第44話 人事

文字数 4,674文字

 メデスは「君達の意見を聞きたい」と言った。
 彼の所作は数日前までとは打って変わり、自信に満ち溢れている。選挙に勝ったことが理由ではない。数カ月後の議員選挙で、優位が伝えられているからでもない。国民が環境保全の重要性を認識したことの充実感からであった。
 トメス司法省総長は、目の前の大統領から放たれる威厳の理由を世論の力だと感じていた。メデスは気付いていなかったが、それも大きな理由の一つであった。
「何についてでしょうか?」
 膝を揃え、足を斜めに流しているハミル・シェスナー総長もトメス総長の問いに同意するように頷いた。
「他でもない、シェブリーの処遇の件だ。連邦国民は、早急の対応を求めていると思うが…」
「議員解職の件ですか?」
 メデスは返事をせずに腕組みのまま頷いた。
「現行の連邦法では疑惑の段階での議員解職は許されていません、これは例え大統領であってもです」
「教科書どおりだな、トメス総長」
 司法省総長は、大統領の顔に不満の色を読み取ると慌てて言葉を足し加えた。
「ただ、大統領は総長の任命権と共に罷免権を持っています。つまり…シェブリー議員を文化省総長から罷免することに法律上何の問題もありません」
「私もその程度の事は知っている。そのうえで一刻も早く議員を辞めさせる方法を相談しているのだがね?」
「は、はい。しかし法律上…」
 メデスに無理を言うつもりはなかった。ただ彼は、最初から何も考えようともしない司法省総長に苛立っていた。
「君の見解はよく分かった、もういい!」
 メデスは、項垂(うなだ)れる司法省総長からハミル総長に目を移した。
 ハミルは、大統領の指名により、この件の調査委員会の委員長に任命されている。連邦国民は、この選任に安心感とそれ以上の期待感をもってハミルを見ていた。
「ハミル総長、調査委員会の方はどうなっているのかね?」
 ハミルは背すじを伸ばして大統領に答えた。
「現在、右院と左院議員の十二名の構成で検討中です」
「検討中?、ハミル総長ともあろう人が、まだ具体案も出せないでいるのかね」
「申し訳ありません、まだ会議は二度開かれただけですので」
「何とまあ…で、いつを目処に私に調査結果を提示する予定かね?」
「すべての調査結果の提示は四ヶ月後を予定しています」
「四ヶ月?」
 返事を返さないハミル総長に、メデスは溜息をついて首を振った。
「ハミル総長、君は泣いている子供を四ヶ月も放っておくのかい?」
「……?」
「今、泣いているのは国民なんだよ。君には、国民を我が子と思って対応して欲しい」
 メデスは「ハミル総長、どうだね?」と言葉を継いだ。
 ハミルは膝の上に乗せている両手を握り締めて目を閉じた。トメス司法省総長は、苦悩するハミルの表情を見て腹の中で笑っていた。
 慣例から、調査委員会の責任者は司法省総長がその任に当たることになっていたが、大統領はハミルを指名した。トメス総長は、妬みの感情が癒されるのを感じながら見つめている。
 ハミルは、暫く考えた後で目を開くと強い視線を大統領に向けた。
「私に全権委任して頂ければ対応可能です」
「期間は?」
「大統領のお望みは?」
「一ヶ月」
「では、二週間で結構です」
 ハミルは、大統領から目を離さずに口元に笑みを浮かべた。彼女の発言にトメス司法省総長は目を剥いて驚いた。
「馬鹿な!、不可能だよハミル総長」
「可能です」
「ど、どうするんだね?」
「会議での決定を待たず、大統領先決事項としてオーガン油製の徹底捜査と投棄地域の海底調査のみを優先します。おそらく大量の廃油が見つかるでしょう」
「なるほど、それでシェブリー総長は議員を解職となり政府は国民の信頼を得られると言うのだね」
 大統領は、納得した声で言った。
「それを二週間で?、できるはずがない、大変な費用がかかる!」
 司法省総長は絵空事を語る二人に半ば呆れた。
