第34話 報道

文字数 3,482文字

 広いリムジンの中で大統領は流れる景色に目を奪われていた。一斉に萌え始め、様変わりする景色は、厳しい冬を経験した者にとって誰もが心をときめかすものである。彼は、朝日の中で疲れ切った体が少しずつ癒されていくのを感じていた。
 しかし、その心地よい時間は、向かいの席に座る秘書官によって壊された。
「大統領、今日の西地区の知事との定期会談ですが、空港公共工事についての話題が出ると考えられます」
「あれは凍結案件で、環境への影響調査を行っているはずだが?」
 無理やり現実に引き戻された大統領は気のない返事を返した。
「西地区だけではありません、多くの地区から同じような要望が出されています。シェブリーの開発優先の発言で強気に出ているものと思われますが…」
「またシェブリーか、彼のせいで何事もうまく行かんよ。ここ最近は酒も喉を通らないくらいさ」
 大統領は眉間に皺を刻んで目頭を軽く揉んだ。
「仕方ありません、国民はあなたの語る未来よりもシェブリーの言う現在を選択しているのです」
 片方のタイヤが何かを踏んだのか車が大きく揺れた。大統領は深く息を吐いた。
「やはり…負けだな」
「…おそらく」
 大統領は秘書官の言葉に何も返さず、黙ったまま景色に目を戻した。
 (今更、何を…)
 秘書官は、口から出かかった言葉を飲み込んだ。彼は、窓ガラスに頭をあずける大統領から新聞に目を移し、気まずさから逃れようとした。新聞紙の上を朝日と木の影が交互に走り去る。
 新聞の一面には大統領選挙を押し退けて一つの記事が大きな文字で刷られていた。
「最古の文献、解読!」
 新聞はページの半分を割いて、この事件を次のように伝えていた。
   *
『最古の文献、民間人が解読!』
 国際氷河観測省により発見され、各都市を展示巡回中の最古の文献は、ジプト大学の学生(十九才)によって解読された。文献の文字は、現在の文字を使用しながらもその内容は分かっておらず、考古学委員会でも解読には成功していなかった。青年は会場でその内容を読み上げて周囲を驚かせたと関係者は語っている。

  彼によると、文献は何かの「法典」であろうと言うことである。文字は、一文字ごとに意味を持つ表意文字で記載されており、その文体はアルダヌ語(死滅した古代言語の一つ)を主として構成されていると言う。彼は弊社の質問に対して次のように語った。
【解読成功の理由について】
 私は、同じ言語で書かれた文献を約一年程前に発見しました。これは、この大地の歴史を綴った個人的な日記のような物だと考えています(以後「歴史の書」)。この解読と同様の方法で文献が読めたのです。
【解読した最古の文献の内容について】
 二十万年程前の法典ではないかと思います。展示会場で、数ページ見ただけですので詳しいことは分かりません。
【解読の方法について】
 長い間、解りませんでした。しかし、ある歌にヒントを得ました。通常、単語は数文字で表されるのですが、この文字は一文字で意味を表しています。例えば(き)は綺麗、と言うようにです。もちろん、二十万年前の文体がすべてこうであったとは思いません。何かの理由があって…そう、速記などの一つの方法として使われていたのかも知れません。
【古代語との関係について】
 文法(単語の並び方の規則性)についても現代と全く異なっています。しかし、それはアルダヌ語の規則性を準用することで解決されました。そして先ほどの表意文字ですがこれはアルダヌ語、カプル語とセプト語から導かれます。
【発見した「歴史の書」について】
 私の発見した文献にも驚くべき事実が記載されていました。それは、現在と肩を並べる程の素晴らしい技術力です。しかし文化レベルは低かったと言わざるを得ません。なぜならば二十万年前、私達の祖先はこの星を汚れたものとしたのです。ひどい自然破壊と環境汚染が広がり、地上に住むことさえもできなくなった人達は、地下での生活を余儀なくされました。政治家は私利私欲のためにその状態を放置したとも記されてありました。解読はまだ途中ではありますが…。(解読文、後記掲載)
 この最古の文献の解読について国際考古学委員会に問い合わせたところ「現段階ではその真偽についてのコメントはできないが、真実であるならば素晴らしいことであり、考古学への貢献は計り知れないものとなるだろう」とコメントした。二十万年前の法律が明らかにされることで、第一世代の文明、技術力の解明が期待されている。

