第 5話 解職

文字数 4,613文字

 ここでは、どこにいても瞬く星を見ることができる。見上げる必要はない。地平線から始まり頭上を超えて低い山頂に至る天蓋、そのすべてに砂を()いたかのような星が光を放っている。星以外の光はないと言って良いだろう。
 それは、電力の供給が統制され、光のほとんどは公共施設と僅かな歓楽街だけに許されているためである。国民は欲望を抑え込まれ、薄暗く寒い夜に耐えていた。彼らは、電力のみならず多くの物を望んでいたが、それを是とする政策は遅々として進んでいない。

 星空に薄い雲が流れているのが窓から見える。
 この建物はこの星で唯一の高層建築物である。建物は、背後の雲と星の光を遮り、直線的な黒い輪郭だけを浮かび上がらせていた。外から見れば、この建物は墓標に見えることだろう。
 時折、建物を囲む敷地内に警備員が姿を見せる。しかし、彼らが消えて見えなくなると、大樹の枝の他に動くものはなかった。
 威圧的に下界を見下ろす建物は、一つの窓を除いて既に照明が落とされていた。

 小刻みな音が会議室で、ただ一つの音だった。テーブルを囲む人の前には書類の綴りが置かれていたが、開かれているページは違っていた。
 男は椅子に深く座り、机を爪で神経質に叩きながら口を開いた。
「委員長、もうすぐ一年になるが君のスタッフは眠っているのかい?」
 声は明らかに怒りを含んでいた。
「また同じ話ですか。我々も最善を尽くしています。何度言えばいいのですか?」
 集まった文化省の次官達は、会議の度に繰り返される会話に無関心を装っている。そして先に帰っていった多くの部下達を腹立たしく、また羨ましく思っていた。
 男は、机の上に身を乗り出し、唇の端に薄笑いを浮かべた。
「委員長、そもそも君達に能力がないからこうなるんだ。あんな物に一年もかかっているとは信じられんよ」
「あなたが国家の…いや自分自身の面目を守るためにやったことを考古学委員会に(なす)り付けるのは止めて頂きたい!」
「私のせいだと?、一年あれば大丈夫だと言ったのは君の方だよ。人のせいにするのは止め給え」
 リスト委員長は、椅子を弾き飛ばして立ち上がり机を大きく叩いた。椅子が後ろで大きな音を立てて倒れた。
「確かにあの文字を見たとき、解読は遅くとも一年程度と申し上げました。しかし、あなたはその時なんと言われましたか?」
「……」
「国民に報道してから一年もかかるようでは国際文化省の信頼に傷が付くと言われました。それであなたは事実を隠蔽(いんぺい)し、解読できた頃を見計らって発見したことにすると言われたではありませんか。それを今になって何を急がれるのですか」
「知らんなあ」
「あなた自身が言われたことですよ、ここにいる皆さんも聞いています」
「諸君、私が何か言ったのを覚えているか?」
 男は、そう問うと出席している全員を見回した。すると、会議室の隅から声が上がった。
「総長、私は聞いたことはありませんな」
「おやおや。カーロン議員、これは文化省内の会議です。今日あなたは、傍聴の立場ですので発言権はないはずですが?」
 総長と呼ばれた男は笑みを浮かべてカーロン議員に目配せをした。カーロン議員は「これは失礼」と(おど)けた口調で肩をすくめた。
 総長は、他の出席者からの発言がないことに満足すると、「どうやら、私はそんなことは言っていないらしいね、そうだね諸君?」と、再び出席者を見渡した。強引に押さえ付ける口調に、次官達は誰一人として顔を上げようとはしない。
 リスト委員長は驚き、会議室の全員を見回したが彼の目を見返す者は誰ひとりいなかった。総長は、言葉の出ないリストに代わって話を続けた。
「そんなことより君達の一年間はもうすぐ終わりそうだが?」
「……」
「もう半年やろう。どうだ、やれるか?」
「半年?」
「そうだ、半年だ。委員会に残された時間は、あと半年しかない。どうだ、やれるか?」
「…ここまで来たら、やらなければならないでしょう…」
 リストは、奥歯を噛み締めて苦渋の声を絞り出した。
「まあ、もう期待はしてはいないけどね。駄目なら国民に周知するだけのことだ。もちろん、今発見したと言ってだがね。そうしなければ間に合わんのだよ」
「……」
「ああ、それと…君のところのスタッフの変更を考えている」
 総長は、内心でリスト委員長の反応を楽しんでいた。リストは、突然のことに驚き、言葉を詰まらせながらできる限りの反論を試みた。
「私、私は反対です。現在の委員会スタッフは、すべて優秀な技術者です。誰を替えても代わりになる者はいません」
 総長は、手に持つステッキの柄を撫でながら歪んだ笑いを浮かべた。そして、ステッキの先をリストに向けた。
「いや、心配いらない。そのスタッフは誰でもない…君なんだよ」
「……」
「後で私の部屋へ来なさい」

