3.3ある日の大川と歩田
文字数 2,342文字
「最初に言っておくけれど、私は噓つきだよ」
大川さんの話はその一言から始まった。
「順を追って昨日のことから話そうか」
手で頬を支えるのを止め、人差し指で机を叩き始めた。周期は鼓動のようにゆっくりだ。
「私の行動はすべてある仮説をもとに組み立てられている。例えば、昨日は館を壊した」
頷くまでもない事実だった。一応「そうですね」と相槌を打つ。
「どうして壊そうと思ったのか。何かを探していたと言ったよね。歩田くんは音を探知する装置だって言ったんだ。これは半分正解。本当はカメラを探していた」
それがもう一つの正解。つまり、視覚情報。
かつて僕はこの館のことを実験場だと言った。実験場ならばどこかで常に監視しているはずだった。そうなるとカメラが必要になる。そのカメラは館で過ごしていてどこにもなかった。
ただ…… この可能性を考えると、次は別の問題が満たされなくなる。なぜ水族館なのか? 視覚情報の無効化。だから僕はカメラの可能性を捨てることにしたのだ。正解の道を示されても僕は不安定に歩いていた。
「結果はさっき言ってくれた通り、何も見つからなかった」
そう言うと大川さんは眉間に皺 を寄せた。
「正直、そこで考えるのを止めればよかったんだよね。でも、考えてしまったんだからしょうがない。壁を壊したからと言って本当にカメラは無いと言えるのかな? この館を実験場だと見たときカメラは絶対に必要となる。では、そのカメラはどこに?」
そう問いかけられたので、僕は想像を働かせた。壁、天井、床、ロボット……ロボット。
「ロボットですか」
「いや、ロボットは違うんじゃないかな。完全な否定はできないよ。ただここにロボットがいないって指摘したよね。そして私は嘘をついたんだ。そもそもロボットなんかに追いかけられていない」
僕はいろんな道を辿って、ようやく正しい道に導かれた。そもそもロボットに追いかけられていない……あの逃走劇は嘘だった?
「じゃあ」
「何が言いたいんだって話だよね。結果から言えば私の仮説は間違っていた」
僕は大川さんが続きを話すのを待った。
「話を戻すけれど、どこにカメラがあるのかって話だよね。例えばここ」
そう言って大川さんはトントンと頭を叩く。
「頭の中にカメラがあった場合」
それを聞いた僕は言葉を失った。
頭の中にカメラ……そんな非常識なことが、いや、そういえば大川さんの話の中に常識的に考えると答えに辿り着けないという話があっただろうか。
僕はコーヒーを飲む。それが現実に戻ってくる唯一の方法だった。
「バカげているでしょ。でも、疑い出したら試すしかなかった」
そして「話はまだ終わらない」と大川さんは続ける。
「倫理的にどうなのかって話だよね」
「ええ。そこが現実的じゃないところです。法治国家である以上、その可能性は実現しません」
そう言いながらどんな可能性ならこの館が実現するのだろうと思った。
「だからそこがクリアされているんだ。外の世界はどうなっているのか。私はこうだと考えた。感情を失った世界」
「感情を失った、世界」
一気に外の世界の像が作られていく。外の世界で生活ができなくなったために館に閉じこもった可能性は一度は考えたことがあった。ただ、その理由については、嬉野が言ったように大気汚染が妥当だと考えていた。
その可能性は、考えたことが無い。
「ここから考えられるストーリーはこうじゃないかな。まず科学技術が進歩した。次に効率化が求められた。人間ってどうしても感情の生き物だから、ときに不都合を起こしたりなんかした。継続は力なりって言うけれど、その継続って感情によって頓挫されるときがあるよね。人はそれを忌み嫌った。その結果、人間は感情を捨てる選択を選んだんだ」
「さすがに、それは」
「良くなかったんだろうね。だから感情を持っている私たちを閉じ込めて観察を始めたんだ。少なくとも私はそう思った」
……アイマスク、カメラ、デート。
人間は対人関係において感情を出すことが多い。つまり、人の感情を観察するとき、最も効率が良いのは人の目を借りることだった。
僕たちはそれを遮断したのだ。そして声からただならないことを館側は察知してロボットに対処させる。
ずっと見えなかった部分が鮮明になっていく。大川さんの行動のすべてに理由があった。
「その結果はこの通り。完全に否定されたわけだけど」
ロボットがいないから否定できる。
それ聞いてほっとした。嫌な汗をかいた気がする。世界は無情ではなかった。世界に親切心はあった。世界はやはり正常だった。
「私の考えたのはここまで。万事解決というわけだね」
大川さんは肩を使ってほっと一息つく。
僕もそうしたいところだった。
けれど僕は、では? と考えていた。
安心して次の思考が開始される。思い出したのは藤堂さんの言葉だった。空想に囚われていた思考が徐々に現実を見始める。
おかしいのは大川さんのほう。
そういえばおかしい。どうして大川さんはそんなことを考えたのだろう。大川さんは館に対して能動的か受動的かでいえば受動的なタイプだった。それどころか、脱出に対してやや否定的でさえあった。館について考えることはあっても実際行動するとは思えない。
確かに変だ。だから僕は聞かずにはいられなかった。
「あの、大川さん」
「なに?」
「僕には大川さんがとても普通だとは思えません。なぜそんなことを思いついたのか、その理由です。何かありましたか」
そう言うと大川さんの表情が一瞬だけ崩れた。引きつっていて、今にも泣きだしそうな、そんな表情だった。
そしてため息が聞こえてくる。
「歩田くん。お願いがあるのだけれど」
