2.3嬉野と歩田の画策
文字数 3,040文字
猫飼さんが戻ってきたのはすぐのことだった。フェイスシールドと丸い電動カッターを持って出てきた。
「初めて見ました」
「危なそう」
「危険と言えば危険だね。だから離れてて欲しい」
そう言って猫飼さんは「すぐにでも取り掛かるけど」と続けた。僕は「お願いします」と答える。
猫飼さんはへたり込んでいる嬉野と藤堂さんへと近づいて行った。それに気づいた二人は顔を上げる。嬉野は安堵の表情、藤堂さんは不機嫌な表情を見せていた。
「おいおい、それは反則ってもんじゃねえの?」
「こんだけやったんだから秘密兵器ぐらい出してきたっていいだろ」
「そう、秘密兵器。壊すから離れてて」
嬉野は指示に従いすぐに立ち上がった。藤堂さんは不承不承といった感じだ。
猫飼さんはカッターを作動させる。期待に満ちた静けさのはずだけれど、駆動音の無機質さが少しの寂しさとなって反響する。
切断が始まった。辺りに火花を散らせ、金属と金属が擦れ合う甲高い音が聞こえてきた。順調にいっているのだろう。下から徐々に上へとカッターが移動していった。次は横。そして上から下へ。
機械音が止まるとカランと音がした。猫飼さんが立ち上がり横にずれると、そこにはなんとか人が通れるぐらいの穴が開いていた。
真っ先に反応したのは藤堂さんだった。
「うわ、すっげえ。本当に開いちまった。なあ、早く先行こうぜ。何があるんだろうな」
そう言って穴を指さす。
対して猫飼さんは「僕はこれで」と言って退散していった。作業の続きに戻るのだろう。十番目の扉の正体よりも取り組んでいることへの興味のほうが強いらしい。
その間に藤堂さんは穴をくぐっていた。扉の向こうから顔を覗かせ「早く来いよ」と言ってくる。
嬉野、僕、椎名さんの順で穴へくぐった。
くぐった先はいつも見ていた光景だった。つまりリノリウムの通路を行った先にエレベーターの扉。やはり十番目とはいえ他の部屋と同じ構造になっているのだろうか。
僕たちは迷いなくエレベーターへと乗り込む。
「二階と三階があるな」藤堂さんは言った。
「俺と歩田はニ階に行くから藤堂と椎名は三階を探索する、これでどうだ?」嬉野はそう提案する。
「了解」「分かりました」とそれぞれ反応すると「んじゃ行くか」と藤堂さんは二階と三階のボタンを押した。
重力を感じ、まもなく二階に着く。扉が開くと、藤堂さんが「探索が終わったら一階で情報交換な」と言い、僕と嬉野の二人はエレベーターから降りた。背後で扉の閉まる音がして、エレベーターの作動する音が聞こえてくる。
改めて静かになったところで僕はあたりを観察した。やはり見慣れた光景だった。短い通路があり、途中からフローリングに変わる。その手前には靴を脱ぐ段差があり、右手側には下駄箱もあった。段差の先には引き戸の扉。どうみても自室と違わない。嬉野も同じ感想のようで「そうだよなあ。途中までは期待してたんだが」と独り言ちた。
「とりあえず行ってみよう。それまでは何があるか分からない」
僕がそう言うと嬉野が「そうだな」と言って靴を脱ぎ始める。引き戸を開きその向こう側を確かめた。
そこは何も無い空間だった。僕の部屋との違いはベッドが無いこと、掃除ロボットが無いことぐらいだろう。それ以外はまったく同じ。白い壁、茶のフローリング、そしてタッチパネル。
調べるまでも無い。見た通りの部屋だった。
僕はタッチパネルへと近づく。試しに画面を押してみた。権限が無いと忠告される。
「なにしてるんだ?」
「操作できるのか気になっただけ。それにタッチパネルの右上、そこに権限者の名前が表示されると思うけど、ここがどうなっているのかも気になった」