《解読内容(歴史の書)》
 私達は大きな過ちを犯していた。すべては早くから分かっていた。誰もがそれを分かっていながら放置した。最初は、か弱い幾つかの種が消えていく程度だった―
   *
 リムジンの中は静かだった。道路を舐めるタイヤの音しかしない。
 暫くして大統領は向かいの秘書官に目を戻した。秘書官は、新聞を握り締めたまま動かないでいる。
「マランド君、おもしろい記事でも載っているのかね?」
「大統領、こ…これを読まれましたか?」
 秘書官は、新聞を見せながら興奮気味に大統領に詰め寄った。
「ガロー新聞か、まだ読んでないが…。相変わらず私の支持率は低いかね?」
「違います、この記事です。例の文献が民間人に解読されたのです!」
「文献?」
「ええ、氷河観測省の発見したあの文献です」
「ああ、あの本か。それがどうかしたのかね?」
「解読はシェブリーの発表以来、国民的な関心事となっているのはご存知ですよね?」
「いや、考古学委員会は目の色を変えているらしいが...」
 呆れる秘書官の顔に気付かず、大統領は言葉を続けた。
「また、シェブリーの人気が上がりそうだね」
「いいえ大統領、その逆です。これでシェブリーと戦えるかもしれません!」
「シェブリーと戦える?、解読で民間人に負けたくらいで総長の責任までは問えないだろう?」
「この記事をお読み頂ければ分かると思います」
 秘書官は、大統領の目の前で新聞記事を指差しながら目を輝かせた。大統領は、ポケットから眼鏡を取り出すと秘書官の差し出す新聞を受け取った。記事に目を走らせた大統領は「二十万年前に…」とだけ呟いた。
「使えるでしょう、大統領!」
「二十万年前にこれほど悲劇的なことが起っていたとは信じられない!」
「しかし、私にはこの記事がでっち上げだとは考えられませんが?」
「私も同感だ。これが本当に事実ならば私は間違っていなかったことになる」
 大統領の持つ新聞が乾いた音を立てている。紅潮した顔は怒っているようにも見えた。秘書官は久しぶりの笑顔を浮かべると大統領に大きく頷いた。
「そのとおりです。あなたは間違っていなかった!」
「大昔の政治家は一体何をやっていたのだ、国民を愚弄するにもほどがある!」
「やりましょう大統領!、シェブリーを潰してやるんです!」
「マランド君、相手はシェブリーではない、連邦国民に同じ轍を踏ませてはならない。私達はそのために戦うのだ」
 彼は、自分の言葉とは裏腹に、国民を犠牲にした太古の政治家の顔がシェブリーと重なり合うのを止めることはできなかった。
 大統領の顔は先程までの彼とは明らかに違い、強い意志が漲っている。
 大統領が手許のボタンを押すと、運転席と座席を隔てるガラスが降りていく。彼は、運転手の背中に指示を出した。
「停めてくれ給え。それとすまないが君のサングラスを貸してくれないかね」
 大統領は、運転手から差し出されるサングラスを秘書官に手渡した。そして、自分も内ポケットから取り出したサングラスを掛けると、久しぶりの笑顔を浮かべた。
「大統領、何を?」
 彼は、戸惑う秘書官を車内に残し、外に出ると足早に歩道を歩き始めた。秘書官は急いで飛び出し、大統領の脇に張り付いて抑えた声を出した。
「危険です!、大統領」
「大丈夫だ、それより君がその顔では私の正体がばれてしまわないかね?」
 大統領は、秘書官の持つサングラスを指差しながら笑った。マランド秘書官は「あっ」と言うと、緊張のため強張った顔を素早くサングラスで隠した。
「マランド君、急用ができた。今日の知事との会議だが、中止にしてくれ」
 大統領はサングラスを上げ、茶目っ気のある目で秘書官にウインクをすると、一軒の店を顎で指した。
「君、大統領でも一日くらいは…朝からでもいいだろう?」
 離れて追走していた数十人の警備担当も車を停め、冷静さを装いながら大統領の後を追っている。秘書官はさり気なく、そして油断なく辺りを見回した。そして警備担当に目配せをすると大統領の後を追って小さなパブの中へ消えていった。
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