野 と猫飼 さんは会釈で挨拶を済ませた。
僕は嬉野の横に座り、参加者が集まるのを待った。
「嬉野、今日の欠席者は?」
「俺は何も聞いてないな。屋敷 は相変わらず、メッセージのリアクションなし」
「そっか。時間にしては人が少ないような気がしたから」
「藤堂 のやつがいないからじゃないか?」
「それは、あるね」
それから五分が過ぎたとき、会議室のドアが開かれた。現れたのは大川 さんだった。長い茶髪がはね、いつものように気だるげに入室してくる。
この人はひょっとすると着替えもしてこなかったんじゃないだろうか。寝間着のまま、そんなラフな格好をしていた。
大川さんの席は佐伯さんの隣。席につくと頬杖をついて眠そうにしていた。
これで五つ目の席が埋まった。
次に入室したのは会議の始まる二分前。力の加減を知らないようなドアの開け方が会議室に一瞬の緊張感をもたらす。誰か見るまでも無い。藤堂さんだろう。遅れて、誰かの走る音が近づいてくる。
「お、間に合ったか?」
「ギリギリセーフみたいです」
走っていたのは椎名 さんのようで、藤堂さんの後ろで息を切らして立っていた。
「だから言ったじゃないですか。あれをラストゲームにすれば良かったんですよ」
「いいだろ、間に合ったんだから」
「それは私が無理やり止めさせたから――」
「はいはい、都合の悪いことは速攻デリートさせました」
それから藤堂さんと椎名さんが入ってきて、椎名さんは「ごめんなさい。うるさかったですよね」と謝った。
僕たちからしてみればいつものことだったので「気にするな」「ええ」というところまでがお約束だった。
これで七つの席が埋まる。埋まる予定の席は残り二席。
それまでの間、僕たちは藤堂さんと椎名さんの話を聞いていた。
ギリギリになったその理由。聞けば藤堂さんの負けず嫌いが発動したらしい。ゲームエリアには椎名さんがよく遊んでいるVRゲームがあるらしく、未経験の藤堂さんがそれで勝負を挑んだというわけだった。もちろん初心者が簡単に勝てるほどそのゲームは甘くない。ずるずるとやっていたら会議に遅刻しそうになった。それがあのドタバタの真相だったらしい。
もっとも、話を聞いていると、椎名さんも一度はわざと負けていたようで、それが火に油を注ぐこととなったのは、今の藤堂さんの騒ぎ方からして明らかだった。もう二度とあんなことはするなよ、真正面からこい。などと聞こえてくる。
僕も藤堂さんに付き合わされるので、椎名さんの気持ちはよく分かった。こうなったらどうすることもできない。逃げ出して鬼ごっこやかくれんぼが強ければいいのだけれど、そんな神経を使うぐらいだったら、気が済むまで付き合ったほうが気が楽だった。
そして十時になる。
それと同時に流田 さんが入室する。長いまつげから覗かせる黒い瞳でざっと会議室を見回し、屋敷さんがいないと知ってため息をつく。流田さんは猫飼さんの隣に座った。
埋まる予定の席は残り一つ。会議の開始時間は過ぎていた。
「やっぱりいないのね」
流田さんはそう言い、「誰か話を聞いている人はいないの?」と続けた。
「いや、忘れているだけだと思うよ」と猫飼さん。
「呼びに行きましょうか?」と僕が提案すると猫飼さんが「僕が行くよ」と言った。猫飼さんは立ち上がり、屋敷さんを呼びに行くべく、退出していく。
会議は全員がそろってから始める決まりだった。
僕は参加者のことを今一度確認した。
会議室の入り口から見て十二時の方向、時計回りで参加者を見ていくと、空席の屋敷光明 、流田桂花 が本を読み、呼びに行った猫飼可優 の席がある。その隣に視線を彷徨わせる椎名盟里 がいて、人差し指の爪を机に打ち付ける藤堂律 、天井を見上げる嬉野祐介 がいる。その隣が僕で、じっと待っている佐伯叶枝 がいて、頬杖をつく大川 ひすいがいた。
僕はなんとなく嬉野に「今、何考えてる?」と聞いてみる。「なあにも」と返ってきて、「お前は?」と聞かれたので「同じ」と答えておいた。
十時十分前になる。会議室に屋敷さんが現れた。
「いやあ、申し訳ないね。会議があることをすっかり忘れていた」
