3.3嬉野と歩田の画策

文字数 1,969文字

 何度目かのロボットの後ろ姿を見送って僕たちは浴場へ場所を移す。歩いていると、濡れないようまくった足のすそが苦労の甲斐なく下りてきた。カゴを置き、その度にすそをまくった。けれど、何度まくっても同じだった。ジャージにしたのが間違いだっただろうか。そういえば嬉野はデニムを履いていた。
 僕たちは手分けして溝を探し、流す場所を決める。相談の結果、シャワーの下を流れる溝がいいだろうということになった。
「いつでもいいぜ」
 カゴを持っている人が流す役になるのだろう。僕はシャワーから水を出し、「じゃ」と言って一つ目のカプセルを押し出すように流した。
 一個目はスムーズに流れていった。そして順調に二個、三個と流していった。ところが十個目ぐらいからだった。水が逆流してきて、カプセルが一つ戻ってきた。
 その原因はすぐに分かった。分かったけれど、声に出してはなかなか言えなかった。二つ目のカプセルが戻ってくる。
「あちゃー」
 同感だった。排水溝がつまったらしい。
 僕はシャワーの水を止める。
「どうするんだ、これ」
「どうするって、逃げるしかないんじゃないかな」
「逃げるってお前……まあ、最終的にはそうなるんだろうが」
 試しに排水溝を覗いてみる。
「ダメだ。真っ暗だ」
「いよいよまずいな」
 しかし、自分たちではどうすることもできないのもまた事実だった。何か考えているようで何も考えていない時間だけが過ぎていく。
 すると、タイルの溝に引っかかる音を立てながら一台のロボットがやってきた。ロボットの顔のところを見れば怒っている顔文字が表示されていた。
 僕たちはロボットが通れるように道を開ける。そのまま通り過ぎることはなく、目の前で止まった。そしてアームを溝に突っ込むと、さらに先から細いアームが出てきて伸びていった。
 一つまた一つとカプセルが取り出される。全部取り終わったのだろう。ロボットがアームを溝から出すと、もう一台のロボットがやってきて、カゴでカプセルを回収していった。
 僕たち二人はその場に残されたようにたたずむ。
「帰るか」
「そうしよう」
 そう言って今日は解散することにした。

 その日の夜のことだった。解散したあと僕は自室で本を読んでいた。部屋には家具が無いのでベッドでの読書だった。あとは寝るだけ。文章が頭に入って来なくなったら寝ようと思っていた。
 意識が朦朧としてきた。読み間違えをしたことにさえ気が付かず、意味が理解できなくなってきて、同じ文章を繰り返して読んでいることに気が付いた。そろそろ寝よう。そんなときだった。
 ページをめくろうとするとき、ときどき本を閉じてしまうことがある。そのタイミングを見計らったかのように部屋に呼び出し音が鳴った。僕は速読にしては神業過ぎるページめくりをして本を閉じた。
 腕時計は室内には持ち込まない。タッチパネルへ行ってみると『嬉野祐介』からの着信だった。画面をタップして通話に出る。
「よお、夜遅くに電話して悪いな。て、もう寝てたのか?」
「寝ようとしてたところ。なんの用?」
 僕はタッチパネルに表示された時刻を見る。十時だった。本のページ数から予想した時刻とだいたい同じだ。
 嬉野は言葉に詰まっているのかなかなか要件を話さない。
「悪い、少し頼みたいことがあってな。もし都合が付いたらでいいんだが、明日も今日みたいに脱出の手伝、頼まれてくれないか?」
「もう一つの扉でも壊すことにしたの?」
「いや、そっちじゃない」
 じゃどっちなんだとは言わなかった。
「思いついたんだ。脱出の方法を」
 嬉野の落ち着き払っているが調子のずれている声音は興奮を抑えているからだろうか。僕はその先を聞くか、聞かないかを考えた。この場合は聞いたほうがいいのだろう。
「へえ、どんな?」
「逆転の発想さ。俺たちは今日、カプセルを排水溝に流そうとした。そして失敗した。だがこれは必ずしもカプセルである必要はなかったんだ」
 嬉野の言いたいことを理解しようとする。
 相槌(あいづち)が曖昧になっただろうか。嬉野は「要するにだ」と続けた。
「俺たち自身が通ればいい。そう思わないか?」
「僕たち自身がって……あ、まさか」
「そのまさかだ。待ち合わせは今日と同じ場所、同じ時間でいいよな? 何かあったときは連絡してくれ。寝ようとしているところ悪かったな。そういうわけだから、また明日」
「了解、おやすみ」
 そう言って通話が切れる。僕はそのままホーム画面を操作してアラームを設定した。予定欄にも今話したことを追加しておく。
 明日は服装に困ることはないだろう。動き回ることが確定しているのだから今日と同じでよかった。
 僕はベッドに戻り、消灯する。寝ようとする直前に本の続きのことを思い出すが、それよりも明日のことを考えるほうが優先された。
 この場合どうなるのだろう。確かに気になった。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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