3.2佐伯と歩田の試み
文字数 2,010文字
フロートを食べ終わった僕は器を返却口に返して伸びをした。どうしようか。とりあえずぼんやりしていようかと思った。
佐伯さんと流田さんはくつろいでいるようだった。一匹の猫を囲うように佐伯さんはしゃみこんで、流田さんは台に座って足を伸ばしている。
「猫って自由ですよね」
「本当の自由って感じね」
「どうしてでしょう?」
「この子に聞いてみればいいんじゃないかしら」
そう言うと佐伯さんは両手を筒にして「どうして猫さんはそんなに自由なんですか?」と聞いていた。
不安半分というのは猫カフェに来てすることが分からなくなるだろうなと思ったからだった。
氷というのは放っておくと融けるもの。そして人というのも空気に馴染むもの。最初にフロートを食べたのがダメだったのかもしれない。坂道が終わるまでボールが転がるように、物事には自然な流れがある。それに逆らうと振り返ったときによく分からなくなっているのはよくあること。要するに、今の状況のことだった。
だから僕は全力でこの場に馴染んでみようと思った。猫を観察して、猫の行動に合わせてみる。中には走り回っている猫もいるけれど、だいたいの猫はじっと座っているものらしい。
僕は横長のソファを探す。うつ伏せで手を伸ばし、寝た。猫は自由。僕は空気みたいだった。
そうして横になっていれば猫のコミュニティに馴染めるのだと思っていた。けれど、そうではないらしい。走り回っている猫が僕の頭から足先へ踏み台にして駆けていった。
僕は起き上がり頭をさする。爪で怪我しなかったことが幸いか。どうやら家具と同等の判定を受けたらしい。
寝ていられなくなったので、漫画を取りに行くことにした。
本棚の前では一匹の猫が座っていた。僕はしゃがんで猫の背中を撫でた。柔らかい毛並み。温かい体温。今思うと猫に触れたのがこれが初めてだった。
生き物に触るというのは不思議な感覚がある。自分以外の生命がこの世界にしっかりと存在していることを認識するような感覚。
逆を言えば生き物に触れるまで世界がフィクションなんじゃないかと思うということでもあるのだけれど。生きているのが世界に自分だけで、世界は自分のためにあって、三次元の映像を見ているのだと錯覚することがある。その妄想が生き物に触れることで崩されるのだ。だからいつも生き物に触れるときは電気が走るような衝撃を受ける。
触っていた猫が手の中からすり抜けるようにどこかへ行く。
僕は立ち上がって本棚を眺めた。気分はギャグ漫画が読みたかったので有名な作品を手に取った。
ソファに座って漫画を読んでいる。家具とか空気とか関係なく、猫が腕を踏み、足を踏み、飛び越えていった。
猫っていうのはもしかしてそういう生き物かもしれない。猫が自由に見えるのは、人間よりも遥かに縛られるものが少ないからなのだろう。
そう思って僕は漫画の世界に戻って行く。すると佐伯さんがやってくるのだった。
「あの、歩田くんも一緒におやつをあげませんか?」
僕はその提案を聞いて漫画を閉じる。
「ちょっと待ってください。本だけ片付けてきます」
そう言って僕は本棚へと漫画を返しに行った。
佐伯さんの姿を探すと、棒についているアイスキャンディーみたいなおやつを三本持っていた。
「これ歩田くんのです」
そう言われ、おやつを渡される。
佐伯さんの持つもう一本は流田さんの分のようだった。僕は貰ったアイスキャンディーを眺めていた。猫の食べるものだと分かっていても、こうして目の前にすると無性に味を確かめてみたくなる。猫が食べられるのだから人に悪影響はないだろう。せめて匂いでも嗅いでみようか。けれど、やめておくことにした。
おやつをしゃがんで持っていると猫が近づいてきた。一匹、また一匹とその数も増えていく。猫がアイスキャンディーを囲うようにして車座 になる。渋滞状態。猫たちは窮屈そうに目を細めておやつを舐めていた。
「すごいですね、いっぱいですよ」
おやつの引力は強力らしい。あちこちで猫のブラックホールができていた。佐伯さんも流田さんも猫に囲われている。
こうなってしまうと動けなくなるのだろう。僕はよく分からないまま猫に求められるがままおやつを差し出す。
そうしておやつが無くなり、太々しくも猫たちが解散すると、僕は緊張から解放された。一匹だけ何も無い棒を舐める猫。僕は終わりだと遠ざけて、ほっと一息をつく。
他のところも解散したようだった。ひょっとするとここにいるすべての猫が集まっていたのかもしれない。まるでビッグイベントの後のようで、猫はまたいつもの日常に戻っていた。
流田さんが「手ってどこで洗うのかしら」と聞いてくる。うろうろしていたときに見つけていた僕は「それなら向こうにありましたよ」と答える。「私も洗いたいです」と佐伯さんは言った。
