第48話 講演(淘汰)

文字数 3,559文字

 「如何(いかが)なものですかな!」
 会場の歓声と拍手を抑えつけるように、低い大きな声が教室の後ろから響いた。その声の主に、会場はまた静かさを取り戻さざるを得なかった。
「理事長、暴力沙汰は行けませんな。それが准教授とあっては…特にまずい」
 男は席を立ちながら理事長に声をかけた。そして、ゆっくりと通路を下り始めた。
「カーロン議員!」
 理事長が甲高い声を上げて叫んだ。
 学生の一人が(親父が出てきたぜ!)と小さく呟いた。それが耳に入ったのかカーロン議員は立ち止まり、声の辺りを睨み据えると「何か言ったかね?」と低い声を出した。そして、粘り付く視線を残したまま、身体だけを理事長に向けた。
「暴力を振るうような准教授は、残念だが退学にしておくべきでしたな」
 言葉は、(あん)に聴衆に向けられていた。理事長は、地に足の付かない様子で当てもなく手を漂わせた。
 カーロン議員は、講演台に行くと下で倒れたままの息子に席に戻るように顎で指示した。そして、立ち尽くすヘッジスには慇懃に席に戻るように手を椅子に向けた。
 彼は講演台に立ち、集まった人達に向って低い声で話し始めた。
「皆さん、実は私もこの准教授就任を喜んでいました。考古学界の注目を集める青年が当ジプト大学の准教授になるのですから、大学にとってこれほど素晴らしいことはありません。確かに、ヘッジス君は優秀かも知れない。しかし、無実の学生を泥棒扱いしたうえにその学生を殴るとは…」
 彼はここで一息つき、畳みかけるような印象を持たれないように細心の注意を払った。
「非常に残念ですが、彼は准教授としての品位に欠けると言わざるを得ません。私としては考古学もデラ教授に教鞭を取って頂き、然るべき人材があれば教授をお願いするのが良い選択であると思いますが、いかがでしょうか?」
 教室に一言の声も上がらないのを見て、カーロン議員は理事長に目配せした。そして、講演台を降りていき理事長の耳元に囁いた。
「これが表沙汰になると、ジプト大学の名誉にも関わるのでね、再考すべきだと思うよ。もちろん、寄付金が要らないのなら話は別だがね」
 理事長は、カーロン議員と自分の靴の爪先を交互に見ながら、ハンカチを忙しく額の辺りで動かしていた。
「た…確かに、暴力はいけません。ま…まずは保留と言うことで…」
「賢明な対応だ。それでは皆さんに説明しなさい。待ちくたびれておられる」
 彼は、理事長が講演台に歩き出したのを見届けると満足気な顔を浮かべた。
 カーロン議員の顔を睨んでいたリストが、立ち上がろうと椅子の手摺に手をかけた瞬間、教室の最後列から声が聞こえた。その声は静まり返った教室の中に染み渡った。
「息子の次は、親父かね?」
 すべての人が後ろを振り返り、声の聞こえた辺りに目を向けた。しかし、探せ出せた者はいなかった。
「私を挑発しようとしてるのは誰かな?」
 カーロン議員は、明らかに怒った顔をしていたが声は冷静さを装っていた。
「彼は、泥棒に泥棒と言ったんだ。何が悪いのかね?、カーロン議員」
 声の主は、今度はしっかりとした大きな声を出した。すべての目が、頬杖をついて飄々と語る男の姿を捕らえた。
「お前は誰だと聞いているのだよ!」
 カーロンは声を荒らげて、遠くの男に目を凝らした。
 男は小馬鹿にしたように眉を上下に動かした。そして、鍵盤でも(はじ)くように指で机を叩きながらカーロン議員を見下ろしていた。ざわめきが男の周りから広がり始め、その輪は次第に大きくなっていく。
「カーロン、私だよ。いつも会っているじゃないか。忘れたかね?」
 男はカーロンに向って笑いながら、気軽に声をかけた。カーロンは、目を細めて男を凝視した。そして次の瞬間、重い何かで頭を叩かれたような衝撃を感じた。
「だ、大統領閣下…」
 集まった学生と関係者は、その言葉で確信すると羨望の喚声を上げて大統領の顔を見上げた。
 素早く立ちあがって警戒を始めた護衛達に、メデス大統領は座るようにと囁いた。やがて聴衆は立ち上がり、喚声は拍手に代わっていった。
 メデスは、遠くで中腰になって驚いているリストに軽く手を挙げると「時間があったのでね、寄らせてもらったよ」と大きな声で言って笑った。
 リストは慌てて立ち上がり、上着のボタンをかけ直すと頭を下げた。