「言われてみればそうだな。どうなってるんだ?」
「名前は何も書かれていない。空白。操作の方は権限なし」
「ということは十人目の存在は否定されたわけか」
そういうことなのだろう。十部屋ということは、それなりの月日が流れても、一度も部屋から出てこなかった人物も想定できた。それがこうして否定されたわけだ。
「それにしても権限無し、か」
「何が引っかかるんだ?」
「どうして誰が操作しているのか分かるんだろう」
「ん、それは……どうしてだ?」
「指紋認証の可能性とカメラがある可能性」
どちらかといえばカメラの可能性寄りだろう。指紋認証の場合、例えば人差し指以外で押すとどうなるのだろうか。親指は確か押せたはずだ。手の指は問題ない。では、足なら? 顎なら? これは試してみれば分かる。これができればやはりカメラで認証するシステムになっているのだろう。
「気になるのはこれぐらいかな」僕は嬉野にそう言う。
「やっぱり何も無かったな」
「まだもう一つ扉がある」
「今日はここまでだな。もう一つの扉はさすがに無理だ。体力が無い」
というわけで僕たちは退散してエレベーターに乗り込み、一階へと降りた。
そこにはすでに藤堂さんと椎名さんの姿があった。
「遅い。何してたんだ? まさか何かあったのか?」
「いや、何も無かった」と嬉野が答える。
「だったら早く下りて来いよ。何すりゃそんなに時間が使えるんだ。あんな何も無い所で二人で」
「別に何をしていたっていいだろ。タッチパネルを調べてたんだよ」
「そんなもん調べて何がある」
「気にならないか? 名前と操作権限が誰にあるのか」
「ん、そういや……どうなってるんだ?」
それから嬉野は名前がないこと、操作権限がないことを伝えた。藤堂さんの嬉々とした表情が段々と曇って行く。
「それって要するに収穫無しってことだろ?」
「どうだろうな。歩田なら千手先は読んでるはずだ」
「いや、何も考えてないよ」
「だってさ」
そして藤堂さんは「あーあ」と言う。
「ま、ここまで訳の分からねえ場所に閉じ込められて、これで脱出できるなんて言われちゃ、それこそ興覚めか。これで良いのか悪いのか」
心底残念そうにそう言った藤堂さんに対して嬉野がすかさず「藤堂、まだあるだろ」と言う。
「何のことだ?」
「ゲームエリア、景品交換横の扉だ。あそこはまだ調べていない」
そう嬉野が言うと時が止まったかのようにこの場所が静寂で満ちた。
何の沈黙だろうか。サイコロを振って転がっているのを見ているときのような気分だった。出た目は……。
「嬉野、歩田。あそこには手を出すな」
怒気を含ませた口調だった。
「何か知ってるのか?」嬉野が問い詰める。
「うるせえな。何も知らねえよ。とにかく、あそこだけは絶対に手を出すな。さもないと――」
「さもないとなんだよ」
「知らねえ、知らねえ。あたしは何も知らねえ。あたしは何も聞かなかった。都合の悪いことは即刻デリート。んで、何の話だっけか? 蜜柑は木になるのかどうかの話か? そういや、蜜柑が木から落ちる瞬間って見たことが無いよな。興味ない? あ、そう。椎名、行こうぜ。ここにいると虫歯になる」
そう言って藤堂さんと椎名さんは穴から出ていった。
残された僕たちは面食らっていて何も話せずにいた。
「なんだったんだろうな」
「見事に地雷を踏み抜いたね」
「とりあえずあの扉はやばいってことは分かったが」
「どうする。調べてもいいけど」
「殺されたいのか」
「ま、避けるのが吉かな」
そういうわけで僕たちも穴から出ることにし、当てもなく歩き始めた。
「今日はこのぐらいにするか」嬉野はそう言う。それから続けて、「歩田、風呂行かないか?」と言った。腕時計で時刻を確認する。まだ昼過ぎだったけれど温泉へ行くことにした。
