6.1嬉野と歩田の画策
文字数 1,947文字
6.
ライブハウスは数百人キャパの広さだった。あまり広いとは言えないけれど、二人だけだとそれもそれで持て余しているようで居心地の悪さがあった。
ステージには楽器が用意されている。ロックバンドが使用していたのだろうか。あるいはこれからステージがあるのかもしれない。暖色の薄明かりがそれらを晒していた。
ステージの前、最前列に背の高い丸テーブルが二つある。近づいてみればメガネの形をした機械、恐らくVR機とワイヤレスイヤフォンが置かれていた。
「さすがに人が出てくるなんてことはないか」
「出てきてもロボットだっただろうね」
「館のロボットなんか出てきたら興醒めだな。スクリーンがあるならそれもそれで面白そうだが」
特に指示はなくとも、僕たちはイヤフォンをしてメガネを装着する。三百六十度カメラのように別のライブ会場が映し出され、周囲を人に囲まれた。僕は荷物を下ろして、試しに横へズレてみた。そこにいたはずの人が透過して、どこかへ消えていった。さすがに完璧な再現性はないらしい。館のテクノロジーならできたかもしれないと思ったけれど、さすがにSFすぎたようだ。
僕は温かいような冷たいような静かな熱気の中、ライブが始まるのを待っていた。嬉野の状況を知ろうと呼びかけても反応は無い。ノイズキャンセリングされているのだろう。
照明が落とされる。いよいよ始まるらしい。微かな光が暗闇の中に人影を作り出した。暗闇を保ったまま徐々にステージが明るくなる。そこに登場したのはロボットでもない、バーチャルでもない五人組のガールズバンドだった。
印象を観客に持たせる前にドラマーがスティックを打ちつける。
ミステリアスな雰囲気の中、一曲目が始まった。
当然、最初から飛ばしてくるのだろうと思っていた。観客の心を掴むにはその方がいい。けれど、入りはバラードだった。相当肝が据わっているというか、意表を突かれた僕は反って冷静になり、無防備な状態となった。
なるほど、こうなったら敵わない。
詩的な甘く悲哀のある歌詞がそのまま自分の中に入ってくる。ドラムが鼓動を決め、ベースが心の行先を誘導し、ギターが感情を揺さぶってきた。
かなり実力がある。
曲と心が同化し、ボーカルの演技とは思えない切実な訴えが、他人事とは思えなくなった。この放心はなんだろう。僕は今何を目の前にしているのだろう。とんでもないものを目の前にしているような気がした。
そうして一曲目が終わる。ライブ会場が今の曲で一体となったのが分かる。どこからも物音は聞こえてこなかった。
そして次の曲。これがギターをふんだんに活かしたハードロック、アッパーチューンだった。一曲目の終わりに行き場を失った心が一気に引き寄せられ、歓喜となって放出された。完全に心を掴まれる。僕はただただライブを楽しんでいた。
時間はあっという間に過ぎ去った。初めて見たバンドだったけれど、そうとは思えないほど受け入れていた。
僕は満足してメガネとイヤフォンを外した。まるでさっきまでのことが夢だったかのように静かな現実が戻ってくる。
そっか、これが現実か。
そう思い、さっさと帰ろうと思った。どこへ帰るのだろうか。今なら館の自室でもいい。そんな気がした。
けれど、帰ろうにも帰られないことに気が付く。入り口が一つなら出口も一つしかないことは当然のことだけれど、そうではなく、嬉野がまだVR空間に取り残されていたのだ。
「嬉野?」
そう呼びかけても反応がない。まだライブが終わっていないのだろうか。そう思って出口近くの階段に座ってしばらく待ってみた。すると嬉野がメガネを外して、辺りをきょろきょろと見回した。
余韻が続いているのだろうか。動きに緩慢さがあった。
「早かったんだな。途中で見るのを止めたのか?」
「いや、最後まで見た。違うものを見てたのかな。こっちは五人組のガールズバンドだったけど」
「俺もそうだ。ボーカルの髪はグレーだったか?」
「そう」
それなら同じバンドのライブを見ていたのだろう。ということは別日のライブを見たのかもしれない。なぜ見たライブが違ったのだろうか。例えば僕は右にあったメガネを取った。左を取っていればどうなっていたのか。もしライブハウスを出て景色が変わらなかった場合、その違いを検討しなければならない。子ども騙し。どこかにそれがあるはずだ。
けれど、ライブハウスを出るとそれも杞憂だったことが分かる。部屋ごとどこかに移動したのだろうか。ライブハウスを出ると螺旋階段が続いていた。
「ようやく終わるのか」
「どうだろう」
そう思いたいのは分かるけれど、自分たちの置かれた状況が分からないのだ。まだ続く可能性があった。
「とにかく進むしかない」
「ああ」