「お待たせ、遅くなって悪いね」猫飼さんも入ってくる。
屋敷さんは無気力そうに自分の席へと向かっていた。その姿に藤堂さんが「屋敷、お前この前もすっぽかそうとしただろ」と囃し立てる。
屋敷さんは頭をかいて、
「うるさいなあ。日にちの感覚が無いんだよ。誰か通話で事前に知られせてくれれば遅刻はしない」
と反論した。
屋敷さんといえば引きこもることで有名だ。僕たちの自室には窓が無い。お腹がすいて、眠いときに寝るという生活をしていれば自然と日にちの感覚も狂っていくのだろう。そしてメッセージを見ないことでも有名だった。屋敷さんはああ言っているけれど、通話でさえたまに切られることがある。とはいえ、会議の連絡をしなければ毎度欠席するのは目に見えているので、何もしないよりはマシなのだけれど。
「通話なら、言い出した律がやるべきじゃないかな」
大川さんが悪い笑みを浮かべてそう言う。
「はあ? なんであたしがそんなことしなくちゃいけないんだよ。おい、歩田、お前がやれ」
「今、目でも合いましたか? 明後日の方向を見るように努めてたんですけど」
「心で通じ合っているんだよ」
「どう足掻いても無駄ってことですね。分かりました。引き受けます」
屋敷さんと目が合う。不満げな表情をしていた。
「歩田くんはちょっと勘弁してくれないかな」
「ひゃあ、振られてやんの」
「じゃ藤堂さんにお願いします」
「藤堂も止めて欲しいね。無傷で来られる自信が無いから」
お互い服を掴んだ取っ組み合いだった。
屋敷さんは思案する素振りを見せ「うん、猫飼くんがいい。平和だからね」と言った。
藤堂さんならまだしも僕が平和ではないとはどういうことだろうか。強硬手段を選んだことはこれまで一度も無い。もっともどういう意味でそう言ったのかはなんとなくは分かってはいた。単純に歳の離れた人間に尻を叩かれるのが嫌なのだろう。
「そもそも忘れない努力をしてくれないかな?」と猫飼さんは笑う。
「考えておくよ」
これは屋敷さんの常套句だった。
けれどこの場所では、建物から出られないという意味で密室でありながら、生活水準の高い暮らしを送ることができた。
自然エリア、学術エリア、エンタメエリア、スポーツエリア、リラクゼーションエリア。それぞれのエリアが五角形の一辺を担っている。恐らく正五角形の建物。要するに僕たちはこの建物の中で生きていくには過不足ない、むしろ充分過ぎる暮らしをしていたのだった。
ここがどこなのか。その特異性のせいではっきりとしない。僕たちはそんな違和感を持ちながら日々の生活を送っていた。
この日は月に一度の集会の日だった。学術エリアの三階にある会議室へと十時の十分前に到着する。
会議室にはすでに三人の人がいた。円卓には九個の席があり、三人はそれぞれ定位置についていた。
「おはようございます」
そう挨拶をすると、
僕は嬉野の横に座り、参加者が集まるのを待った。
「嬉野、今日の欠席者は?」
「俺は何も聞いてないな。
「そっか。時間にしては人が少ないような気がしたから」
「
「それは、あるね」
それから五分が過ぎたとき、会議室のドアが開かれた。現れたのは
この人はひょっとすると着替えもしてこなかったんじゃないだろうか。寝間着のまま、そんなラフな格好をしていた。
大川さんの席は佐伯さんの隣。席につくと頬杖をついて眠そうにしていた。
これで五つ目の席が埋まった。
次に入室したのは会議の始まる二分前。力の加減を知らないようなドアの開け方が会議室に一瞬の緊張感をもたらす。誰か見るまでも無い。藤堂さんだろう。遅れて、誰かの走る音が近づいてくる。
「お、間に合ったか?」
「ギリギリセーフみたいです」
走っていたのは
「だから言ったじゃないですか。あれをラストゲームにすれば良かったんですよ」
「いいだろ、間に合ったんだから」
「それは私が無理やり止めさせたから――」
「はいはい、都合の悪いことは速攻デリートさせました」
それから藤堂さんと椎名さんが入ってきて、椎名さんは「ごめんなさい。うるさかったですよね」と謝った。