「初めて見ました」
「危なそう」
「危険と言えば危険だね。だから離れてて欲しい」
そう言って猫飼さんは「すぐにでも取り掛かるけど」と続けた。僕は「お願いします」と答える。
猫飼さんはへたり込んでいる嬉野と藤堂さんへと近づいて行った。それに気づいた二人は顔を上げる。嬉野は安堵の表情、藤堂さんは不機嫌な表情を見せていた。
「おいおい、それは反則ってもんじゃねえの?」
「こんだけやったんだから秘密兵器ぐらい出してきたっていいだろ」
「そう、秘密兵器。壊すから離れてて」
嬉野は指示に従いすぐに立ち上がった。藤堂さんは不承不承といった感じだ。
猫飼さんはカッターを作動させる。期待に満ちた静けさのはずだけれど、駆動音の無機質さが少しの寂しさとなって反響する。
切断が始まった。辺りに火花を散らせ、金属と金属が擦れ合う甲高い音が聞こえてきた。順調にいっているのだろう。下から徐々に上へとカッターが移動していった。次は横。そして上から下へ。
機械音が止まるとカランと音がした。猫飼さんが立ち上がり横にずれると、そこにはなんとか人が通れるぐらいの穴が開いていた。
真っ先に反応したのは藤堂さんだった。
「うわ、すっげえ。本当に開いちまった。なあ、早く先行こうぜ。何があるんだろうな」
そう言って穴を指さす。
対して猫飼さんは「僕はこれで」と言って退散していった。作業の続きに戻るのだろう。十番目の扉の正体よりも取り組んでいることへの興味のほうが強いらしい。
その間に藤堂さんは穴をくぐっていた。扉の向こうから顔を覗かせ「早く来いよ」と言ってくる。
嬉野、僕、椎名さんの順で穴へくぐった。
くぐった先はいつも見ていた光景だった。つまりリノリウムの通路を行った先にエレベーターの扉。やはり十番目とはいえ他の部屋と同じ構造になっているのだろうか。
僕たちは迷いなくエレベーターへと乗り込む。
「二階と三階があるな」藤堂さんは言った。
「俺と歩田はニ階に行くから藤堂と椎名は三階を探索する、これでどうだ?」嬉野はそう提案する。
「了解」「分かりました」とそれぞれ反応すると「んじゃ行くか」と藤堂さんは二階と三階のボタンを押した。
重力を感じ、まもなく二階に着く。扉が開くと、藤堂さんが「探索が終わったら一階で情報交換な」と言い、僕と嬉野の二人はエレベーターから降りた。背後で扉の閉まる音がして、エレベーターの作動する音が聞こえてくる。
改めて静かになったところで僕はあたりを観察した。やはり見慣れた光景だった。短い通路があり、途中からフローリングに変わる。その手前には靴を脱ぐ段差があり、右手側には下駄箱もあった。段差の先には引き戸の扉。どうみても自室と違わない。嬉野も同じ感想のようで「そうだよなあ。途中までは期待してたんだが」と独り言ちた。
「とりあえず行ってみよう。それまでは何があるか分からない」
僕がそう言うと嬉野が「そうだな」と言って靴を脱ぎ始める。引き戸を開きその向こう側を確かめた。
そこは何も無い空間だった。僕の部屋との違いはベッドが無いこと、掃除ロボットが無いことぐらいだろう。それ以外はまったく同じ。白い壁、茶のフローリング、そしてタッチパネル。
調べるまでも無い。見た通りの部屋だった。
僕はタッチパネルへと近づく。試しに画面を押してみた。権限が無いと忠告される。
「なにしてるんだ?」
「操作できるのか気になっただけ。それにタッチパネルの右上、そこに権限者の名前が表示されると思うけど、ここがどうなっているのかも気になった」
「言われてみればそうだな。どうなってるんだ?」