 国際文化総長室の札が張付けられたドアをノックする。受付担当者は、机を綺麗に整え、既に帰っているようだ。室内からの返事に促され、リスト委員長は中に入った。
 総長は、腹の突き出た大柄な男だったが、正面に置かれたデスクはその彼にしても不必要なほどに大きい。それは、彼にとって自分の地位を最大限に誇示するために必要なものだった。
「シェブリー総長、リストです」
 入り口に背を向け、夜景を見ていたシェブリー総長が振り返った。そしてステッキに頼りながらリストの側に寄ると肩を叩いた。
「リスト委員長、さっきは済まなかったな。事前に連絡できる時間があれば良かったのだが」
「……」
「この件に関しては上層部も関心が高い。解読を急ぐようにと圧力がかかってしまってね。私としては、最後まで君に指揮を執って欲しかったのだが…」
「上層部は何も言わないでしょう。あなたほどの実力者がいては言えないと言った方が適切かと思いますが。もちろん、この件を知っていればの話ですが…」
「相変わらずだな、リスト。口は災いの元と言うのは本当のことだね」
 リストは、不快な会話を早々に切り上げるために自分から切り出した。
「総長、結論からお願いします。私は、どこへ異動なのでしょうか」
「異動?」
 シェブリーは、ひどく驚いた振りをして冷たい声で言った。
「これからの考古学は、底辺の拡充が重要だ。君にはその任に当たってもらいたい。ここを辞めて民間でその能力を発揮して欲しい。」
「た、退官…私は退官ですか!」
 リストは、呆然として棒のように突っ立ったままでいた。
「そうだ、いくつか候補はあるが…まあ君が良ければの話だがね。どこにしても君にとっては栄転だと思うがね」
 震えるほどの怒りがリストを襲った。自己保身のために手段を選ばない男に、リストの憤りが脈打っている。
 しかし、リストは奥歯を噛み締め、その怒りが静まるのを忍耐強く待った。そして落ち着きを取り戻すと、低く感情を押し殺した声を出した。
(おっしゃ)るとおりに致します」
 そして、満面に笑みを浮かべるシェブリー総長に一礼してドアに向ったが、途中で何かに気付いたように振り返った。
「総長、ご存知でしょうか?」
「何をだね?」
「魔法の杖を他者のために振る者は神と呼ばれますが、(おのれ)のために振る者は悪魔と呼ばれるそうです」
 鋭利な目がリストを捉え、ステッキが強く握られたのが見えた。リストは構わずに話を結論付けた。
「祈りは、本来、後者の群れのためにあると言われています。私もあなたの幸運を祈りましょう」
 シェブリーは、大きな音を立ててステッキを絨毯に強く突き刺した。そして歪んだ顔を震わせながら吐き捨てるように大声を出した。
「ボーリック副大統領に頼んでも無駄だぞ!」

