6.2ある日の大川と歩田
文字数 2,156文字
「君は責任についてどう考えるのかな」
「責任、ですか」
そう曖昧な返事をすると「そっか、歩田くんってまだ大学生だっけ」と言われる。
一応の責任感は持っているけれど、社会人からしてみれば大したものではないのだろう。そう言われているような気がした。
「社会人になるとね、人と人との関係が絶対になるんだ。人は一人では生きていけない。私から相手に何かを与えるし、相手も私に何かを与えてくる。それを成立させたいがために責任が生じるんだと私は思うんだ」
学生の僕は、ただ頷いて話を聞いていた。
大学生になると能動的という言葉が使われるけど、結局は立場的には受け身だった。
「でも、ここが難しいところで、それって表面上でも成立するんだよね。覚えてるかな、私の仕事って臨床心理士だって言ったことがあるんだけど」
「覚えてますよ」
「それなら話は早い。つまり、さ、セラピストとクライアントの関係があって、私の仕事が成立するんだ。私がクライアントの話を聞いて、アドバイスをすることもある。そして、それが私には表面上でしかできなかった」
それから「そうなんだよねえ」と大川さんは息を吐きだす。
「結局そこなんだよ。臨床心理士は自分もそっち側の人間でなければ、相手を理解することができない。つまり、自分も何かしらの欠点があるんだ。私が嫌っているのは、そんなダメな人間が、相手を変えてしまうことなんだよ。金属の線は一度折ってしまうと真っすぐには戻らない。私の一言で相手の線を折ってしまうことを私は極度に恐れているんだ」
だから過剰に責任を感じてしまう。自分の一言一句で相手を変えてしまった場合、責任は持てないと。その解決策として、表面上で対処することにした。
「歩田くんからしてみればいきなり仕事の話をして、何の話だって感じだよね」
「いくらでも待ちますよ」
「君に気を使われるってのもなんか癪 だね」
「では、待ちません」
「まあ、要するにさ。ボタン、押しちゃったんだ」
ボタン……何のボタンだろう。
「オーダー画面のかなり探したところに、押すなってボタンがあるのは知ってる?」
「いえ、初耳です」
「そのボタンを押すとさ、飴玉が貰えるんだ。そしてその代償として館の権限が剥奪されていく」
そんな悪魔みたいなボタンがあったなんて……。
ということは、大川さんはそれを押したのだろう。
「バカだから毎朝押してたんだね。今思うと何が楽しかったんだろうって思うけど。結果はこの通り」
僕の部屋にも戻って来られなくなった。
「それってどうにもならないんですか?」
「いや、他の人に押してもらえばリセットできるみたいだけど」
「それならどうしてもっと早く――」
「言えるわけないよ。自分でも呆れてるんだから」
その気持ちは少し分かるかもしれない。自業自得は自分の責任なのだから、人に頼るのは傍迷惑だった。
だからって、自分が今迷惑しているのかと言われるとそうでもないけれど。
「大川さん、今からそのボタン僕が押しに行きます」
そう、 これは単純な話なのだ。ボタンを押せば全てが解決する。だったら、今すぐにでも押せばいい。
けれど返事が来ない。まだ迷っているのかもしれない。僕は辛抱して答えが出るまで待った。
すると。
「そう、だね。お願いしようかな」と言葉に詰まりながら大川さんは言った。
その言葉は未だに迷っているようでもあった。何もかもが明らかになったのに、まだ抱えこもうとする。普段の楽観さからは想像できない知らない一面だった。
そのことに僕は失笑した。
「大川さんも遠慮が好きみたいですね」
そう言って僕は挑発する。沈黙ができた。大川さんの中で整理が行われているのかもしれない。微動だにしない時間が過ぎる。
沈黙が破られたのは大川さんが吹き出して笑ったからだった。良かった。
「まあ、君ほどじゃないけどね」
整理がついたらしい。そう言って大川さんは椅子から立つ。
「責任、ね」そうつぶやいた。
「無責任ってのは結局、自分の首を絞めるってことなのかな」
「そうかもしれません」と僕は答えた。
「ただ大川さんってまるっきり無責任ってわけじゃないですよね」
「え、そうなの?」
「むしろ、責任を自分から負いすぎて手放しているように思えますけど」
大川さんは「言われてみるとそうかもしれないねえ」と言う。
「世の中には完璧な人間はいませんからね。そして人は生きている限り、必ず他者に影響を与えるんだと思います。それは誰もが無意識にしていることで、だから僕からしてみれば、社会で生きるってそんなもんじゃないかな、って思いますよ。影響を及ぼさないようにしても、どこかで無意識に影響を与えている。そこまでコントロールできるのは完璧な人間だけです」
「なるほど。だから隠すぐらいなら、自分が良いと思った方に導いてあげるべき、そう言いたいんだね?」
「その意見には賛成です」
そう言うと僕は軽く頬をつねられた。
「良く喋る口だね。このまま引っ張っていきたいけど、まあ、今日は大目に見てあげる」
頬から手が離された。
「それじゃ行こうか」
僕たちは大川さんの部屋を訪れる。
そして僕は部屋の様子を見て、どこか懐かしい気分になった。なにが違うのだろう。そっか、ゴミ箱か。ゴミ箱にはもう少しで溢れそうになるぐらいゴミが溜められていた。
