3.3佐伯と歩田の試み

文字数 3,093文字

 おやつをあげるという一大イベントを終えた僕たちは惰性を楽しむかのような時間を過ごしていた。
 佐伯さんは猫じゃらしを持って猫と遊んでいる。僕と流田さんはラテマキアートを楽しみながら話をしていた。
「猫カフェって不思議なところですよね」
「日常的ではないわね」
「ルールが違うのかなって思ったんですけど」
 そう言うと流田さんは首の可動域内で瞳を動かし、猫カフェを観察した。
 まるで初めて猫カフェを調べているかのようだった。
「そうかしら……その可能性を否定するつもりはないけれど、もしこの場所が荒廃した場所、例えば廃墟とかでも同じことが言える?」
 そう言われ、僕は破れたソファ、埃の被った机、蜘蛛の巣の張られた部屋を思い浮かべる。
「……ルールは同様に違うんでしょうけど、ただ、不思議というよりはもっと現実的で血なまぐさい感じがしますね」
「不思議なのは人工的な部分ということね」
 僕はざっとカフェ内を眺めてみた。猫にとってこの場所はどう映っているのか。確かに人間からしてみれば親しみのある環境になっているけれど、猫からしてみれば関係がないのかもしれない。
 例えば猫は狭いところを好む。そんな場所がいたるところにあって、その入り口は丸かったり、猫の形に切り抜かれたりする。その形に猫が親しみを覚えるのかと言われると分からない。猫からしてみれば狭い箱があるという認識だけで、遊び心まで理解していない可能性もあった。
 対して人は空間を楽しんでいる? そうかもしれない。
「もしかしてここに来てからずっとそんなことを考えていたのかしら」
 そう流田さんは抑揚をつけずに聞いてくる。
 僕はその言葉の持つ感情的意味が決められず戸惑いを覚えた。
「責めているわけではないの。考えるという行為は無意識の影響を無視できない。要するに癖ね。その癖はこれまでの学習によって決定されるもの。それを今すぐ変えようなんて不可能。それにあなたが考え事をする性格ぐらい想定内、というよりも自然ね。そういえば、ソファの上でうつ伏せになっていたわね。あれはなんだったのかしら。あれも考えの一つ?」
 聞かれたくないことを聞かれた僕は明後日の方を見た。動揺をすぐさま隠そうとし、俯瞰するよう視線を落とす流田さんに焦点を固定する。
 まさか見られているとは思わなかった。
 あのときはしっかりとした考えがあってそうしたのだけれど、第三者の視点、つまりソファでうつ伏せになったという行動からその動機を解釈してみると、奇異な行動だった。
「あれは……猫と遊んでいただけです」
「それで踏まれたのね」
「遊んでいるつもりだったってことですね」
 流田さんは「そう」とだけ言う。憐れむように。けれど何に対してだろうか。それは考えないことにした。
「他にも考えたことがあるのよね?」
 流田さんはそう話題を切り替える。
「館について、とかですか」
「愚問ね」
 愚問……。流田さんはあまり感情を表に出さない。だからたまに誰に向けて言っているのか分からなくなることがある。今のは館の疑問に対してだろうか。いや、自分に向けて言ったのかもしれない。
「流田さんはどう思いました? 猫カフェが館内にあると聞いて、変だと思いませんでしたか?」
「それも疑問の一つね」
 そう言われ、他に疑問はあっただろうかと考える。言い方からして猫カフェではない別の問題だろうか。
 そういえば流田さんはずっと佐伯さんと一緒にいた。その佐伯さんは館について調べている。館と猫カフェ、そして補足するなら卓球。佐伯さんの様子を見るに、猫カフェで何かを調べている素振りはない。純粋に楽しんでいるように見えるのだから、こちらも難しいテーマだった。
「その疑問から得られた結果は?」
「よく分かりません」
 僕は正直にそう白状した。
「ただ気になった点はいくつかあります」
 そう言うと一匹の猫が僕たちの向かい合う机を横切る。
「例えば、猫の様子とか。かなりくつろいでいますよね」
「そうね」
 ここでの猫たちの生活は猫カフェならばよく見られる光景かもしれない。ただ、それが館内にあるとなると条件が変わってくる。
「猫って縄張り意識が強いってよく言われます」
「ええ、自分のテリトリーを巡回するみたい」
「僕たちが空けた期間は六日間でした。その短い期間でここまで猫たちはリラックスするのかなって疑問があります」
 猫の様子を見ていると長らくこの場所にいるような、住み慣れた感じがする。六日間でここまで安定的に収まるのだろうか。僕は猫ではない。憶測でしかないけれど。
「この場合、リラックスしているのが事実。そこに疑問を持つ必要はないわ。観測したことを疑っても仕方がない。そう考えると、自明じゃないかしら。猫たちはこの部屋にそれ以前からいた可能性がある」
「その可能性は考えてはみました。この部屋がずっと存在している可能性、ブロックのように部屋ごとどこからか運ばれてきた可能性、インテリアだけを移動して猫を騙している可能性。ただ一つに絞られないのが現状です。なので、一旦は保留します」
 そう言って僕は次の話へと切り替える。
「くつろいでいると言えばですが、僕たちのことを警戒している様子もありませんよね」
「そうね。随分、人馴れしているわ」
「ここの猫たちは人の手で育てられた経験があるのかもしれません」
 館といえば外界からの接触が一切ない秘密主義で一貫している。こうして猫を通じることで、第三者の存在を匂わせるのは初めてのことだった。
「それともう一つ、気になったことがあって……」
「ええ」と促される。
「猫のグルーミングってどれほど効果があるものなんでしょうか。触ってみたとき、ものすごく毛並みがいいような気がして。ごわごわと荒れている感触が無かったので、もしかするとブラッシングとか手入れもされているんじゃないかなって思ったんですけど」
「衛生面は管理されているでしょうね。それがロボットによるものかどうかは定かではないけれど」
 もしロボットに管理されている場合、館には猫の日常も存在する可能性があってもおかしくない。そうすると館という存在が僕たちだけに都合よくあるのではなく、猫のためにも都合よく存在するという解釈ができた。
 それを否定したくなるのは都合が悪いからだろうか?
「気になった点は以上です」
 僕はそう言って流田さんの反応を窺う。
 安楽椅子探偵ではないけれど、自分の中で複雑化している情報を要点だけ引っ張り出し、繋げてくれることを願ってのことだった。
「私から言えることは特にないわ」
 けれど、そう言い返された。
「これも保留ですか?」
「保留というより忘れるべきね」
「忘れる……」
「一度考えたことは案外放っておいてもまた思い出すものよ」
 そういうものだろうか。
 そう言われたので僕は忘れることにした。
「忘れました」
「疑うということをしないのね」
「取捨選択ぐらいはします」
「知ってる」
 流田さんがそう言って「複雑すぎるもの」と独り言のように言った。
 すると、ちょうどそのタイミングで、猫じゃらしを持った佐伯さんがやってくる。
「あの……」
 流田さんは振り返らずコーヒーカップの中身を空けようとする。僕は佐伯さんと流田さんを交互に見て状況を推察した。
 佐伯さんの目的は何だろうか。
「お腹すいていませんか?」
 僕は時刻を見る。確かに正午を回っていた。
「ええ、そろそろ出ましょうか」
なので、僕たちは猫カフェを出ることにした。そして席を立つ際、僕は流田さんに言われる。
「フロートを食べるからよ」
 そう言われ、だから腹時計が狂っているのかと僕は一人納得するのだった。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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