「名前は何も書かれていない。空白。操作の方は権限なし」
「ということは十人目の存在は否定されたわけか」
そういうことなのだろう。十部屋ということは、それなりの月日が流れても、一度も部屋から出てこなかった人物も想定できた。それがこうして否定されたわけだ。
「それにしても権限無し、か」
「何が引っかかるんだ?」
「どうして誰が操作しているのか分かるんだろう」
「ん、それは……どうしてだ?」
「指紋認証の可能性とカメラがある可能性」
どちらかといえばカメラの可能性寄りだろう。指紋認証の場合、例えば人差し指以外で押すとどうなるのだろうか。親指は確か押せたはずだ。手の指は問題ない。では、足なら? 顎なら? これは試してみれば分かる。これができればやはりカメラで認証するシステムになっているのだろう。
「気になるのはこれぐらいかな」僕は嬉野にそう言う。
「やっぱり何も無かったな」
「まだもう一つ扉がある」
「今日はここまでだな。もう一つの扉はさすがに無理だ。体力が無い」
というわけで僕たちは退散してエレベーターに乗り込み、一階へと降りた。
そこにはすでに藤堂さんと椎名さんの姿があった。
「遅い。何してたんだ? まさか何かあったのか?」
「いや、何も無かった」と嬉野が答える。
「だったら早く下りて来いよ。何すりゃそんなに時間が使えるんだ。あんな何も無い所で二人で」
「別に何をしていたっていいだろ。タッチパネルを調べてたんだよ」
「そんなもん調べて何がある」
「気にならないか? 名前と操作権限が誰にあるのか」
「ん、そういや……どうなってるんだ?」
それから嬉野は名前がないこと、操作権限がないことを伝えた。藤堂さんの嬉々とした表情が段々と曇って行く。
「それって要するに収穫無しってことだろ?」
「どうだろうな。歩田なら千手先は読んでるはずだ」
「いや、何も考えてないよ」
「だってさ」
そして藤堂さんは「あーあ」と言う。
「ま、ここまで訳の分からねえ場所に閉じ込められて、これで脱出できるなんて言われちゃ、それこそ興覚めか。これで良いのか悪いのか」
心底残念そうにそう言った藤堂さんに対して嬉野がすかさず「藤堂、まだあるだろ」と言う。
「何のことだ?」
「ゲームエリア、景品交換横の扉だ。あそこはまだ調べていない」
そう嬉野が言うと時が止まったかのようにこの場所が静寂で満ちた。
何の沈黙だろうか。サイコロを振って転がっているのを見ているときのような気分だった。出た目は……。
「嬉野、歩田。あそこには手を出すな」
怒気を含ませた口調だった。
「何か知ってるのか?」嬉野が問い詰める。
「うるせえな。何も知らねえよ。とにかく、あそこだけは絶対に手を出すな。さもないと――」
「さもないとなんだよ」
「知らねえ、知らねえ。あたしは何も知らねえ。あたしは何も聞かなかった。都合の悪いことは即刻デリート。んで、何の話だっけか? 蜜柑は木になるのかどうかの話か? そういや、蜜柑が木から落ちる瞬間って見たことが無いよな。興味ない? あ、そう。椎名、行こうぜ。ここにいると虫歯になる」
そう言って藤堂さんと椎名さんは穴から出ていった。
残された僕たちは面食らっていて何も話せずにいた。
「なんだったんだろうな」
「見事に地雷を踏み抜いたね」
「とりあえずあの扉はやばいってことは分かったが」
「どうする。調べてもいいけど」
「殺されたいのか」
「ま、避けるのが吉かな」
そういうわけで僕たちも穴から出ることにし、当てもなく歩き始めた。
「今日はこのぐらいにするか」嬉野はそう言う。それから続けて、「歩田、風呂行かないか?」と言った。腕時計で時刻を確認する。まだ昼過ぎだったけれど温泉へ行くことにした。