 リストは、薄暗いエレベーターホールの窓から外を覗いた。星空に薄い雲が流れているのが窓から見える。眼下には幾筋かの道路が望める。薄紅色のテールランプが明滅しながら流れていた。眠りを誘う照明は道路を橙色に浮かび上がらせている。道路は遠くまで続き、やがて一筋の光の線となり消えていった。
 遠くには華やかな光に包まれた場所が幾つか点在しているが、やがて闇となるだろう。
 彼は「もうここに来ることはないだろうな」と呟いて駐車場に向かった。

 リスト委員長は、車を降りるとその建物を見て溜息をついた。先程まで居た国際連邦ビルに比べ、木造の二階建てはあまりにも質素である。しかし、連邦ビルだけが特別であり、その他の国家機関の施設は、この建物と大きな差はなかった。
 リストは、ポケットに手を入れたままで降り始めた雪を見上げた。そして、表札に張りついた落葉を除ると肩の雪も気にせず、建物の中へ入っていった。石板で造られた表札には「国際考古学委員会」と深く彫り込まれていた。
 廊下は歩く度に湿った悲鳴をあげ、委員長室のドアは驚いた小鳥のような声をあげた。彼は自分の小さな木机の前に立つと、慈しむように天板を撫でた。そして狭い部屋の中を見回して思い出を拾い集めようとした。
 感傷はドアの向こうからの声で遮られた。
「委員長、お帰りですか」
「ああ、帰ったよ。入りなさい」
 促す声に丸首セーターを着た背の高い男が部屋に現れた。リストは帽子を机に置くと自分の椅子に座った。
「何の用件だったのですか?」
「また、催促だよ。しかし、今度は期限付きだがね」
「期限?」
「そうだ、半年以内に解読しろとのことだ」
「半年?、いくら何でも無理ですよ!」
 セーターの男は、甲高い声を出して首を振った。
「やらなければならないのだ。できなければこの作業は終わりだ」
「終わりと言いますと?」
「解読が無理なら、民間の知識を総動員するらしい」
「民間人になんか絶対に無理ですよ。それに国際文化省も困るでしょう」
「いや、発見と同時に発表したことにするらしい。シェブリー総長にとっては容易なことだ。実際、彼が考古学界を牛耳っているのだから」
「馬鹿な、そんなことが許されるものですか!」
「そのとおりさ、我々の無能さがこの事態を招いたと言うから噛み付いてやったよ」
「それは是非、見たかったものです。で、シェブリーは何と?」
 リストは、首に巻いていたマフラーを解くと、気だるそうにそれを帽子の上に乗せた。
「私をクビにしたよ。栄転だと言ってね」
「ク…クビですか!」
 男はリストの机の上に身を乗り出して驚きの声を出した。
「ああ、そうだ」
「解読は…、解読はどうなるんですか?」
「新しい委員長が引き継ぐことになるだろう」
「無理です。あなたのいない委員会に解読などできるはずがありません!」
「私がいても解読は進まなかったよ。それより半年だ。半年以内に何とかしてくれ。そうしなければ、次はこの委員会の全員がここを追われることになる。シェブリーとはそう言う男だ」
「委員長、不可能です。特徴と言えば常用外文字が多すぎるだけで、あとは私達と同様の文字を使っているのです」
 男は、訴えるように話を続けた。
「文字列は、他の古代言語を含めて調べても見つかりません。結局この一年間で分かったことは僅かです。委員長もよくご存知のことでしょう」
「ああ、よく解っているが時間がないのだ。すまない」
「リスト委員長、ボーリック副大統領にお願いしましょう」
 リストは「彼にしても、何ともならんだろう」と力なく首を振った。
「とにかく半年だ。君達に期待している。厳しいだろうが期待せざるを得ないんだ、頼んだぞ」
 リストは、うな垂れる男を慰めようと努めて明るい声を出した。
「すまんが全員を呼んでくれないか」
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