1.2プロローグ

文字数 2,310文字

 そういうわけでこの会議室にこの館に住む九人の人間が集まった。月に一度の集会。開催するのはこれで六回目となる。つまり、この建物にきて半年が経過している。僕たちはこの一か月の間にあったことを報告した。
「今日の司会は私だね」
 そう言って大川さんは立ち上がった。会議室の隅の方にあったホワイトボードを引っ張ってきて、水性ペンのキャップを外す。さっきまでの眠たげな印象は無い。スイッチを切り替えたようだった。
「ええと、今回も前回と同様にこの館について認識を一致させるところから始めようと思うのだけれど、異論はないかな」
 声を上げる者はいない。したがって異論はない。
「それじゃこの館についてまず見取り図から」
 そう言い大川さんはホワイトボードに真上から見た五角形の図形を二つ描いた。中心に五角形の図、それを囲うようにもう一つ大きな五角形の図。
「私たちの自室はここの中心の五角柱にある。そして囲うようにある、中をくり抜いた五角柱にはそれぞれリラクゼーションエリア、自然エリア、学術エリア、エンタメエリア、スポーツエリアがある。この二つの建物を繋ぐのは五角形の頂点と頂点を繋ぐ連絡橋から。この認識に変更はないよね?」
「変更もなにもそれが事実よ」流田さんは答える。
 大川さんと目が合ったので、僕は肯定を示すために頷き返した。
「了解。それじゃ続いて私たちの状況を整理しよう」
 大川さんはホワイトボードを二分するように縦に線を引いた。そして箇条書きのための点が一つ打たれた。
「とりあえず前回までの情報を挙げると、一つ、私たちには記憶が無い。これは前回、言語化できなかった部分だね。何を忘れていて、何を覚えているのかが分からないんだ。例えば佐伯さん、何を覚えていて、何を忘れているのかな」
「あの、その、パン屋で働いていたことは思い出すんですけど、そのときの記憶が無いというか、でも、パンの作り方とかは覚えていて……皆さんも仰っていたと思うんですけど、映像化ができないって言うんでしょうか」
「そう、記憶を文章にしろと言われればできるんだ。でも絵に描けと言われると途端にできなくなる。一人だけなら偶然の可能性も考えるのだけれど、ここにいる全員が同じ状況となると、意図的な記憶喪失。これを疑うべきだろうね。ただまだ分かっていないことも多い。この現象については考えることがあると思う」
 すなわち、佐伯さんは本当にパン屋で働いていたのか、あるいは僕は本当に大学生だったのか、それすらも曖昧だということだ。言葉では説明できても、そのときの記憶が映像として蘇ってこない。だから本当に自分の記憶が正しいものなのか、疑わしく、違和感があるということだった。
 もっとも無理やり思い出そうとすればできるのかもしれない。ただとてつもない頭痛がするので、誰もしようとはしないのだろう。幸い、生活するには不便のない記憶は残っている。現状維持が最善だった。
「二つ目」
 その言葉で僕は次に思考を切り替える。
「私たちがここにいる理由が分からない」
 椎名さんが固唾をのんだ。
 それもそうだった。僕たちの現状における一番の問題はこれなのだから。
「このことについてはもっと議論が必要だろうね。今分かっていることは、この館に私たち九人がいること。そしてここに来るときは誰もが気を失っていたこと。だからこの場所がどこにあって、どんな目的で存在するのか誰も知らない。オーナーすら分からないんだ。つまり私たちがこの館の存在理由を知らない限り、見て知ったことから考察するしかない。これが私たちに与えられた自由」
 この話にも異論はない。大川さんが言うように僕も自分なりにこの館の存在について考えていた。例えば、人間が働かなくなったら? なんてどうして自分がそんな実験に巻き込まれるんだとは思うけれど、事実としてよく分からないことに巻き込まれているので、ありえなくはないのだろう。この場合どうなるのか。この館に来る前の僕はいったい何をしていたのだろうか。普通の大学生だったとは思うのだけれど。
 大川さんは「三つ目」と言った。
「この館はロボットが管理している」
 猫飼さんが何かを言おうとして寸前で止めたような仕草を見せた。そういえば猫飼さんは機械が好きだった。背もたれに身体を預けて「そこなんだ」と猫飼さんから声が漏れてくる。
「猫飼さんの言いたいことは分かるよ。多分ここにいる誰もが感じていることじゃないかな。あんな技術は見たことがない」
 このときここにいる全員が頷いたような気がした。これこそが最大の違和感。この館のテクノロジーは僕の知っている世界とは随分とかけ離れていた。僕たちの知る世界は少なくとも街にロボットなんて走っていないはずだ。これは記憶の不安定さからくる違いなのだろうか。いや、直感だけれど、この場所が異常なだけだ。
「まあ、ロボットのおかげで私たちは悠々自適に暮らせているのだけれど。掃除、洗濯、配膳、その他もろもろをやってくれるんだから、感謝はすべきだね。パネルからオーダーを選べばなんでも運んでくれるなんて度が過ぎているとは思うけど」
 そう言って大川さんはペンのキャップを閉めた。ここまでが前回の議論。半年間この館を観察して得られた知見だった。
 とはいえ、半年間も過ごしていてこれだけのことしか議論できなかったのはやや進展が遅いような気はする。しかしそれも仕方がなかった。というのもあまりにもこの館が無機質すぎたからだ。人間味がなく、まるで鳥かごに閉じ込められているかのような、外界からの接触が一切なかった。だから新しい情報が得られない。これも僕たちを悩ませる理由の一つだった。
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登場人物紹介

歩田悟。館を徘徊する人。

嬉野祐介。館に閉じ込められた大学生。歩田と同じ歳。

猫飼可優。執事。いつも何かしている。

屋敷光明。引きこもり。特に何もしていない。

大川ひすい。マッサージチェアが好き。

佐伯叶枝。大川によく捕まる。

椎名盟里。藤堂にメガネを壊され、コンタクトに変えさせられた。

藤堂律。夕飯が楽しみ。

流田桂花。暇つぶし。

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