第24話 寄付の代償

文字数 2,603文字

 その部屋はデラ教授の部屋より、少し立派な程度だった。テーブルは木製の質素な物だったが、なぜかソファーの肘置きにだけ大理石が嵌め込まれている。男はテープルの小さな木箱から葉巻を取り出したが、感触を確かめただけで火は付けなかった。
 理事長室に呼ばれたデラ教授は、目の前に出されたブレスレットを見て目を丸くした。彼は急いで手に取ると目に近づけて注意深く観察した。
「どうだね、君のブレスレットに間違いないかね?」
 理事長は、興奮気味のデラに向かって抑揚のない声で話しかけた。
「ええ、私の物に間違いありません。理事長、どこにあったのですか?」
「昨日、リスト教授が私に届けてくれたんだ。ある学生の家に投げ込まれていたらしい」
「だ、誰ですか、その学生というのは?」
「誰でも良いだろう、名前を聞いてどうしようと言うのかね?」
「そいつが犯人かもしれないと思いましてね」
「馬鹿な、盗んだ者が家にありましたと持って来ると思うかね?」
 理事長は呆れ果てたと言った顔で、デラに冷たい目を向けた。
「はあ、でも…」
「でもじゃないよ。元はと言えば君の管理に問題があるんじゃないのかね?」
「いえ、理事長…」
「善意で届けてくれた学生を泥棒扱いにするとは、君は、教育者として…」
 理事長が身を乗り出し、デラ教授を指差したとき、机の上の電話が鳴った。
 理事長は忌々しげにデラの顔を見て「待っていなさい」と言うと受話器を取り上げた。
「はい、理事長のヘンデだが!」
(やあ、ヘンデ。元気だったかね?)
 受話器の向こうから高慢な男の口調が聞こえたので、理事長は少し声を荒らげた。
「君は誰かね!」
(私だよ、私だ。カーロンだよ)
 理事長は、声の主が分かると即座に椅子から跳ね上がり直立不動の姿勢を取った。
「こ…これはカーロン議員、失礼しました。な…何かご用でしょうか?」
(いや、たいした用事ではないのだが、ある理事から変な話を耳にしてね)
「話と言いますと?」
(いや、君の大学で窃盗があったと聞いたのでね。で、犯人は見つかったかね?)
「いえ、ただ盗まれたブレスレットは無事に出てきましたのでご安心ください」
(出てきた?)
「はい、学生が家に投げ込まれていたと、昨日届けて来ました」
(ほう、それでその学生の名前はなんと言うのかね?)
「考古学専攻のヘッジスと言いますが…何か?」
(ヘッジス?、ああ、あの骨董屋とか言われている学生かね?)
「そうですが、よくご存知ですね」
(彼のことは息子からよく聞いているのでね。そうかいヘッジスか…彼ならやりかねないな…)
「は?」
(いや、ヘッジスならおかしくない…いや、彼が犯人だろうと言ったんだがね)
「カーロン議員、それはないでしょう。彼が届けてきたのですよ?」
 理事長は悪い冗談だと思い、笑って答えた。受話器の向こうから尖った声が聞こえた。
(ほう、私がそう言っているのだが、君は笑うのかね?)
「い、いえ…」
(君はこの件を理事会でどう説明するのだね。まさか犯人は知りませんとでも?、そうなれば君の管理能力が問題になると思うがね)
「分かりました、全力で犯人を探します!」
(ヘンデ君、そんなに頑張らなくても良いよ。犯人は彼なんだから)
「えっ、彼…ですか?」
(ヘンデ君、時には正しい答えが必要ないときもある…)
「……」
(負の案件ほど早急な対応が必要なのだ。それに相応な処分もね)
「しかし、彼は…」
(結果次第で今年の寄付金は考えさせてもらうよ。ではまた電話する)
 理事長は一方的に切れた電話の受話器を握り締め、暫く呆然と立ち尽くしていた。
 多くの大学はカーロン議員からの寄付を受け取っていた。それが選挙のためと分かっている。しかし、財政難の大学は糊口を凌ぐため、その寄付と言う名の施しを甘んじて受け入れていた。それはヘンデ理事長も例外ではない。例外どころか、彼はその寄付の一部を妻へのプレゼントにさえ流用していた。
 デラ教授は心配そうな表情で「どうかされましたか?」と聞いた。
 理事長は冷静さを装って見せたが、その表情は明らかに数分前とは変わっている。彼は、震える葉巻に火を付け、口に含んだ煙をゆっくりと吐き出した。目の前には、ただ自分のブレスレットの事だけで頭が一杯の男がいる。理事長は、カーロン議員の言葉を思い出しながら葉巻の煙を吸い込んだ。
「ああ、今回の事件についての電話だったよ。そうだ、さっきの質問だが…デラ教授、聞いていたと思うが…届けて来たのはヘッジスだよ」
 理事長は、言葉と一緒に煙を吐き出しながら注意深くデラの反応を観察した。
「ヘッジス!、あの骨董屋ヘッジスですか?」
 デラは太った体を揺らしながら吠えたが、声だけは痩せ犬のようだった。
「理事長、奴ならこれを欲しがるはずです。あいつだ、あいつが盗ったんだ!」
 理事長は、デラに分からないように口の端で笑うと「君はそう思うのだね?」と、デラに聞き直した。
「もちろんですよ、絶対に奴がこれを盗ったのです」
 ブレスレットを振り興奮するデラに頷いてやりながら、理事長は灰皿に葉巻の灰を落とした。
「私の意見はさて置き、君がそう考えるのなら、まずは教授会に諮ってみなければならないが、どうかね?」
「当然、教授会での議論が必要です!」
 デラは口から唾を飛ばしならが叫んだ。理事長は、餌もない針にかかった単純な男に心の中で感謝した。
「そこまで言うなら仕方がない。明日、教授会を緊急招集するとしよう」
 彼は、青い煙をゆっくりと吐き出し、煙の中に埋まった顔を頷かせた。それはデラにではなく、取り敢えずこの結果に満足している自分にであった。

 受話器を置いたカーロン議員は、暫くの間、動かなかった。彼は数日前の息子の姿を苦にがしく思い出し、奥歯を噛み締めた。
 息子に無関心な彼の目にもその姿は明らかに異様だった。息子の手首にあまりにも不釣り合いなブレスレットが輝いていたのだ。彼は問うことも無く理解した。そして、歯軋りをして憤怒した。
 息子の将来を案じて憤怒したのではない。そんなことは彼にとって重要ではない。ただ、自分のためだけに息子を罵倒し続けた。その怒りに充ちた目は、息子ではなく近づく議員選挙だけを見続けていた。
 彼は、我に返ると息の漏れるような咆哮をあげた。そして目の前の電話を力一杯に払い除けた。電話機は壁に当たって割れ、内部を見せている。受話器は千切れて廊下の奥まで滑っていった。
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