「責任、ですか」
そう曖昧な返事をすると「そっか、歩田くんってまだ大学生だっけ」と言われる。
一応の責任感は持っているけれど、社会人からしてみれば大したものではないのだろう。そう言われているような気がした。
「社会人になるとね、人と人との関係が絶対になるんだ。人は一人では生きていけない。私から相手に何かを与えるし、相手も私に何かを与えてくる。それを成立させたいがために責任が生じるんだと私は思うんだ」
学生の僕は、ただ頷いて話を聞いていた。
大学生になると能動的という言葉が使われるけど、結局は立場的には受け身だった。
「でも、ここが難しいところで、それって表面上でも成立するんだよね。覚えてるかな、私の仕事って臨床心理士だって言ったことがあるんだけど」
「覚えてますよ」
「それなら話は早い。つまり、さ、セラピストとクライアントの関係があって、私の仕事が成立するんだ。私がクライアントの話を聞いて、アドバイスをすることもある。そして、それが私には表面上でしかできなかった」
それから「そうなんだよねえ」と大川さんは息を吐きだす。
「結局そこなんだよ。臨床心理士は自分もそっち側の人間でなければ、相手を理解することができない。つまり、自分も何かしらの欠点があるんだ。私が嫌っているのは、そんなダメな人間が、相手を変えてしまうことなんだよ。金属の線は一度折ってしまうと真っすぐには戻らない。私の一言で相手の線を折ってしまうことを私は極度に恐れているんだ」
だから過剰に責任を感じてしまう。自分の一言一句で相手を変えてしまった場合、責任は持てないと。その解決策として、表面上で対処することにした。
「歩田くんからしてみればいきなり仕事の話をして、何の話だって感じだよね」
「いくらでも待ちますよ」
「君に気を使われるってのもなんか
「では、待ちません」
「まあ、要するにさ。ボタン、押しちゃったんだ」
ボタン……何のボタンだろう。
「オーダー画面のかなり探したところに、押すなってボタンがあるのは知ってる?」
「いえ、初耳です」
「そのボタンを押すとさ、飴玉が貰えるんだ。そしてその代償として館の権限が剥奪されていく」
そんな悪魔みたいなボタンがあったなんて……。
ということは、大川さんはそれを押したのだろう。
「バカだから毎朝押してたんだね。今思うと何が楽しかったんだろうって思うけど。結果はこの通り」
僕の部屋にも戻って来られなくなった。
「それってどうにもならないんですか?」
「いや、他の人に押してもらえばリセットできるみたいだけど」
「それならどうしてもっと早く――」
「言えるわけないよ。自分でも呆れてるんだから」
その気持ちは少し分かるかもしれない。自業自得は自分の責任なのだから、人に頼るのは傍迷惑だった。
だからって、自分が今迷惑しているのかと言われるとそうでもないけれど。
「大川さん、今からそのボタン僕が押しに行きます」
そう、 これは単純な話なのだ。ボタンを押せば全てが解決する。だったら、今すぐにでも押せばいい。
けれど返事が来ない。まだ迷っているのかもしれない。僕は辛抱して答えが出るまで待った。
すると。
「そう、だね。お願いしようかな」と言葉に詰まりながら大川さんは言った。
その言葉は未だに迷っているようでもあった。何もかもが明らかになったのに、まだ抱えこもうとする。普段の楽観さからは想像できない知らない一面だった。
そのことに僕は失笑した。
「大川さんも遠慮が好きみたいですね」
そう言って僕は挑発する。沈黙ができた。大川さんの中で整理が行われているのかもしれない。微動だにしない時間が過ぎる。
沈黙が破られたのは大川さんが吹き出して笑ったからだった。良かった。
「まあ、君ほどじゃないけどね」
整理がついたらしい。そう言って大川さんは椅子から立つ。
「責任、ね」そうつぶやいた。
「無責任ってのは結局、自分の首を絞めるってことなのかな」
「そうかもしれません」と僕は答えた。
「ただ大川さんってまるっきり無責任ってわけじゃないですよね」
「え、そうなの?」
「むしろ、責任を自分から負いすぎて手放しているように思えますけど」
大川さんは「言われてみるとそうかもしれないねえ」と言う。
「世の中には完璧な人間はいませんからね。そして人は生きている限り、必ず他者に影響を与えるんだと思います。それは誰もが無意識にしていることで、だから僕からしてみれば、社会で生きるってそんなもんじゃないかな、って思いますよ。影響を及ぼさないようにしても、どこかで無意識に影響を与えている。そこまでコントロールできるのは完璧な人間だけです」
「なるほど。だから隠すぐらいなら、自分が良いと思った方に導いてあげるべき、そう言いたいんだね?」
「その意見には賛成です」
そう言うと僕は軽く頬をつねられた。
「良く喋る口だね。このまま引っ張っていきたいけど、まあ、今日は大目に見てあげる」
頬から手が離された。
「それじゃ行こうか」
僕たちは大川さんの部屋を訪れる。
そして僕は部屋の様子を見て、どこか懐かしい気分になった。なにが違うのだろう。そっか、ゴミ箱か。ゴミ箱にはもう少しで溢れそうになるぐらいゴミが溜められていた。