「トメス総長、私は大統領から全権委任されてます。我が省のすべての作業を中止してこの作業に集中させます。費用については前倒しに過ぎません」
 メデスは満足気に頷くと、蔑んだ口調で司法省総長に言った。
「これに対して現行法上の問題はあるかね?」
「い、いいえ。調査委員会への報告さえあれば…」
「では、君はすぐにシェブリー総長解任の手続きを始めてくれ、早急にだぞ。そして、ハミル総長、全権を委任する。迅速にやってくれ給え」
 ハミルは些細なことでも頼まれたように簡単に頷いた。
 机の上のインターホンが喧しく鳴った。二人の総長は、これをきっかけに退席しようと腰を浮かせたが大統領はこれを手で制した。
 メデスは、腕時計を見て(正確だな)と呟いた。彼は「君達の仲間がお越しのようだ」と言いながらインターホンに向かい「中に案内してくれ」と伝えた。
 ドアをノックする音と同時に扉が開かれた。短いスカートから膝を(あらわ)にした受付の女性が、大統領に向って慇懃に頭を下げる。そして、場違いなほど甘美な声で「お連れしました」と言った。彼女は、後ろに立つ男を招き入れると、大統領に暑苦しい視線を送ったまま、扉を閉めて消えていった。
 大統領は、その姿を見届けると司法総長に小声で「受付の罷免権も欲しいものだ」と言って頭を振って見せた。大統領の軽口に、立ったままの男を除いて全員が笑った。
「メデス大統領、お会いできて光栄です」
 男は、立ち上がった大統領の手を両手で包みながら緊張した声を出した。
「紹介しよう、こちらが司法省のトメス総長、そして氷河観測省のハミル・シェスナー総長だ」
 男は、緊張した面持ちで紹介されたトメスとハミルに手を差し出した。
「お会いできて光栄です。グラント・リストです」
 トメスは軽く頭を下げたが言葉は返さなかった。ハミルは差し伸べられた手の指先を軽く握りながら笑顔を浮かべた。
「存じ上げています。リスト教授ですよね?」
 不思議そうな顔をしたリストにハミルは微笑んだ。
「シェブリー総長の事件を調査していますから…彼に一括解任された考古学委員会におられましたよね、それにあの解読…私、ガロー新聞が好きですのよ」
 大統領は、トメス総長をハミルの横から自分の隣に来させ、リストを真向かいの席に座らせた。
「早速で申し訳ないのだが…」
 メデスは言葉を止めると、思い出したように隣のトメスに確認した。
「トメス総長、シェブリーの総長解任は本当に問題ないのだね?」
 トメスは、向かいに座るハミルへの対抗心から「明後日には」と力強く言い切った。大統領はトメスの言葉に初めて満足すると、今度はハミルに目を移した。
「順当に考えれば後任の総長はバルム考古学委員長なのだろうが、連邦国民がこれを納得すると思うかね?」
「難しいでしょう、委員長就任から間もないですし国民の持つバルム委員長のイメージは決して良くはありません」
 メデスは、ハミルに大きく頷くとリストに目を戻した。
「リスト君、聞いてのとおりシェブリー総長をもうすぐ解任する。そこで私は国民の納得する決定を迫られているのだ。ただ今回は幸いにも国民も私と同じ意見だと自負している」
 メデスは、ハミルとトメスに頷いてからリストに目を向けた。
「そこで、新しい文化省総長だが、君にお願いしたいと考えている」
 突然の大統領の発言に、リストは言葉を失った。
 ハミルも驚いてはいたが、リストの顔を見直して「適任だと思いますよ」と声をかけた。トメスも慌てて「わ、私もそう思います」と話を合わせた。
「だ、大統領、私では無理でしょう。それに私は議員ではありません」
 リストは唇が乾くのを感じている。大統領の顔は自信に満ちているようだった。
「リスト君、確かに現在の総長は全員が議員だ。しかし法律上、民間人でも良いんだよ。君なら必ずできると思うがね。それに…」
「それに?」
