1.3佐伯と歩田の試み
文字数 2,328文字
それからすぐに次のゲームが始まる。僕は指を立てて、玉が行き交うのを眺めていた。
裏拍のない単調なリズムが卓球スペースに反響する。こうして見ているとだいたいの戦略が分かってきた。
二人とも相手のミスを待つ作戦に出ているらしい。自分から責めてかえってアウトになることを避けているように見えた。慎重な作戦で、神経の消耗する戦略。
それでも佐伯さんが優位にゲームを進められるのは、単純に腕が勝っているからなのだろう。大川さんからしてみれば、こういうときは相手のミスを誘いたいところだけれど。
大川さんは玉を打ち返しながら、「ねえ、叶枝は昨日の夜、何食べた?」と聞いた。
「昨日ですか?」
僕はあえて黙って見ていることにした。
「私はサバの味噌煮を食べたけど」
「そういえば、なんでしたっけ……」
佐伯さんの打ち返した玉がアウトになる。
大川さんはボールを拾いに行って、サーブを打った。
「ロールキャベツだった気がします」
律儀にゲームが始まってから佐伯さんは答える。
「いいね。ちなみに味付けは何派だったりする? トマト、コンソメとかあると思うけど」
「私はコンソメ派ですね」
「私はトマトかなあ」
そう言って大川さんは空振りをした。「あらら」と情けない声が上がった。
考えてみれば話しかけることで相手の気を逸らす作戦も、結局自分も別のところで労力を割くのだから、どう見ても諸刃の剣だった。それを理解したのかもしれない。大川さんは手櫛 をした。
「叶枝ってこうして対戦してみると結構、圧かけてくるよね」
「そうですか? そんなつもりは無かったんですけど……」
「堅実さっていうのかな。私には無い傾向だ」
佐伯さんはサーブを打つ。
二回台の上を弾んだ玉を大川さんがコートの右隅を狙うように打ち返した。ラケットの角度を見ていれば作戦を変えたらしいことが分かる。
となると今度は左隅に打つのかもしれない。そう思って見ていたけれど、大川さんは返ってきた玉を今度もまた右隅に打ち返した。
佐伯さんの利き手は右らしい。左側のボールとなると打ち返すのが難しくなるのだろう。佐伯さんは苦労してボールを打ち返した。
それが功を奏したらしい。大川さん側の指の数が増えていき、減って行く。そうして勝敗の行方が難しいゲームが始まった。
とはいえ技術的に打ち分けるという能力が大川さんにあったかと言われると、微妙なところで、入るときもあればアウトになるときもあった。それが一層ゲームを分からなくして、運要素の強い戦いとなっている。
結果は……佐伯さんの勝ちで終わったようだ。
佐伯さんが「歩田くんもやりますか?」と聞いてくる。僕は「応援する側で」と断った。
対して大川さんは片手を台につき、ラケットで扇 いでいた。
「まあ、なんていうか、卓球って難しいよね」
相当勝ちにいっていたので、負けてやや機嫌が悪いのかもしれない。
大川さんに「歩田くん」と呼ばれる。
「あとでゲームしてくれない?」
「特訓ですか?」
「いや、八百長だね」
要するにわざと負けろと言っているのだろう。「するときは連絡ください。付き合います」と言うと、機嫌を直したようだった。
そして大川さんが「んー、疲れた」と伸びをする。「私も久しぶりに運動しました」と佐伯さんは言った。
「汗って気持ち悪いよね」
「そうですね、シャワー室はどこでしたっけ?」
「温泉のほうが近いんじゃないかな」
「お風呂に入ると今日はもう寝ちゃいそうです」
「私はお風呂で寝たいけどね」
「ダメですよ。危険ですから」
大川さんはそう言われると「まあね」と言った。
うちわ代わりにしていたラケットの手が止まる。それと同時にエンジンがかかるような、切り替わりがされたことが見て分かった。
「ところで二ゲームしたけど、何か得られるものはあったの?」
何の話か分からない。
「いえ、分かりません」
「そっか。詳しいことは話せないんだよね?」
「……はい」
楽観的な大川さんと深刻に悩みだす佐伯さん。
僕は話に付いて行けず「何のことですか?」と聞いた。
「館について調べているんだって。そう言って誘われたんだ」
「館について、ですか……?」
そう佐伯さんに真偽を確かめるように聞くと、「そうなんです……」と肯定した。
その一言で状況を理解しようと思考が始まる。呑気にゲームを眺めていたけれど、裏にそんな重大なことが隠されているとは思わなかった。
僕たちは現在館に閉じ込められていた。どうして閉じ込められているのかは分からない。理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。そこまで曖昧になるのはロボットによる館の管理と、第三者の存在を匂わせない徹底した秘密主義のせいだった。
だから僕たちは見て知ったことから館の存在について推理して、ときには行動して情報を集めていた。それが今進行しているのだと佐伯さんは言ったのだ。
キーワードは卓球。館の存在と卓球の関係。それを探そうとするけれど、直感的には繋がらない。
「叶枝、こういうときは歩田くんを頼るといいよ」
僕は現実に戻ってきて顔を上げた。
「歩田くんってやつは考えるのが好きみたいだから、難しいことは任せておけばいいんじゃないかな。面白いブラックボックスなんだよ、ブラックボックス」
「いいんですか?」
「え、まあ。できる範囲にはなりますけど」
そう言うと「ぜひ、お願いします」と佐伯さんに言われた。
そして「身体が冷えるからそろそろ行こうか」と大川さんは言う。
「スコア係り、助かったよ」
「ありがとうございます」
二人は卓球スペースを後にした。
