5.1ある日の大川と歩田
文字数 1,846文字
5.
同じものを見るとき角度を変えて見ると違った形をしているということがある。例えば本を真上から見たとき、長方形になる。けれど斜めから見てみると、今度は直方体が現れる。
上から、下から、横から。人々は物事の視点を変えることによって、違った結果を得ることができるのだろう。逆を言えば見方を変えなければ新しい視点は得られないということでもあった。
少なくとも僕という人間は、現状主観で物事を考えている人間だった。そのことが物事の見方を固定してしまっていた。先入観から抜け出すのは難しい。つまり、大川さんとの関係において、直接的なやりとりをすることで、第三者の視点というのが失われてしまったのだ。
正直に話せば、自分でもあり得ないとは思っているけど、大川さんとの関係に恋愛感情が芽生えたのではないかと考えるときもある。
その考えに傾倒 しないのは、それにしては違和感があるからだった。もしここが館ではないのなら簡単に転がっていたにしても、飽くまで館の中。
現を抜かす暇はないし、僕から見て大川さんはそんな弱い人間には見えない。だからこの可能性は無視することができて、別の可能性を考える必要があった。
ただ、それがなかなか難しいのが本音だけれど。無視するといっても、見ないようにするだけであって、そこから消えるわけではない。気が抜けるといつの間にか見ていることもある。
だから僕は流田さんを頼ることにした。
学術エリアの三階。巨大な本棚がいくつも並ぶ書庫の隅の方に設けられたスペースで、流田さんは学術本を読んでいた。
集中する流田さんの姿はたまに見ることがある。そのつど驚愕というほど強い印象を受けるのだけれど、改めて見ると同じ人とは思えなかった。
集中の極致というか、呼吸をしているのかもどうか。まるで自然の摂理に従っているようで、非自然的な人間だとは思えなかった。
「流田さん、今いいですか?」
視線は本に下ろされたまま。
「ええ」
そう言って緩慢な動きで本を閉じた。本の閉じる音さえ聞こえてこない。流田さんの手は本の上に置かれた。
「何の用かしら」
「実は相談したいことがあって」
「あなたの趣味の相談なら遠慮させてもらうけれど」
そして拒絶するように本を開こうとする。
僕はそれを見て戸惑った。
「趣味って何の話ですか?」
「それって私の口から言わないといけないこと?」
「変なことをした覚えはありませんけど」
そう言いながら心当たりを探す。ここまで拒絶される理由。最近のことでおかしなことと言えば、そういえば……。
「もしかして、あのとき素通りしたのって……」
「さあ。知らない。悪趣味な人間なんて」
確定だった。アイマスクをした僕の前を素通りしていったのは流田さんだった。
僕は思い出したくもないことを思い出すこととなる。けれど、素通りした人物が流田さんだと分かってほっとした自分もいた。
流田さんなら話せば分かってくれるかもしれない。
「誤解だって言わせてください。実はあのとき、館について調べていました」
「前も見えずに調べ物はできないはずだけれど」
「大川さんの提案なんです。調べたのは大川さんで、僕は協力者です」
流田さんは俯瞰するように遠い眼をして動かなくなる。
「申し訳ないけど、ひすいと不審者のあなたの言葉のどちらを信用するのかは、当然ひすいの方なのはあなたも分かっているでしょ? あなたの言葉もまったく信用しないわけではないのよ。ただ、可能性を考えてみると、あなたが嘘を言っている可能性のほうが高い。だってそうでしょ? ひすいが館について調べているとは思えない」
やはりそこは誰もが引っかかるのだろう。大川さんが自分から館を調べるということはしない。この矛盾が流田さんに謎をもたらしたらしい。
「だから相談に来ました」
「私がその話に時間を割く価値はあるのかしら。あなたの話がまるっきり嘘ではない証拠は」
「……例えばですけど、大川さんが僕の部屋の三階で生活を始めて一週間が過ぎます」
「あのひすいが? あなたの部屋に……?」
流田さんの表情の移り変わるのを初めて見たかもしれない。眉をひそめて険 しい顔をしていた。
「そう。分かったわ。それなら話を聞こうかしら」
そして、物憂 い表情に戻った。
正直、苦戦するだろうなと思っていた僕は拍子抜けを食らう。
「いいんですか? 自分からお願いしておいて変ですけど、この話も嘘かもしれませんよ」