「はい」
「少しの間、歩田くんの部屋に泊めてくれないかな」
大川さんの話はその一言から始まった。
「順を追って昨日のことから話そうか」
手で頬を支えるのを止め、人差し指で机を叩き始めた。周期は鼓動のようにゆっくりだ。
「私の行動はすべてある仮説をもとに組み立てられている。例えば、昨日は館を壊した」
頷くまでもない事実だった。一応「そうですね」と相槌を打つ。
「どうして壊そうと思ったのか。何かを探していたと言ったよね。歩田くんは音を探知する装置だって言ったんだ。これは半分正解。本当はカメラを探していた」
それがもう一つの正解。つまり、視覚情報。
かつて僕はこの館のことを実験場だと言った。実験場ならばどこかで常に監視しているはずだった。そうなるとカメラが必要になる。そのカメラは館で過ごしていてどこにもなかった。
ただ…… この可能性を考えると、次は別の問題が満たされなくなる。なぜ水族館なのか? 視覚情報の無効化。だから僕はカメラの可能性を捨てることにしたのだ。正解の道を示されても僕は不安定に歩いていた。
「結果はさっき言ってくれた通り、何も見つからなかった」
そう言うと大川さんは眉間に
「正直、そこで考えるのを止めればよかったんだよね。でも、考えてしまったんだからしょうがない。壁を壊したからと言って本当にカメラは無いと言えるのかな? この館を実験場だと見たときカメラは絶対に必要となる。では、そのカメラはどこに?」
そう問いかけられたので、僕は想像を働かせた。壁、天井、床、ロボット……ロボット。
「ロボットですか」
「いや、ロボットは違うんじゃないかな。完全な否定はできないよ。ただここにロボットがいないって指摘したよね。そして私は嘘をついたんだ。そもそもロボットなんかに追いかけられていない」
僕はいろんな道を辿って、ようやく正しい道に導かれた。そもそもロボットに追いかけられていない……あの逃走劇は嘘だった?
「じゃあ」
「何が言いたいんだって話だよね。結果から言えば私の仮説は間違っていた」
僕は大川さんが続きを話すのを待った。
「話を戻すけれど、どこにカメラがあるのかって話だよね。例えばここ」
そう言って大川さんはトントンと頭を叩く。
「頭の中にカメラがあった場合」
それを聞いた僕は言葉を失った。
頭の中にカメラ……そんな非常識なことが、いや、そういえば大川さんの話の中に常識的に考えると答えに辿り着けないという話があっただろうか。
僕はコーヒーを飲む。それが現実に戻ってくる唯一の方法だった。
「バカげているでしょ。でも、疑い出したら試すしかなかった」
そして「話はまだ終わらない」と大川さんは続ける。
「倫理的にどうなのかって話だよね」
「ええ。そこが現実的じゃないところです。法治国家である以上、その可能性は実現しません」
そう言いながらどんな可能性ならこの館が実現するのだろうと思った。
「だからそこがクリアされているんだ。外の世界はどうなっているのか。私はこうだと考えた。感情を失った世界」
「感情を失った、世界」
一気に外の世界の像が作られていく。外の世界で生活ができなくなったために館に閉じこもった可能性は一度は考えたことがあった。ただ、その理由については、嬉野が言ったように大気汚染が妥当だと考えていた。
その可能性は、考えたことが無い。
「ここから考えられるストーリーはこうじゃないかな。まず科学技術が進歩した。次に効率化が求められた。人間ってどうしても感情の生き物だから、ときに不都合を起こしたりなんかした。継続は力なりって言うけれど、その継続って感情によって頓挫されるときがあるよね。人はそれを忌み嫌った。その結果、人間は感情を捨てる選択を選んだんだ」
「さすがに、それは」
「良くなかったんだろうね。だから感情を持っている私たちを閉じ込めて観察を始めたんだ。少なくとも私はそう思った」
……アイマスク、カメラ、デート。
人間は対人関係において感情を出すことが多い。つまり、人の感情を観察するとき、最も効率が良いのは人の目を借りることだった。
僕たちはそれを遮断したのだ。そして声からただならないことを館側は察知してロボットに対処させる。
ずっと見えなかった部分が鮮明になっていく。大川さんの行動のすべてに理由があった。
「その結果はこの通り。完全に否定されたわけだけど」
ロボットがいないから否定できる。
それ聞いてほっとした。嫌な汗をかいた気がする。世界は無情ではなかった。世界に親切心はあった。世界はやはり正常だった。
「私の考えたのはここまで。万事解決というわけだね」
大川さんは肩を使ってほっと一息つく。
僕もそうしたいところだった。
けれど僕は、では? と考えていた。
安心して次の思考が開始される。思い出したのは藤堂さんの言葉だった。空想に囚われていた思考が徐々に現実を見始める。
おかしいのは大川さんのほう。
そういえばおかしい。どうして大川さんはそんなことを考えたのだろう。大川さんは館に対して能動的か受動的かでいえば受動的なタイプだった。それどころか、脱出に対してやや否定的でさえあった。館について考えることはあっても実際行動するとは思えない。
確かに変だ。だから僕は聞かずにはいられなかった。
「あの、大川さん」
「なに?」
「僕には大川さんがとても普通だとは思えません。なぜそんなことを思いついたのか、その理由です。何かありましたか」
そう言うと大川さんの表情が一瞬だけ崩れた。引きつっていて、今にも泣きだしそうな、そんな表情だった。
そしてため息が聞こえてくる。
「歩田くん。お願いがあるのだけれど」
「はい」
「少しの間、歩田くんの部屋に泊めてくれないかな」