6.1ある日の大川と歩田

文字数 2,472文字

6.

 落ち着かないときは何をしても落ち着かない。試しに走ってみても、試しに本を読んでみても、それに支配されている限り、じっとしていられなくなる。
 流田さんと分かれた後、僕は自分の部屋に戻ってきていた。もちろん大川さんに会うつもりで帰ってきたのだけれど、大川さんは不在だった。というのも今朝、部屋を出ていったきり帰ってこない。
 昼には戻ってくるだろうと思っていた。本のページ数がめくれると共にもどかしい時間が進んでいく。けれど、いくら待っても大川さんは帰ってこなかった。
 おかしい、とは思っていた。普段なら朝に出て行ってどんなに遅くても昼には帰ってくる。それは昼食を食べに帰ってくるからで、そろそろ一時を過ぎようとしていた。
 昼は用意したほうがいいのかと思って、僕は部屋のタッチパネルから大川さんへ通話をかけてみる。いくら待っても繋がらない。諦めてコールを切った。
 何かあったのだろうか?
 考えすぎかもしれない。一旦、僕は冷静になる。
 よく考えれば用があるから焦っているだけで、大川さんが帰って来ない、なんてそんな日もあるのだろう。だから僕は無理やり忘れることにして、いつもの日常に戻って行った。
 何事もないまま一冊を読み切った。流石に変だと思って、もう一度通話をかけてみる。やはり繋がらない。
 それから僕はその事実がかなりおかしいことに気が付いた。
 大川さんが部屋を出入りするとき、僕たちは通話を通じてやりとりをしていた。つまり、大川さんは常に通話に出られる手段があった。
 にもかかわらず、通話をしても出てこなかった。どうしてだろうと僕は考える。
 まずは無視をしている可能性。これは除外してもいい。大川さんの性格的に考え難かった。もし通話に出られないなら、着信を切るかメッセージを残すだろう。
 たまたま通信機器を持っていなかった可能性。この可能性もおかしい。タッチパネルは使えないはずだから、必ず持って出るはずだ。
 そうなると可能性は一つしかない。通話に出られない可能性。
 僕は(あわ)てて部屋を飛び出した。
 どこへ向かえばいいのだろう。大川さんならリラクゼーションエリアだろうか。走りながら状況を整理しにかかった。
 大川さんはタッチパネルが使えない。そう思っていたけれど、携帯端末、通話型時計も使えない可能性が出てきた。
 そういえば、掃除ロボットの調子が悪い、という言葉を思い出す。この話も思い返せば変だった。壊れれば修理するのが館というものだ。物はいつか壊れる。それを放っておかないのが館でもあった。
 リラクゼーションエリアを隅々まで探すとなるとかなり時間を使う。扉の開け閉め、死角の確認。僕は心当たりのある場所を中心に調べていった。
 すると、マッサージチェアに人影を見つける。僕は走って誰なのか確かめた。
「大川さん」
「あれ、歩田くん」
 無気力な反応が返ってくる。
 生気がないような、すっかり諦めたような、灰になったような、そんな反応。いったいどれだけそうしていたのだろう。エントロピーが増大するのを待っているかのようだった。
 僕は息を整える。
「まいったよねえ」
 誰に向けるでもない、独り言のようにそう言った。
「だいたいのことは把握しているつもりです」
「あ、そうなんだ。それもそれで困ったな」
 気まずそうな表情を見せる。
「本当に分かっているの?」
「恐らく」
「嘘だったら怒るよ。念のために教えて。何に気付いたのかを」
 大川さんは警戒している様子だった。
 そう言われたので僕は「分かりました」と状況を説明することにした。館を壊した日から、現在に至るまでの最後の不可解の説明を。全て理解している。そのことを伝えなければならない。
「また先日の話からになります」と僕は話し始める。
「先日、僕たちは館の調査をしました」
 大川さんは「うん」とだけ頷いた。
「結果は成果なし。だからこのことについては一件落着、これで終わりだろうと、そう思っていました」
 感情の無い世界。その否定。これはこれで結論が得られている。
「けれど、続きがあった」
 大川さんはマッサージチェアに身体を埋め、ただ一点、天井を見つめていた。
「問題は大川さんが僕の部屋に来たことです。最初はその理由も、見当がつきませんでした。終わっているはずなのに、終わらなかった。ただ、ずっとヒントはあったんです。例えば僕に食事を運んでもらっているように、館を調べた日から大川さんはタッチパネルを触ろうとしなかった」
 大川さんは「まあ、バレるよね」と言う。
「やっぱり、使えなくなったんですね」
「そうだよ」と大川さんは言った。
「それで?」
「そして今日のことです。普段なら帰ってくるはずの昼頃に大川さんが帰ってきませんでした。そこで何度か通話をかけてみました。ところが一度も出なかった。一回目ではそんなこともあるかな、と思っていました。ただ二回目の通話でも大川さんは出てこなかった……。どうしたのか考えさせられました。通話を無視されている可能性、通信機器を持っていなかった可能性。そう考えて、最終的にはタッチパネルだけではなく通話さえ出られなくなったのではないか、とそう結論付けすることにしました。つまり、館における権限の完全な剥奪です」
 そこまで言うと、ため息が聞こえてくる。その息は乾いた音となって響いていくようだった。「もう隠せないよね」と続く。
「ありがとう。歩田くんの言う通り、私は館の権限を剥奪されたみたいだね」
 推測が確実なものとなっていく。
 あり得ないと思っていても、そう思うだけで、事実が変わることはない。大川さんは館から権限を剥奪された。これは事実だった。
「でも、どうして剥奪なんて……館は僕たちに対して基本的に健全に向き合ってくれるはずですけど」
「これは私が悪いんだよ。私が弱い人間だったから剥奪された。自業自得ってやつ」
 話は見えてこない。
 日常において、故意に破壊行動にでても権限が剥奪されるようなことは無かったように思う。
 大川さんは伏せていた眼を僕に向けた。気持ちが揺れている瞳だった。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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