5.2ある日の大川と歩田
文字数 2,341文字
ということで僕たちは書庫ではなく、流田さんがよく利用しているという書斎に場所を移すことにした。
あまり本の埋められていない棚とテーブル。椅子は一つしかなかったのでもう一つはオーダーをして用意する。
そして僕はこの部屋の扉の鍵を見ていた。これが噂の藤堂さんに壊された鍵なのだろう。以前、流田さんが鍵をかけてこの部屋で本を読んでいると、藤堂さんがやってきて、それを無視した流田さんは、藤堂さんに鍵を壊されたという話があった。
それ以来、流田さんは鍵をかけずにこの部屋を利用していると本人が言っていった。いわく「壊れる鍵に鍵の機能はもやは皆無 」ということだった。
正面では流田さんが机の上で指を絡ませて座っている。いつ話し出していいのか分からない空気感。待っていてもこのまま時間が過ぎていくような気がしたので、僕は「とりあえず最初からあったことを話します」と言って過去にあったことを細かく話すことにした。
「……というわけで、だからアイマスクをしてあそこに立っていたんですけど」
流田さんから反応が返ってこない。
「あなたの部屋に来てからのことがまだよ」
「そうでした」と言って僕は大川さんが部屋に来てからのことを話し始めた。
とはいえ、これについてはほとんど話すことはない。初日を除けば食事の用意と部屋の出入りでしか会っていないのだから、話はすぐに終わった。
そして僕は「どう思いますか?」と尋ねる。
「大変そうね」
「分からないというのが正確なところです」
「あなたではなく、ひすいの方よ」
僕は考えを巡らせた。まるで流田さんは、今の話を聞いておおよそのことが分かったかのような口ぶりだった。
「歩田くんは右利き?」
「そうですけど。それがどうかしましたか?」
「いえ、個人的に気になっただけ。恐らく意味はないわ」
そう言って興味を無くしたように流田さんは「そうね」と言った。
「まずは暗黙の了解となっていることから確認しようと思うのだけれど」
「ええ」と僕。
「そもそもひすいって館について調べるような人だったかしら」
僕はリラクゼーションエリアでマッサージチェアに座る大川さんの姿を思い出した。それから自分の背中が痒くなったことを思い出し、それでも隣でマッサージを堪能する大川さんを思い出す。
「……僕の知る限りでは二番目に遠い人だと思います。むしろ出たがらないのが大川さんです。それほど満喫されているように見えるので」
「そうね。補足するなら、まったく考えていないわけではないみたいね。たまに館のことについて話すけれど、ある程度は考えているみたい。問題はそれを行動に起こしたということ」
「そのきっかけがどうしても……」
流田さんは「誰が悪いとは言えないわ」と言った。
「あなたからしてみればこの可能性も残っているものね。ひすいがあなたを好きになった可能性」
僕は動揺を隠せず、身体が緊張する。
「否定はできないわ。他の可能性が無かったら、私としてもその可能性の方が高いと思うもの。ただ、今は他の可能性が見えているから無視できるのよ。なら、どんな可能性かって話よね」
僕は固唾 を吞んだ。
「あなたとひすいの話の中で不自然なことが一点だけあったと思わない?」
「不自然なこと……」
考えるけれど思いつかない。
「私も推測でしかないわ。偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。けれど、タッチパネル。彼女、触ろうとしなかったでしょ」
その一言で過去の記憶を細部まで思い出す。
言われてみればそうだったかもしれない。アイマスクをしたまま注文したときも、その後の飲み物のオーダーも、そして唯一部屋に来た時は触ったけれど、そのあとに登録を断られたのも、大川さんはタッチパネルを使っていない。
ということは。
「もしかして使えない……ってことですか?」
「その可能性は充分にあるわね」
僕はその情報が与えられ、起きたことについて考えさせられた。
大川さんはタッチパネルが使えないことを隠している。そして使えないということは館の権限を剥奪 されたようなものだった。
もし、自分がその立場になったら? 怒るかもしれないし、諦めて呆然とするのかもしれない。すると今度は館から出ることを考える。僕たちが閉じ込められている事実、権限を剥奪された事実。この点と点を繋げると、無情、つまり感情の無い世界というのも導き出されるのかもしれない。
……私は嘘つき、か。
「これは大事なことなのだけれど」
「なんでしょうか」流田さんを見る。
「話を聞いている限り、館に対する検証は副次的なものだったことは間違いないわ。それに展示場だけの食事だけでは飽きるものね。たまには温かいものを食べたい気持ちも分かる」
僕は流田さんの話に集中する。
「ただ、その程度のことだったら、話しても良さそうだと思わない? わざわざ隠して食事をする必要はないと思うの。どうしてタッチパネルが使えないと素直に言えなかったのか。そこは気になるから伝えておくわ」
「……言われてみると変ですね。それってまだ何かを隠しているってことですよね」
「むしろ、こっちこそが本命だと思うけれど」
僕はその理由について考えた。また難問がやってきた。
すると流田さんは微笑して
「あなたの悪い癖。この場合、超能力者でない限り考えるよりも本人に直接聞いたほうが早いと思うの。あなたがするのはひすいに今の話をすること。そういうわけだから、早いところ行ってくれない? でないと、私がここから出られないから」
そう言われたので慌てて僕は立ち上がった。そして一言お礼を言うと書斎を後にする。