館を散歩しただけの僕は思わぬ遭遇に考え込んだ。何が行われているのだろう。ヒントは卓球とは別にもう一つあるような気がした。
裏拍のない単調なリズムが卓球スペースに反響する。こうして見ているとだいたいの戦略が分かってきた。
二人とも相手のミスを待つ作戦に出ているらしい。自分から責めてかえってアウトになることを避けているように見えた。慎重な作戦で、神経の消耗する戦略。
それでも佐伯さんが優位にゲームを進められるのは、単純に腕が勝っているからなのだろう。大川さんからしてみれば、こういうときは相手のミスを誘いたいところだけれど。
大川さんは玉を打ち返しながら、「ねえ、叶枝は昨日の夜、何食べた?」と聞いた。
「昨日ですか?」
僕はあえて黙って見ていることにした。
「私はサバの味噌煮を食べたけど」
「そういえば、なんでしたっけ……」
佐伯さんの打ち返した玉がアウトになる。
大川さんはボールを拾いに行って、サーブを打った。
「ロールキャベツだった気がします」
律儀にゲームが始まってから佐伯さんは答える。
「いいね。ちなみに味付けは何派だったりする? トマト、コンソメとかあると思うけど」
「私はコンソメ派ですね」
「私はトマトかなあ」
そう言って大川さんは空振りをした。「あらら」と情けない声が上がった。
考えてみれば話しかけることで相手の気を逸らす作戦も、結局自分も別のところで労力を割くのだから、どう見ても諸刃の剣だった。それを理解したのかもしれない。大川さんは
「叶枝ってこうして対戦してみると結構、圧かけてくるよね」
「そうですか? そんなつもりは無かったんですけど……」
「堅実さっていうのかな。私には無い傾向だ」
佐伯さんはサーブを打つ。
二回台の上を弾んだ玉を大川さんがコートの右隅を狙うように打ち返した。ラケットの角度を見ていれば作戦を変えたらしいことが分かる。
となると今度は左隅に打つのかもしれない。そう思って見ていたけれど、大川さんは返ってきた玉を今度もまた右隅に打ち返した。
佐伯さんの利き手は右らしい。左側のボールとなると打ち返すのが難しくなるのだろう。佐伯さんは苦労してボールを打ち返した。
それが功を奏したらしい。大川さん側の指の数が増えていき、減って行く。そうして勝敗の行方が難しいゲームが始まった。
とはいえ技術的に打ち分けるという能力が大川さんにあったかと言われると、微妙なところで、入るときもあればアウトになるときもあった。それが一層ゲームを分からなくして、運要素の強い戦いとなっている。
結果は……佐伯さんの勝ちで終わったようだ。
佐伯さんが「歩田くんもやりますか?」と聞いてくる。僕は「応援する側で」と断った。
対して大川さんは片手を台につき、ラケットで
「まあ、なんていうか、卓球って難しいよね」
相当勝ちにいっていたので、負けてやや機嫌が悪いのかもしれない。
大川さんに「歩田くん」と呼ばれる。
「あとでゲームしてくれない?」
「特訓ですか?」
「いや、八百長だね」
要するにわざと負けろと言っているのだろう。「するときは連絡ください。付き合います」と言うと、機嫌を直したようだった。
そして大川さんが「んー、疲れた」と伸びをする。「私も久しぶりに運動しました」と佐伯さんは言った。
「汗って気持ち悪いよね」
「そうですね、シャワー室はどこでしたっけ?」
「温泉のほうが近いんじゃないかな」
「お風呂に入ると今日はもう寝ちゃいそうです」
「私はお風呂で寝たいけどね」
「ダメですよ。危険ですから」
大川さんはそう言われると「まあね」と言った。
うちわ代わりにしていたラケットの手が止まる。それと同時にエンジンがかかるような、切り替わりがされたことが見て分かった。
「ところで二ゲームしたけど、何か得られるものはあったの?」
何の話か分からない。
「いえ、分かりません」
「そっか。詳しいことは話せないんだよね?」
「……はい」
楽観的な大川さんと深刻に悩みだす佐伯さん。
僕は話に付いて行けず「何のことですか?」と聞いた。
「館について調べているんだって。そう言って誘われたんだ」
「館について、ですか……?」
そう佐伯さんに真偽を確かめるように聞くと、「そうなんです……」と肯定した。
その一言で状況を理解しようと思考が始まる。呑気にゲームを眺めていたけれど、裏にそんな重大なことが隠されているとは思わなかった。
僕たちは現在館に閉じ込められていた。どうして閉じ込められているのかは分からない。理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。そこまで曖昧になるのはロボットによる館の管理と、第三者の存在を匂わせない徹底した秘密主義のせいだった。
だから僕たちは見て知ったことから館の存在について推理して、ときには行動して情報を集めていた。それが今進行しているのだと佐伯さんは言ったのだ。
キーワードは卓球。館の存在と卓球の関係。それを探そうとするけれど、直感的には繋がらない。
「叶枝、こういうときは歩田くんを頼るといいよ」
僕は現実に戻ってきて顔を上げた。
「歩田くんってやつは考えるのが好きみたいだから、難しいことは任せておけばいいんじゃないかな。面白いブラックボックスなんだよ、ブラックボックス」
「いいんですか?」
「え、まあ。できる範囲にはなりますけど」
そう言うと「ぜひ、お願いします」と佐伯さんに言われた。
そして「身体が冷えるからそろそろ行こうか」と大川さんは言う。
「スコア係り、助かったよ」
「ありがとうございます」
二人は卓球スペースを後にした。
館を散歩しただけの僕は思わぬ遭遇に考え込んだ。何が行われているのだろう。ヒントは卓球とは別にもう一つあるような気がした。