7.1佐伯と歩田の試み

文字数 2,477文字

7.

 特殊な世界に閉じ込められた場合の館についてというのは要するに、超常現象の話をしているのだろう。今までの議論は現実的にあり得る可能性ばかりを考えてきた。つまり常識的に検討してきたわけだ。
 けれど、僕たちが閉じ込められている現状は常識的だろうか。記憶もなく、生まれた年も分からず、理由も告げられずに閉じ込められている。
 そこからすでに非現実的なのだから、館にいる理由も非現実的なアプローチをしたって構わないような気がした。
 では、どんな可能性があるだろうか?
 見たものでしか考えてこなかった自分にはなかなか難しかった。
 猫飼さんが「具体例を挙げると何があるかな」と佐伯さんに尋ねる。
「そうですね……神隠しにあった、とかがあると思います」
「ああ、なるほど」
 佐伯さんはホワイトボードに神隠しと書いた。
「他には天国とか地獄とかも考えられます」
 そう言ってまたキーワードを列挙していく。
「こんな感じで進めていきたいのですが、他にどんな可能性が考えられますか?」
 すぐには発言する者はいない。
「心の歪みが作り出した世界とか違いますか……?」
 椎名さんがそう言った。
「ああ、歩田くんが好きなやつだね」
「大川さん、その話は誰にも伝わらないと思います」
「そりゃそうだ。私にもよく分かっていないんだから」
 佐伯さんは「椎名さん、説明をお願いします」と言う。
 僕はある日虫になった男の話をせずに済んだようだった。
「分かりました。上手くできるか分かりませんが……例えばですけど私たちの誰か、それか全員が強く現実から逃げたいって思うんです。もう本当に、めちゃくちゃにですよ。その結果、時空が歪んで、その心が生み出した世界に閉じ込められる、みたいなやつなんですけど……分かりますか?」
「夢とは違うのか?」嬉野が聞く。
「違いますね。夢はやっぱり現実じゃなくて、私が言っているのは本当に現実で起きています」
「心が作り出した世界、夢の世界、どちらもありそうですね」
 そう言って佐伯さんはホワイトボードに二つのキーワードを付け加えた。
 それからしばらく考える時間が続く。神隠し、天国と地獄、心が作り出した世界、夢。他に可能性を考えてみる。けれど、特には思いつかない。気が付けばホワイトボードの文字を何度も読んでいて、煮詰まった感覚があった。
 屋敷さんが椅子に三角座りをして眠そうにしている。「空想は高等すぎやしないか」と言って殻に閉じこもった。
「限界じゃない?」大川さんは佐伯さんにそう言った。
「……そうですね。案を出すのはこの辺りにしておきましょう」
 僕はその言葉で身体の力を抜く。
 猫飼さんが目の前のグラスへ手を伸ばした。
「それで、次ですけど……今、いろんな案を出してもらいました。この中から私たちの状態と近いものを検討していきたいと思います」
 藤堂さんは「夢なら簡単だ」と言って自分の頬をつねった。
「それよりも天国が気になるな。これが一番可能性がありそうに思わないか?」
「死んでるってことですか?」と僕。
「だから記憶が無いんだろ。その前後の記憶が完全に」
 確かにそうかもしれない。死ぬ寸前の記憶とは綺麗ではないのだろう。だから、その記憶を消去して自我を安定させる。もしここが地獄なら記憶は保持したままだった。つまり天国か地獄かで言えば天国寄りなのだろう。
「律、記憶についての話を保留にしていたのが悪いんだけど、私たちの記憶喪失はそれだけじゃないよね? 例えばスーパーマーケットのイメージはあるけれど、最寄りのスーパーのイメージは抜けているんだ。映像的な部分が曖昧なことも特徴の一つ」
「それでも天国の可能性は否定できないんじゃないかな」猫飼さんがそう言う。
「生きていることの証明をすればいいだけの話ね」流田さんはつまらなさそうに言った。
「それなら簡単だ。俺たちは呼吸をしている」
「天国では呼吸をしないのかしら?」
 淀みのない言葉。
 僕は流田さんの全てを理解しているかのような態度を見て、議論をそっちのけで流田さんの考えていることに集中した。
 流田さんはすでに天国ではないことの説明を持っているのだろうか。
「主張が変わって申し訳ないけど、生命活動の維持はどう?」猫飼さんも追随する。
「生命活動の報酬は何?」
「それは……」
「快楽ですね」と僕。
「天国にきて快楽を取り上げられちゃあ困るよな」
 だからここが天国かと言われると肯定もできないけれど。
「難しいですね。ここが天国だとどう証明するんでしょう?」
「生きていることの証明……」僕は無意識につぶやいていた。
「あ、いえ、それって出来るのかなって思って」
「どういうことだ?」と藤堂さんに説明を求められる。
「もし人間の構造が天国でも不変なら、それはもう、死ぬことでしか生きていることを証明できないってことなんじゃ」
「だからこの話は行き詰るのよ」
 それからの議論というのは館と天国の類似性についての話し合いにあった。
 自分たちに都合よく館が出来ている点は天国と類似しているのかもしれない。そして全知全能である神が作ったからこそ、高度な科学技術による管理システムが機能しているのではないかという話を僕はした。
 けれど、「それならロボットの形が不自然」と言われ、否定される。
「水滴を落としてみると分かるわ。もし地球と同じ法則が成り立つなら、形は球体に近づくもの」
「設計は明らかに無駄が多いと思うよ」
「無駄が多いのが人間だ」
 だから人間が館を作った。そう解釈することもできる。
「あの、今の話をまとめると、どうなるんでしょうか?」
 佐伯さんは大川さんに尋ねる。
「ん? 多分、天国を証明したければ、死ぬしかないってことだと思う。この話はもうこれ以上進展しないってことでもあるかな。私の考えになるけど、そもそも生きていてさ、もしここが天国だって言われても誰も信用しないよね」
 その言葉に椎名さんが「それならなんとなく分かります」と頷いていた。
 そして僕たちはまたホワイトボードを眺めだす。
 神隠し、心の歪みが作り出した世界。
 まだまだ話し合うことはあった。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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