僕は自室に戻る道中、大川さんに話す内容をまとめる。もっとも長い話をする必要はないのだろう。何が必要で、何が不要か。それを考えた。
あまり本の埋められていない棚とテーブル。椅子は一つしかなかったのでもう一つはオーダーをして用意する。
そして僕はこの部屋の扉の鍵を見ていた。これが噂の藤堂さんに壊された鍵なのだろう。以前、流田さんが鍵をかけてこの部屋で本を読んでいると、藤堂さんがやってきて、それを無視した流田さんは、藤堂さんに鍵を壊されたという話があった。
それ以来、流田さんは鍵をかけずにこの部屋を利用していると本人が言っていった。いわく「壊れる鍵に鍵の機能はもやは
正面では流田さんが机の上で指を絡ませて座っている。いつ話し出していいのか分からない空気感。待っていてもこのまま時間が過ぎていくような気がしたので、僕は「とりあえず最初からあったことを話します」と言って過去にあったことを細かく話すことにした。
「……というわけで、だからアイマスクをしてあそこに立っていたんですけど」
流田さんから反応が返ってこない。
「あなたの部屋に来てからのことがまだよ」
「そうでした」と言って僕は大川さんが部屋に来てからのことを話し始めた。
とはいえ、これについてはほとんど話すことはない。初日を除けば食事の用意と部屋の出入りでしか会っていないのだから、話はすぐに終わった。
そして僕は「どう思いますか?」と尋ねる。
「大変そうね」
「分からないというのが正確なところです」
「あなたではなく、ひすいの方よ」
僕は考えを巡らせた。まるで流田さんは、今の話を聞いておおよそのことが分かったかのような口ぶりだった。
「歩田くんは右利き?」
「そうですけど。それがどうかしましたか?」
「いえ、個人的に気になっただけ。恐らく意味はないわ」
そう言って興味を無くしたように流田さんは「そうね」と言った。
「まずは暗黙の了解となっていることから確認しようと思うのだけれど」
「ええ」と僕。
「そもそもひすいって館について調べるような人だったかしら」
僕はリラクゼーションエリアでマッサージチェアに座る大川さんの姿を思い出した。それから自分の背中が痒くなったことを思い出し、それでも隣でマッサージを堪能する大川さんを思い出す。
「……僕の知る限りでは二番目に遠い人だと思います。むしろ出たがらないのが大川さんです。それほど満喫されているように見えるので」
「そうね。補足するなら、まったく考えていないわけではないみたいね。たまに館のことについて話すけれど、ある程度は考えているみたい。問題はそれを行動に起こしたということ」
「そのきっかけがどうしても……」
流田さんは「誰が悪いとは言えないわ」と言った。
「あなたからしてみればこの可能性も残っているものね。ひすいがあなたを好きになった可能性」
僕は動揺を隠せず、身体が緊張する。
「否定はできないわ。他の可能性が無かったら、私としてもその可能性の方が高いと思うもの。ただ、今は他の可能性が見えているから無視できるのよ。なら、どんな可能性かって話よね」
僕は
「あなたとひすいの話の中で不自然なことが一点だけあったと思わない?」
「不自然なこと……」
考えるけれど思いつかない。
「私も推測でしかないわ。偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。けれど、タッチパネル。彼女、触ろうとしなかったでしょ」
その一言で過去の記憶を細部まで思い出す。
言われてみればそうだったかもしれない。アイマスクをしたまま注文したときも、その後の飲み物のオーダーも、そして唯一部屋に来た時は触ったけれど、そのあとに登録を断られたのも、大川さんはタッチパネルを使っていない。
ということは。
「もしかして使えない……ってことですか?」
「その可能性は充分にあるわね」
僕はその情報が与えられ、起きたことについて考えさせられた。
大川さんはタッチパネルが使えないことを隠している。そして使えないということは館の権限を
もし、自分がその立場になったら? 怒るかもしれないし、諦めて呆然とするのかもしれない。すると今度は館から出ることを考える。僕たちが閉じ込められている事実、権限を剥奪された事実。この点と点を繋げると、無情、つまり感情の無い世界というのも導き出されるのかもしれない。
……私は嘘つき、か。
「これは大事なことなのだけれど」
「なんでしょうか」流田さんを見る。
「話を聞いている限り、館に対する検証は副次的なものだったことは間違いないわ。それに展示場だけの食事だけでは飽きるものね。たまには温かいものを食べたい気持ちも分かる」
僕は流田さんの話に集中する。
「ただ、その程度のことだったら、話しても良さそうだと思わない? わざわざ隠して食事をする必要はないと思うの。どうしてタッチパネルが使えないと素直に言えなかったのか。そこは気になるから伝えておくわ」
「……言われてみると変ですね。それってまだ何かを隠しているってことですよね」
「むしろ、こっちこそが本命だと思うけれど」
僕はその理由について考えた。また難問がやってきた。
すると流田さんは微笑して
「あなたの悪い癖。この場合、超能力者でない限り考えるよりも本人に直接聞いたほうが早いと思うの。あなたがするのはひすいに今の話をすること。そういうわけだから、早いところ行ってくれない? でないと、私がここから出られないから」
そう言われたので慌てて僕は立ち上がった。そして一言お礼を言うと書斎を後にする。
僕は自室に戻る道中、大川さんに話す内容をまとめる。もっとも長い話をする必要はないのだろう。何が必要で、何が不要か。それを考えた。