「それならそれまでの話。確認してすぐに分かるような嘘はあなたはつかないもの」
同じものを見るとき角度を変えて見ると違った形をしているということがある。例えば本を真上から見たとき、長方形になる。けれど斜めから見てみると、今度は直方体が現れる。
上から、下から、横から。人々は物事の視点を変えることによって、違った結果を得ることができるのだろう。逆を言えば見方を変えなければ新しい視点は得られないということでもあった。
少なくとも僕という人間は、現状主観で物事を考えている人間だった。そのことが物事の見方を固定してしまっていた。先入観から抜け出すのは難しい。つまり、大川さんとの関係において、直接的なやりとりをすることで、第三者の視点というのが失われてしまったのだ。
正直に話せば、自分でもあり得ないとは思っているけど、大川さんとの関係に恋愛感情が芽生えたのではないかと考えるときもある。
その考えに
現を抜かす暇はないし、僕から見て大川さんはそんな弱い人間には見えない。だからこの可能性は無視することができて、別の可能性を考える必要があった。
ただ、それがなかなか難しいのが本音だけれど。無視するといっても、見ないようにするだけであって、そこから消えるわけではない。気が抜けるといつの間にか見ていることもある。
だから僕は流田さんを頼ることにした。
学術エリアの三階。巨大な本棚がいくつも並ぶ書庫の隅の方に設けられたスペースで、流田さんは学術本を読んでいた。
集中する流田さんの姿はたまに見ることがある。そのつど驚愕というほど強い印象を受けるのだけれど、改めて見ると同じ人とは思えなかった。
集中の極致というか、呼吸をしているのかもどうか。まるで自然の摂理に従っているようで、非自然的な人間だとは思えなかった。
「流田さん、今いいですか?」
視線は本に下ろされたまま。
「ええ」
そう言って緩慢な動きで本を閉じた。本の閉じる音さえ聞こえてこない。流田さんの手は本の上に置かれた。
「何の用かしら」
「実は相談したいことがあって」
「あなたの趣味の相談なら遠慮させてもらうけれど」
そして拒絶するように本を開こうとする。
僕はそれを見て戸惑った。
「趣味って何の話ですか?」
「それって私の口から言わないといけないこと?」
「変なことをした覚えはありませんけど」
そう言いながら心当たりを探す。ここまで拒絶される理由。最近のことでおかしなことと言えば、そういえば……。
「もしかして、あのとき素通りしたのって……」
「さあ。知らない。悪趣味な人間なんて」
確定だった。アイマスクをした僕の前を素通りしていったのは流田さんだった。
僕は思い出したくもないことを思い出すこととなる。けれど、素通りした人物が流田さんだと分かってほっとした自分もいた。
流田さんなら話せば分かってくれるかもしれない。
「誤解だって言わせてください。実はあのとき、館について調べていました」
「前も見えずに調べ物はできないはずだけれど」
「大川さんの提案なんです。調べたのは大川さんで、僕は協力者です」
流田さんは俯瞰するように遠い眼をして動かなくなる。
「申し訳ないけど、ひすいと不審者のあなたの言葉のどちらを信用するのかは、当然ひすいの方なのはあなたも分かっているでしょ? あなたの言葉もまったく信用しないわけではないのよ。ただ、可能性を考えてみると、あなたが嘘を言っている可能性のほうが高い。だってそうでしょ? ひすいが館について調べているとは思えない」
やはりそこは誰もが引っかかるのだろう。大川さんが自分から館を調べるということはしない。この矛盾が流田さんに謎をもたらしたらしい。
「だから相談に来ました」
「私がその話に時間を割く価値はあるのかしら。あなたの話がまるっきり嘘ではない証拠は」
「……例えばですけど、大川さんが僕の部屋の三階で生活を始めて一週間が過ぎます」
「あのひすいが? あなたの部屋に……?」
流田さんの表情の移り変わるのを初めて見たかもしれない。眉をひそめて
「そう。分かったわ。それなら話を聞こうかしら」
そして、
正直、苦戦するだろうなと思っていた僕は拍子抜けを食らう。
「いいんですか? 自分からお願いしておいて変ですけど、この話も嘘かもしれませんよ」
「それならそれまでの話。確認してすぐに分かるような嘘はあなたはつかないもの」