そうして僕たちは残った棒を返却口に返して、洗面台へと手を洗いに向かった。
佐伯さんと流田さんはくつろいでいるようだった。一匹の猫を囲うように佐伯さんはしゃみこんで、流田さんは台に座って足を伸ばしている。
「猫って自由ですよね」
「本当の自由って感じね」
「どうしてでしょう?」
「この子に聞いてみればいいんじゃないかしら」
そう言うと佐伯さんは両手を筒にして「どうして猫さんはそんなに自由なんですか?」と聞いていた。
不安半分というのは猫カフェに来てすることが分からなくなるだろうなと思ったからだった。
氷というのは放っておくと融けるもの。そして人というのも空気に馴染むもの。最初にフロートを食べたのがダメだったのかもしれない。坂道が終わるまでボールが転がるように、物事には自然な流れがある。それに逆らうと振り返ったときによく分からなくなっているのはよくあること。要するに、今の状況のことだった。
だから僕は全力でこの場に馴染んでみようと思った。猫を観察して、猫の行動に合わせてみる。中には走り回っている猫もいるけれど、だいたいの猫はじっと座っているものらしい。
僕は横長のソファを探す。うつ伏せで手を伸ばし、寝た。猫は自由。僕は空気みたいだった。
そうして横になっていれば猫のコミュニティに馴染めるのだと思っていた。けれど、そうではないらしい。走り回っている猫が僕の頭から足先へ踏み台にして駆けていった。
僕は起き上がり頭をさする。爪で怪我しなかったことが幸いか。どうやら家具と同等の判定を受けたらしい。
寝ていられなくなったので、漫画を取りに行くことにした。
本棚の前では一匹の猫が座っていた。僕はしゃがんで猫の背中を撫でた。柔らかい毛並み。温かい体温。今思うと猫に触れたのがこれが初めてだった。
生き物に触るというのは不思議な感覚がある。自分以外の生命がこの世界にしっかりと存在していることを認識するような感覚。
逆を言えば生き物に触れるまで世界がフィクションなんじゃないかと思うということでもあるのだけれど。生きているのが世界に自分だけで、世界は自分のためにあって、三次元の映像を見ているのだと錯覚することがある。その妄想が生き物に触れることで崩されるのだ。だからいつも生き物に触れるときは電気が走るような衝撃を受ける。
触っていた猫が手の中からすり抜けるようにどこかへ行く。
僕は立ち上がって本棚を眺めた。気分はギャグ漫画が読みたかったので有名な作品を手に取った。
ソファに座って漫画を読んでいる。家具とか空気とか関係なく、猫が腕を踏み、足を踏み、飛び越えていった。
猫っていうのはもしかしてそういう生き物かもしれない。猫が自由に見えるのは、人間よりも遥かに縛られるものが少ないからなのだろう。
そう思って僕は漫画の世界に戻って行く。すると佐伯さんがやってくるのだった。
「あの、歩田くんも一緒におやつをあげませんか?」
僕はその提案を聞いて漫画を閉じる。
「ちょっと待ってください。本だけ片付けてきます」
そう言って僕は本棚へと漫画を返しに行った。
佐伯さんの姿を探すと、棒についているアイスキャンディーみたいなおやつを三本持っていた。
「これ歩田くんのです」
そう言われ、おやつを渡される。
佐伯さんの持つもう一本は流田さんの分のようだった。僕は貰ったアイスキャンディーを眺めていた。猫の食べるものだと分かっていても、こうして目の前にすると無性に味を確かめてみたくなる。猫が食べられるのだから人に悪影響はないだろう。せめて匂いでも嗅いでみようか。けれど、やめておくことにした。
おやつをしゃがんで持っていると猫が近づいてきた。一匹、また一匹とその数も増えていく。猫がアイスキャンディーを囲うようにして
「すごいですね、いっぱいですよ」
おやつの引力は強力らしい。あちこちで猫のブラックホールができていた。佐伯さんも流田さんも猫に囲われている。
こうなってしまうと動けなくなるのだろう。僕はよく分からないまま猫に求められるがままおやつを差し出す。
そうしておやつが無くなり、太々しくも猫たちが解散すると、僕は緊張から解放された。一匹だけ何も無い棒を舐める猫。僕は終わりだと遠ざけて、ほっと一息をつく。
他のところも解散したようだった。ひょっとするとここにいるすべての猫が集まっていたのかもしれない。まるでビッグイベントの後のようで、猫はまたいつもの日常に戻っていた。
流田さんが「手ってどこで洗うのかしら」と聞いてくる。うろうろしていたときに見つけていた僕は「それなら向こうにありましたよ」と答える。「私も洗いたいです」と佐伯さんは言った。
そうして僕たちは残った棒を返却口に返して、洗面台へと手を洗いに向かった。