5.3佐伯と歩田の試み

文字数 2,934文字

 後片付けをしている間も大川さんは眠っていた。僕は余った料理をたいらげ、空いた皿をキッチンへ運んで行く。
 佐伯さんはその皿を洗って片付けるようだった。その様子を見て、僕は昔の暮らしを思い出す。
 今まではロボットに任せっきりだった。そしてしようと思えば今だってロボットに片付けを任せることはできた。それはタッチパネルで確認している。
 けれどそうしないのはあまりにもこの部屋が元の暮らしと近いからなのだろう。だからすべて手で片付けたくなる気持ちも分かった。
「歩田くんは大丈夫ですか? 今日は飲みましたね」
 食器のぶつかる音と共に佐伯さんの声が聞こえてくる。
 僕は家具の位置を戻しながら
「ええ。佐伯さんの方こそ大丈夫ですか?」
 そう答える。とはいえ、家具を戻すこともまた必要なことではなかった。それでも良いことをしている気分になれるのは、人間の面白いところかもしれない。
「私はダメですね」
 その言葉に「だと思います」と素直な感想を述べた。
「やっぱり会議ですか?」と続けた。
「そうなんです。実は今日はそのことを相談しようと思って来たんですけど……なかなか上手くいきませんね」
 それは……それ以上に飲み倒した人がいたから。言うようにあの状況で話を切り出すのは難しかったかもしれない。
「良ければ聞きますけど」そう聞いていた。
 水の流れる音だけが聞こえてくる。しばらくして、また食器のぶつかる音がなりだした。
「……そうですね。少しだけお話してもいいですか?」
「酔ってる人間でよければ」
 とりあえず部屋をもとの状態に戻す。
 それから水を持ってきて、僕たちはソファに直角に座った。そう言えば向かい合わないことで人は話しやすくなるという話を思い出した。けれど、今回は空いているソファがそうなっていただけで、偶然だった。
「本当は最初に歩田くんにお話しすべきだったのかもしれません」
 佐伯さんはそう言って話し始める。
「今ごろになってお話するなんて多分都合が良すぎることなんだとも思います」
「気にしていません」
「私は気にしているんですよ? でも、ありがとうございます」
 佐伯さんはテーブルの水に手を伸ばした。グラスを置くとき、二回音が鳴った。
 僕は「何で悩まれているんですか?」と尋ねる。
「そのことなんですけど……最初、私は会議で自分の思っていることを話すつもりでした。皆さんみたいに議論をするなんて私にはできませんから、だから諦めていたんです」
 それは、館を調べていたことから、そんな気はしていた。
 それから僕は誰がこの会議のルールを作ったのか思い出す。あれは館に閉じ込められてすぐのときだっただろうか、皆で話し合いの結果そうなったのだ。
「歩田くんにはお世話になりました」
「いえいえ」
「それで私の調べていたことですよね……」
 そう言葉がつまったけれど、僕は佐伯さんの方は見ないほうがいいのかもしれないと考える。
「私は自分が島流しにあったんじゃないかって思いました」
「島流しですか? あの」
「はい。大罪を犯した人が孤島に送られる刑です」
 島流し。その罪人の到達地。それが正五角館と言っているのだろうか。
 そして僕はその言葉を自分に当てはめてみる。痛い言葉だった。そうかもしれない、という心当たりは少なからずあった。
「もちろん例え話ですよ? 実際に犯罪をしたわけじゃないとは思います。記憶はないですけど」
「多分、僕は七つの大罪は犯しています」
「あ、そうですね。そっちの罪の方がしっくりきます」
 ただ、咎められるほど酷かったのか言われると疑問はある。
「私は流されて生きてきました」佐伯さんは自由度の高い話を拘束した。
「本当にそうして生きてきたんです。人は成長すると多くの選択を迫られると思います。私はその選択から逃げてきました。ときには目を背けて、ときには人に任せて」
 船に乗り、エンジンもオールも無く波に流されるままに。
「そうして私は自分で何かを決めるということがすっかりと習慣から無くなってしまいました。ダメ人間ですよね。未来を決める権利を放棄したと言われても否定できません。その結果」
 佐伯さんは小さく深呼吸をする。
「私は世界から見放されたんだと思いました」
 これが最後の知りたかった鍵だった。それを聞いた僕は散らばっているメモを見直して、次々と情報を繋げていく。
 なるほど。
 最初は卓球。次は猫カフェ。次はボーリング。そして最後は会議になる。
 それらすべては佐伯さんからの提案だ。自分から行動をし、つまり自分で決定したということ。今の話との繋がりはそこだろう。
 佐伯さんは自分で選択することを放棄することで、波に流され、島流しにあい、館に閉じ込められたと言った。そこから出るには自分を変えるしかない。
 少しずつでも、着実に。
「だから、だから試していたんですね。自分で選択することで未来が変わるのかどうかを」
「結果は私たちがここにいる通りですけど」
「でも、会議がまだ残っています」
「そのこともまだ迷っていて」
 明快になったと思っていた僕は何に迷っているのかと疑問に思った。
「思うんです。私だけが島流しにあえばいいのに、どうして他の皆さんもいるんだろうって。もしかして巻き込んでしまったのかなとも思いました。けど、歩田くんの言い方をするなら」
「その可能性は低い」
「そういうことです」
 言うように、それは佐伯さんの主観で見たときの館の見え方であって、僕たちに共通する見え方ではない。佐伯さんの言葉の端々ではずっと前からそれが示唆されていた。
「まさか私だけにしか言えないことを皆さんに言うわけにもいきませんよね」
「気持ちは分かります」
「だから悩んでいるんです。いえ、どうすべきかは分かってはいます。分かっているのに相談するなんて変ですけど」
「どうされたいんですか?」
「私は、私の思っていることを、会議では話したくありません。代わりにもっと皆さんにも共通するお話がしたいなって思っています。でも、だからといって、私の考えを止めるのもいけないことなんじゃないかなって、そう思うんです。だから最後に歩田くんに協力して欲しいことがあります。いいですか?」
 気が付けば僕は佐伯さんと目が合っていた。僕は「なんでも言ってください」と言う。
「この前、猫カフェに行きましたよね。実は他にも人数制限のある場所があるんです」
 僕は一応考えてみたけれど、その場所を知らないことはすぐに分かった。
「もしかしてそこが九の舞台に?」
「はい。そこで私なりの会議をしたいと思います」
「僕は何をすれば」
「歩田くんには今の話を知っていて欲しいんです。私がもう逃げないように。挑戦できるように」
「任せてください」
 その言葉を最後に僕たちの話は終わった。これ以上は意味のないことだし、唯一話すなら具体的な会議開催地変更の通達方法だけれど、それは佐伯さんのほうでメールを出すということになった。
 だから僕は横で話している間、終始眠っていた大川さんを叩き起こすことにした。
 大川さんから曖昧に「話は終わったの?」と聞かれる。
「起きていたんですか?」
「いや、君は変わらないから」
 大川さんの寝ぼけている言葉を聞いて、僕たちは解散することにした。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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