第35話 報復

文字数 1,730文字

 大統領選は十日後に迫っていた。
 圧倒的有利に進んでいた選挙活動は文献解読の報道を期に完全に停滞し、この二日間で少なからず支持率を下げている。
 シェブリーは新聞を読み終えると不機嫌な顔で受話器を手にした。そして、用件を伝えると受付の返事を待たずに受話器を叩きつけた。
 ドアがノックされ、現れた男はバルム委員長だった。シェブリーは、ドアの閉まるのも待たず、手に持つ新聞を机に叩きつけると声を荒げた。
「支持率を見たか?、私があのメデスと接戦だと!」
「申し訳ございません。こんなことになるとは…」
 バルムは、入口で立ち止まり肩をすぼめて足許を見つめた。
「誰か知らんが、あの解読した奴は、すでに国民の間で天才扱いされている。早く見つけておけば上手く使うこともできたのだ!」
 シェブリーは大声でバルムを怒鳴り、怒りに震える手でステッキを力一杯に振り抜いた。まともに受け止めた彼の額から血が滲み出したが、シェブリーは一瞥をくれただけで、言葉を続けた。
「それで、何か良い手は見つかったか?」
 バルムは額をハンカチで押さえ、恐る恐る拾い上げたステッキをシェブリーに渡した。
「い、いいえ。何も…」
 シェブリーが、もう一度ステッキを振りかざしたとき、執務机のインターホンが鳴った。彼は、呼吸が落ち着くのを待って受話器を取った。
「ああ、シェブリーだが!」
(総長、カーロン議員から電話が入っていますが?)
「カーロン?」
(はい、連邦議会のカーロン議員です)
 シェブリーは(この忙しいときに!)と思いながら秘書に繋ぐように指示した。切替音に続き、受話器からご機嫌を伺う用心深い声が響いてくる。
(これはシェブリー総長、ご無沙汰しています、カーロンです)
「ああ、シェブリーだが何か用かね?」
(いえ、それほどの用件ではありませんが総長がお困りかと思いまして…)
 カーロンは、含みのある言い方をした。
「私が困る?、一体それは何のことだね、カーロン君?」
(はい、この数日で支持率が思わしくなさそうなので、ついお電話を…)
 シェブリーには、受話器の向こうでカーロンが声を立てずに笑っているのが分かった。カーロンはシェブリーの返事を待たずに言葉を続けた。
(あの学生が解読したと言う記事がかなり(こた)えたようですな)
「ああ、そのようだね。君は、その学生を知っているのかね?」
 シェブリーの口調は、苛立っているのか素っ気ない。
(もちろんです。シェブリー総長もご存知ですよね?)
「いや、知らん」
(ほう、ご存じない。これは総長ともあろう方にしては信じられませんな)
「もう前置きはいい、その学生がどうかしたのかね?」
 受話器の向こうでカーロンがほくそ笑んでいるのが分かる。
(総長、記事には載っていませんが、あの解読した青年は窃盗で大学を停学になっているのです)
「窃盗?」
(そんな盗人の言うことを国民が信じているとは…滑稽な話だと思うのですが…)
 シェブリーは、その言葉に目を細めると受話器を持ったままソファーに倒れ込んだ。
(何かのお役に立ちますかな?)
 得意げな声のカーロンに対し、シェブリーは薄い唇の端に笑いを浮かべて言葉を返した。
「ああ、助かるよ、カーロン議員。このお返しは何か考えておくよ」
(総長、期待しています。では失礼します)
 シェブリーは受話器をバルムに渡して切らせると、品定めするような目を向けた。
「バルム、あの解読した学生が窃盗で停学になっているらしいがお前はどう思う?」
「どうと(おっしゃ)いますと?」
「本当にお前と言う奴は…まあ、いい」
 シェブリーは引き攣った笑いを浮かべ、バルムに近くに来るように手招きをした。
「もう、この手しかあるまい。金はいくら使っても構わん、奴を…奴を潰せ!」
「奴?」
「奴だ、あの解読した学生だ」
「学生を?」
「そうだ、大統領は奴の解読で少しばかり息を吹き返した。学生を叩き潰せば…。十日だ、十日間だけで良い。何としても潰しておけ!」
 シェブリーは、立ったままのバルムに向かって「分かったなら早く行け!」と怒鳴りつけた。弾かれたようにバルムが出て行くと、彼は低く唸るように大きく息を吐き出した。そして血走った目で天井を睨み続けた。
 シェブリーは、次の日の新聞を見て少なからず安堵した。
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