 メデスは、鸚鵡(おうむ)返しに聞くリストの問いにすぐには答えず、ゆっくりとソファーに背中をあずけた。
「リスト君、実は君以外に適任者はいないと推薦があってね」
「私を推薦?」
「彼の推薦だからこそ私は何も心配していない。もっと言えば確信しているのだ」
「大統領、その方は?」
 メデスは、身を乗り出すリストに頷くと少し焦らした。
「君のよく知っている男だよ…ボーリック副大統領だ」
「ボーリック…副大統領」
 リストは、その名前を繰り返した。彼は、文化省総長時代のボーリックの笑顔を思い浮かべた。当時のボーリックは委員会に頻繁に足を運んで委員の一人ひとりに声をかけてくれた。考古学委員会だけではなく、彼の下に位置付けられた幾つかの委員会についても同じだった。ボーリックは、常に人を大切にする男だった。
「ボーリック総長…」
 目に浮かぶボーリックの顔が、リストの心を強く勇気付けていた。彼は諦めたように首を振った。
「副大統領のご推薦であれば断る事はできません。喜んでお受け致します」
「ボーリックの言っていたとおりだ」
「総長…いえ、副大統領は、何と(おっしゃ)っておられましたか?」
「ああ、私の推薦だと言えば彼は受けざるを得ないだろうと笑ってたよ」
 大統領が、大きな声を上げて笑ったのでハミル総長も楽しそうに口を押さえて微笑んだ。
 リストは苦笑したが、何か思いついたのか悪戯をする子供のような笑いを浮かべた。そして、少し得意げな口調で言葉を返した。
「大統領、副大統領は私が就任に対して何か条件を出すとは言われませんでしたか?」
 その言葉に、大統領より先にトメス司法総長が驚いたように口を開いた。
「馬鹿な!、総長にしてやると言っているのに条件があるのかね?」
 メデス大統領も驚いてリストを見た。
「はい、一つだけあります」
「ほう、言ってみなさい、リスト君」
 リストは立ち上がり、大統領の側に寄ると耳元で何事か囁いた。大統領は、「簡単な事だが…大丈夫かね?」
「大丈夫です、心配ありません」
 大統領は、自信を持って頷くリストに笑顔を見せた。そして、手帳に書き込みながら「分かった、明日にでも連絡しておこう」と頷いた。
「ありがとうございます、大統領」
「いや、いいんだ。私は君に助けられたのだ。あの記事が出ていなければ今頃どうなっていたか…。ありがとう、リスト君」
 リストは、首を振った。
「副大統領に解読の再調査をお願いしたのは私ですが、私に新聞社は動かせません。おそらく副大統領の人望あってこそでしょう」
「本当かね、新聞は…ボーリックなのか?」
 メデスは暫く何も話すことができなかった。メデスは「すべてはボーリックなのか…」とうわ言のように呟いた。肘置きで頬杖をつき、一点を見つめ続ける大統領にリストは声をかけた。
「大統領、ボーリック副大統領にご挨拶したいのですが…」
「ボーリックは辞めたよ…」
「辞めた?」
「ああ、私にこの辞職願を出してね、これが連邦議会議長に渡れば、彼は普通の連邦国民になることだろう」
 メデスは、上着の内ポケットから一通の封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。誰もそれに触れようとはしない。
 ハミルが心から残念そうに呟いた。目が少し潤んでいるように見える。
「議員の中に、そうはいない人物です。本当に惜しいことです」
「ああ、私もそう思うよ」
 メデスは目の前の封筒を見ながら悔しそうに言った。そして、封筒をそのままにして窓に近づき風景に目をやった。
 大統領は振り返らずに、不意に思い立ったように口を開いた。
「司法総長、ボーリックを救えるかね?」
「大統領、彼は盗聴をしたのですよ、それもすべての国民の知るところです。今となっては遺憾とも…」
 大統領は、背を向けたまま外を見続けている。
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