 メデスの隣に大きな男が座っている。その男は、リストが気付いたことが分かったのか笑顔を浮かべて親指を立ててみせた。それは、誰でもない戯けた顔をしたボーリックだった。彼は、その笑顔にすべてを悟り、大統領にもう一度、深々と頭を下げた。
 リストは、戸惑うだけの理事長に向かい指示するかのような口調で言った。
「大統領に失礼だと思いますが…折角ですのでお話を頂いたらどうでしょう?」
 理事長はリストに頷くと、最後列に向かい駆け上った。彼は慌て過ぎた。段差につまずき、前のめりに転んだ。聴衆のすべてが失笑した。それでも急いで駆け上がった。
 メデスは、護衛越しに話す理事長の言葉に頷くと、ゆっくり腰を上げた。そして、エスコートしようとする護衛に軽く手を振って「大丈夫だ、ここで待っていなさい」と指示して通路を下りていった。
 彼は、拍手を浴びながら左右から出される手を丁寧に握った。そして講演台まで下りて来ると、直立しているリストとヘッジスに片方の目で笑いかけた。
 大統領は、講演台の前で笑みを(たた)え、聴衆に座るよう促した。そして一つ咳払いをしてから話し始めた。
「大事な大学の行事を邪魔してしまい申し訳ありません。しかし、私がこれほど人気があるとは思っておりませんでした。皆さんの拍手を聞いていますと大統領選挙の苦戦の理由が分からなくなります」
 大統領のユーモアに会場の緊張は(ほぐ)れ、笑い声が起こった。
「あまり長くなってもご迷惑ですので、皆さんへのお願いだけを言わせて頂きます。それぞれの地方によって様々な文化や風習があります。それが多様性であり、その違いから新たな文化・風習が生まれます。先程から聞いていますと、この地方にも他とは異なる風習があると感じました。その風習と言うのは…」
 彼は、会場を一瞥したあと、カーロン議員に目を留めて言葉を続けた。
「罪を犯した者が償わず、別の者がその罪を償うと言う風習です。良いものは脈々と生き永らえ、悪しきものは時間をかけて淘汰されるものですが、淘汰を待つ必要もない物もあるのです。来月の議員選挙での皆さんの判断を見守っています」
 メデスは、怒りに震えるカーロン議員から目の前の聴衆に目を移した。彼らは、大統領の言葉の意味を十分過ぎる程に理解していた。
 メデスが、手を挙げて講演台から退こうとしたとき、一人の学生が「大統領、質問があります!」と大きな声で叫んだ。
 メデスは、講演台の横から学生の方を振り向き「どうぞ」と優しく言った。
「大統領はご多忙だと聞いています。今日は、なぜここに来られたのですか?」
 メデスは大きな声で笑い、「なるほど」と頷きながら講演台に後戻りした。そして「大統領は確かに忙しい職業ですが、皆さんと同じように勉強もしなければなりません」と言った。
 彼は、内ポケットを探り、小さなノートと万年筆を取り出した。
「今日は、ヘッジス准教授の就任講演があると聞きましたので勉強に寄せてもらったのです」
 彼は、皆んなに見えるようにノートを掲げて振ってみせた。
「今日、講演が聞ければ良いのですが…これで答えになっていますか?」
 大統領に優しく声をかけられた学生は恐縮して丁寧に頭を下げた。大きな拍手の中、握手に応じている大統領を見ながら、エンヤ婆さんが嬉しそうな顔をクラメンに向けた。
「ほう、あれが大統領かい、回りくどいねえ」
 大統領が席に戻ると会場の騒ぎは静まった。その静寂の中、理事長は慌てて教室の隅に理事と教授達を集めている。小さな声で話し合う教授達は、その僅か二分の間に二年分の会議を行っているように見えた。
 鳥が餌を啄むような会議が終わる。理事長が振り返ると教室のすべての目が自分に注がれていた。理事長は、意識して眉間に皺を寄せたが、その動作に少しの落ち着きもない。彼は、寄付金に未練を残しながら足を前にすすめ、講演台の前に立った。
「お…お待たせしました。それでは、カフル・ヘッジス新准教授より就任の挨拶をさせて頂きます」
 再び巻き起こった拍手と歓喜の中で、エンヤ婆さんとクラメンが抱き合って喜びを表した。
 リストは、遠くのメデス大統領に目礼すると、隣に座るヘッジスの肩を叩いてやった。
 カーロン議員は、震える両手の拳を強く握り締め、その光景を睨み据えていた。そして、席で(うずくま)る息子の襟首を掴み上げると、すばやく(きびす)を返し大股で教室を後にした。
 拍手はカーロン親子の後ろで大きく波打っている。
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