僕たちは階段を上り始めた。
ライブハウスは数百人キャパの広さだった。あまり広いとは言えないけれど、二人だけだとそれもそれで持て余しているようで居心地の悪さがあった。
ステージには楽器が用意されている。ロックバンドが使用していたのだろうか。あるいはこれからステージがあるのかもしれない。暖色の薄明かりがそれらを晒していた。
ステージの前、最前列に背の高い丸テーブルが二つある。近づいてみればメガネの形をした機械、恐らくVR機とワイヤレスイヤフォンが置かれていた。
「さすがに人が出てくるなんてことはないか」
「出てきてもロボットだっただろうね」
「館のロボットなんか出てきたら興醒めだな。スクリーンがあるならそれもそれで面白そうだが」
特に指示はなくとも、僕たちはイヤフォンをしてメガネを装着する。三百六十度カメラのように別のライブ会場が映し出され、周囲を人に囲まれた。僕は荷物を下ろして、試しに横へズレてみた。そこにいたはずの人が透過して、どこかへ消えていった。さすがに完璧な再現性はないらしい。館のテクノロジーならできたかもしれないと思ったけれど、さすがにSFすぎたようだ。
僕は温かいような冷たいような静かな熱気の中、ライブが始まるのを待っていた。嬉野の状況を知ろうと呼びかけても反応は無い。ノイズキャンセリングされているのだろう。
照明が落とされる。いよいよ始まるらしい。微かな光が暗闇の中に人影を作り出した。暗闇を保ったまま徐々にステージが明るくなる。そこに登場したのはロボットでもない、バーチャルでもない五人組のガールズバンドだった。
印象を観客に持たせる前にドラマーがスティックを打ちつける。
ミステリアスな雰囲気の中、一曲目が始まった。
当然、最初から飛ばしてくるのだろうと思っていた。観客の心を掴むにはその方がいい。けれど、入りはバラードだった。相当肝が据わっているというか、意表を突かれた僕は反って冷静になり、無防備な状態となった。
なるほど、こうなったら敵わない。
詩的な甘く悲哀のある歌詞がそのまま自分の中に入ってくる。ドラムが鼓動を決め、ベースが心の行先を誘導し、ギターが感情を揺さぶってきた。
かなり実力がある。
曲と心が同化し、ボーカルの演技とは思えない切実な訴えが、他人事とは思えなくなった。この放心はなんだろう。僕は今何を目の前にしているのだろう。とんでもないものを目の前にしているような気がした。
そうして一曲目が終わる。ライブ会場が今の曲で一体となったのが分かる。どこからも物音は聞こえてこなかった。
そして次の曲。これがギターをふんだんに活かしたハードロック、アッパーチューンだった。一曲目の終わりに行き場を失った心が一気に引き寄せられ、歓喜となって放出された。完全に心を掴まれる。僕はただただライブを楽しんでいた。
時間はあっという間に過ぎ去った。初めて見たバンドだったけれど、そうとは思えないほど受け入れていた。
僕は満足してメガネとイヤフォンを外した。まるでさっきまでのことが夢だったかのように静かな現実が戻ってくる。
そっか、これが現実か。
そう思い、さっさと帰ろうと思った。どこへ帰るのだろうか。今なら館の自室でもいい。そんな気がした。
けれど、帰ろうにも帰られないことに気が付く。入り口が一つなら出口も一つしかないことは当然のことだけれど、そうではなく、嬉野がまだVR空間に取り残されていたのだ。
「嬉野?」
そう呼びかけても反応がない。まだライブが終わっていないのだろうか。そう思って出口近くの階段に座ってしばらく待ってみた。すると嬉野がメガネを外して、辺りをきょろきょろと見回した。
余韻が続いているのだろうか。動きに緩慢さがあった。
「早かったんだな。途中で見るのを止めたのか?」
「いや、最後まで見た。違うものを見てたのかな。こっちは五人組のガールズバンドだったけど」
「俺もそうだ。ボーカルの髪はグレーだったか?」
「そう」
それなら同じバンドのライブを見ていたのだろう。ということは別日のライブを見たのかもしれない。なぜ見たライブが違ったのだろうか。例えば僕は右にあったメガネを取った。左を取っていればどうなっていたのか。もしライブハウスを出て景色が変わらなかった場合、その違いを検討しなければならない。子ども騙し。どこかにそれがあるはずだ。
けれど、ライブハウスを出るとそれも杞憂だったことが分かる。部屋ごとどこかに移動したのだろうか。ライブハウスを出ると螺旋階段が続いていた。
「ようやく終わるのか」
「どうだろう」
そう思いたいのは分かるけれど、自分たちの置かれた状況が分からないのだ。まだ続く可能性があった。
「とにかく進むしかない」
「ああ」
僕たちは階段を上り始めた。