僕たちからしてみればいつものことだったので「気にするな」「ええ」というところまでがお約束だった。
これで七つの席が埋まる。埋まる予定の席は残り二席。
それまでの間、僕たちは藤堂さんと椎名さんの話を聞いていた。
ギリギリになったその理由。聞けば藤堂さんの負けず嫌いが発動したらしい。ゲームエリアには椎名さんがよく遊んでいるVRゲームがあるらしく、未経験の藤堂さんがそれで勝負を挑んだというわけだった。もちろん初心者が簡単に勝てるほどそのゲームは甘くない。ずるずるとやっていたら会議に遅刻しそうになった。それがあのドタバタの真相だったらしい。
もっとも、話を聞いていると、椎名さんも一度はわざと負けていたようで、それが火に油を注ぐこととなったのは、今の藤堂さんの騒ぎ方からして明らかだった。もう二度とあんなことはするなよ、真正面からこい。などと聞こえてくる。
僕も藤堂さんに付き合わされるので、椎名さんの気持ちはよく分かった。こうなったらどうすることもできない。逃げ出して鬼ごっこやかくれんぼが強ければいいのだけれど、そんな神経を使うぐらいだったら、気が済むまで付き合ったほうが気が楽だった。
そして十時になる。
それと同時に
埋まる予定の席は残り一つ。会議の開始時間は過ぎていた。
「やっぱりいないのね」
流田さんはそう言い、「誰か話を聞いている人はいないの?」と続けた。
「いや、忘れているだけだと思うよ」と猫飼さん。
「呼びに行きましょうか?」と僕が提案すると猫飼さんが「僕が行くよ」と言った。猫飼さんは立ち上がり、屋敷さんを呼びに行くべく、退出していく。
会議は全員がそろってから始める決まりだった。
僕は参加者のことを今一度確認した。
会議室の入り口から見て十二時の方向、時計回りで参加者を見ていくと、空席の
僕はなんとなく嬉野に「今、何考えてる?」と聞いてみる。「なあにも」と返ってきて、「お前は?」と聞かれたので「同じ」と答えておいた。
十時十分前になる。会議室に屋敷さんが現れた。
「いやあ、申し訳ないね。会議があることをすっかり忘れていた」
「お待たせ、遅くなって悪いね」猫飼さんも入ってくる。
屋敷さんは無気力そうに自分の席へと向かっていた。その姿に藤堂さんが「屋敷、お前この前もすっぽかそうとしただろ」と囃し立てる。
屋敷さんは頭をかいて、
「うるさいなあ。日にちの感覚が無いんだよ。誰か通話で事前に知られせてくれれば遅刻はしない」
と反論した。
屋敷さんといえば引きこもることで有名だ。僕たちの自室には窓が無い。お腹がすいて、眠いときに寝るという生活をしていれば自然と日にちの感覚も狂っていくのだろう。そしてメッセージを見ないことでも有名だった。屋敷さんはああ言っているけれど、通話でさえたまに切られることがある。とはいえ、会議の連絡をしなければ毎度欠席するのは目に見えているので、何もしないよりはマシなのだけれど。
「通話なら、言い出した律がやるべきじゃないかな」
大川さんが悪い笑みを浮かべてそう言う。
「はあ? なんであたしがそんなことしなくちゃいけないんだよ。おい、歩田、お前がやれ」
「今、目でも合いましたか? 明後日の方向を見るように努めてたんですけど」
「心で通じ合っているんだよ」
「どう足掻いても無駄ってことですね。分かりました。引き受けます」
屋敷さんと目が合う。不満げな表情をしていた。
「歩田くんはちょっと勘弁してくれないかな」
「ひゃあ、振られてやんの」
「じゃ藤堂さんにお願いします」
「藤堂も止めて欲しいね。無傷で来られる自信が無いから」
お互い服を掴んだ取っ組み合いだった。
屋敷さんは思案する素振りを見せ「うん、猫飼くんがいい。平和だからね」と言った。
藤堂さんならまだしも僕が平和ではないとはどういうことだろうか。強硬手段を選んだことはこれまで一度も無い。もっともどういう意味でそう言ったのかはなんとなくは分かってはいた。単純に歳の離れた人間に尻を叩かれるのが嫌なのだろう。
「そもそも忘れない努力をしてくれないかな?」と猫飼さんは笑う。
「考えておくよ」
これは屋敷さんの常套句だった。