3.1ある日の大川と歩田

文字数 2,471文字

3.

 事態の変わりように僕は面を食らっていた。植物園で尾行されたことから始まり、水族館で数十台ものロボットに追いかけられた。このロボットから逃げるためにエレベーターに乗り込んだのだ。そして現在、逃走劇を繰り広げていたとは思えない言葉が大川さんの口から飛び出していた。
「ロボットは、いいんですか?」
「いいんじゃない?」
 僕は大川さんの急変に戸惑いを覚える。どう聞いても安全が確保できたときの態度だった。
 今の逃走劇にそんな要素があったかな。水族館を出る、エレベーターに乗る。場所の属性だろうか。
 そういえば正五角館の頂点は円形になっていた。それは正五角形のルールから外れた場所。そう考えると僕たちは自然エリアから無属性のエリアに逃げてきたことになる。
 自然エリアであることをするとロボットに排除される? 自然と不自然。僕たちは不自然の領域に片足を突っ込んだのだろうか。
 いや、この考えはどこかおかしい。不自然とは何を指すのだろうか。そうして堂々巡りが始まるのだった。
 大川さんが「何か食べたいものはある?」と聞いてくる。
「軽いものがいいです」
 とてもじゃないけれど、食欲は湧いてこない。
「それじゃレストランに行こうか」そう大川さんは言った。
 レストランといっても来たのは高級レストランではなくファミレスのほうだった。ファミレスはリラクゼーションエリアの三階にある。それほど距離は歩かなかったので、エレベーターはリラクゼーションエリアと自然エリアの頂点にあるエレベーターに乗ったのだろう。
 僕は反発力のある長椅子に座った。
「あの、アイマスクを外しても……」
「もう少し待ってくれるかな」
 その言葉に引っかかって「まだ何か?」と尋ねる。
「いや、面白そうだからそのままで、って意味だよ」
 それを聞いて肩の力が抜けていった。ということはアイマスクでの検証は終了したのだろう。長いような短いような、そんな時間だった。
「注文は歩田くんがしてくれるかな」
「前が見えない状態でですか?」
「だからお願いしたんだよ。そのほうが面白いから」
 そう言って手元にタッチパネルらしきものを渡される。表裏で迷ったけれど、裏を向けながら渡してくることは無いだろう。
 僕はファミレスの注文画面を思い出しながら、左上のほうをタップした。最後は右下を押していれば注文することができる。そうして僕は適当に注文したのだった。
 届いたのはピザとグラタンのようだった。軽いものが良かったけれど、妥協ラインだとも思った。僕はスプーンを手さぐりで探す。見つからなかった。
「あの、何かと不便なので、やっぱりアイマスクを外しても」
「まだそのときじゃないんじゃないかな。食事ぐらいなら私が食べさせてあげるけど?」
「いえ、そういうわけには……」
 大川さんの場合、本気で言っていることがあるので反応に困った。
「生きていると食わず嫌いってことがあるよね。一度も経験したことがないから最初の一歩が踏み出せない。でも、こういうのは案外踏み出してみると、すんなりと受け入れられるものなんだ」
「もしかして、説得されてますか、僕」
 この歳になって食べさせてもらうのは趣味じゃない。けれど、確かに言うように一度でも経験してしまえば二度目も三度目も変わらない。つまり、食べさせてもらうという壁はその程度のことなのだ。
 だからって……困った。今の状況にどれほど強制力があるのだろうか。
「遠慮はするべきじゃないよ」
「そりゃしますよ、だって」
「なに?」
「ほら、猫舌ですから。熱さも分からずに火傷なんてしたら嫌ですよね」
 大川さんは笑い出した。
「そんなこと? だったら冷ましてあげるから」
 話せば話すほど逃げ道が塞がっていく。
「他の人に見られたらなんて説明するんですか」
「今更だと思うけど。それに死角になる場所を選んだから確率的にはそう高くはないよ」
 用意周到だった。僕がこの状況で断れる理由はもはや無い。押しに弱いんだよなあ、とこれほど自分のことを恨んだことはなかった。あとは勇気を持つか持たないか。
「分かりました。そこまで言うならお願いします」
「了解」
 そう言って金属のぶつかる音が聞こえてくる。通りで。手の届かない場所にあったらしい。先に席についたのは自分だった。右か左か。右を選んで見事に、二択を外したことになる。運が無かったとしか言えない。
 息を吹きかける音が聞こえてくる。
「ほら、口を開けて」
 仕方なく口を開いた。
「君はバカなのかな?」
 そしてスプーンを口に突っ込まれる。口の周りにベタついたものが付着した。それを大川さんの指で拭き取られた。
 僕は呆然とグラタンを飲み込んだ。味なんて分かるはずがない。
「どう、味は」
「分かりません」
 大川さんは馬鹿にするように笑い出す。
「そっか、分からないか。そのうち味も分かってくるんじゃない?」
 食器のぶつかる音が聞こえてくる。息を吹きかける音も聞こえてきた。二度目が来るのだろうか。
「まだお腹空いてるよね?」
「いえ、もうお腹いっぱいですけど」
 無理やり口に突っ込まれた。
 今度は紙で拭き取られる。
 ときどき食器の音が聞こえてきても口に運ばれないことがあった。直前に甲高い金属の音が聞こえているので、食器を変えて大川さんが食事をしているのだろう。
 そうして頭が真っ白になったまま食事が終わる。僕はそれこそ憔悴していた。
「ごちそうさまでした」
 それから大川さんは「さて」と言う。まるで見えないものに向かって一区切りつけたような一言だった。
「気になっているんでしょ?」
「なんのことですか」
 頭がよく働かない。
「相当まいってるみたいだね」
「人生の半分が今日にあるような気がしてるぐらいですからね」
 そう言うと「悪いね」と返ってきた。そして「アイマスクは外してもいいよ」と言われる。
 僕はアイマスクを外した。
 正面にはブラウスを着て珍しく服装を整える大川さんがいた。場所は聞いていた通りファミレスのようだ。その他に気になることはない。
「それじゃ話そうか。私たちが今まで何をしてきたのかを」
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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