第32話 エンヤ婆さん

文字数 1,691文字

 荷物を放り投げ、座り込んだエンヤ婆さんは甘菓子を口に放り込んだ。そして矢継ぎ早な爺さんの愚痴にあからさまに嫌な顔をした。
「いいじゃないか少しくらい留守にしたって。あんたにも土産くらいはあるよ!」
 それからエンヤ婆さんは、長々と話す爺さんに曖昧な返事をしていたが、その話の一つに驚いて咳き込んだ。
「ヘッジスが泥棒?、一体何をくすねたんだい?」
「なんでも学校の先生の首輪か何からしいぜ」
「首輪?、そりゃなんじゃい?」
「何か知らねえよ、ほら、奴の好きなあれだよ…こ、骨董品みたいなものらしい。それを盗んで学校を停学にされたみたいだ」
「骨董品をあれだけ持っているヘッジスがかい?」
「そりゃあ、値打ち物だったらしいぜ。奴はそう言う代物が好きだからな」
 爺さんは、訳知り顔で頷きながら婆さんに話した。
「いつのことだい?」
「ほれ、お前が行く前だから三ヶ月程前かな…そうそう婆さんがヘッジスの鍵を拾ったとか言って騒いでた日だよ」
「ああ、あの日かね。でも、ヘッジスがねえ。変わってるけどそんな子じゃあないと思うがねえ」
「まあヘッジスなんてどうでもいいや。それより、あいつらは元気だったかい?」
「もう元気過ぎて困るくらいだよ。私しゃあもう疲れたよ」
「爺ちゃんに会いたいって言っていなかったかい?」
 爺さんは身を乗り出して、嬉々として孫の話を聞きたがった。
「言わなかったね。あんたがまだ生きてるのも知らないんじゃないかねえ」
 爺さんは顔を真っ赤にして「寝る!」と怒鳴ると、婆さんの出した土産を引っ手繰り、階段へと逃げていった。エンヤ婆さんは爺さんの後姿に「言い過ぎたかねえ」と呟いた。そして、そんなことはすぐに忘れて荷物の紐を解き始めた。

 もう雪はほとんど溶けてなくなっていたが、雪解け水を集めた川は深く、まだ冷たかった。横には山のような洗濯物が積み上がっている。
「こんなになるまで溜めやがって、少しは自分でやりゃあいいんだ!」
 エンヤ婆さんは、独り()ちながら赤い手に息を吹きかけた。
「お久しぶりですね。お孫さんに会いに行かれていたと聞きましたけど?」
 エンヤ婆さんは、突然の声に少し驚いた様子で顔を上げた。そこにはリストが立っていた。彼女は、慌てて顔を元に戻すと、明らかに気取って少し高い声で話し始めた。
「ええ、グラントさん、昨日帰ってきたばかりなんですよ」
 リストはこの村では相変わらずグラントと呼ばれている。
「お孫さんは元気でしたか?」
 エンヤ婆さんは腰から垂らした布切れで手を拭いながら頷いた。
「ええ、もう楽しみはそれだけで…なんせ家には爺さんだけだからね」
「で、帰って早々に洗濯ですか?、大変ですね」
「爺さんが不精者で困ったもんですよ。で、グラントさんはどちらへ?」
「ええ、ヘッジス君の家に寄ろうと思いまして」
「ヘッジス?、爺さんの話だと何でも停学になったとか…」
「ええ、彼は何もやっていないのに停学です!、可哀想に…」
 リストは、何もしてやれない自分に対して声を荒らげた。
「やってもないのに何でまた停学になるんです?」
「彼の家にブレスレット…盗まれた物なんですが…それが投げ込まれていたんです。それを私の所に届けてくれたのですが…それだけで停学です」
「ヘッジスの家にねえ…」
 エンヤ婆さんは腕組みをして何事か考えている。
「ええ、正直者が馬鹿をみるのが腹立たしくて仕方ありません」
「それで、骨董屋…いや、ヘッジスはどうなんだい?」
 エンヤ婆さんは思案顔のままでリストに聞いた。
「最初は、もう…見ていられませんでしたよ」
「ちょっと気の毒だねえ」
「ええ、でも彼なら大丈夫です。もうだいぶ元気になりましたよ。それにヘッジスは…教科書に載るような男ですからね。ではまた」
「教科書?、ヘッジスが?、泥棒で?」
 婆さんは腕組みをしたまま首を捻った。顔を上げると、もうリストはヘッジスの家に入って行くところだった。エンヤ婆さんは慌ててリストに声をかけた。
「グラントさん、今度時間があるときに寄っておくれ、ちょっと話したいことがあるんだよ!」
 リストは「分かりました」と応えてヘッジスの家の中に消えていった。
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