第20話 大統領選

文字数 1,923文字

 世界の中心はすべてこのビルの中に詰め込まれている。あらゆる最高決定機関が収まり、その中の数十人が少し顎を動かすだけで世界は大きく動き始める。
 ビルの最上階に彼の執務室はあった。そこは、国民の誰もが知っているにも関わらず、最も限られた人しか訪れることのできない部屋だった。
 インターホンから女性の生暖かい声が流れた。
「メデス大統領、マランド秘書官がお見えになりましたが」
 メデスは、短いスカートを纏った声の主を頭に浮かべる。そして、その容姿を際立たせるための努力に敬意を表しながら(寒かろうに)と憂いた。
「入ってくるように伝えてくれ…そこは寒いからね」
 女性にその真意が伝わることもなく、インターホンからは「分かりました」と今度は湿った声がした。
 扉が開かれると、美貌を誇示する女性に促され、コートを手にした秘書官が現れた。マランド秘書官は、大統領の座っている机に向かって歩きながら口を開いた。
「大統領、厳しい状況です。これほど劣勢になるとは…」
 マランドは、ソファーで(くつろ)ぐ男に気付くと「こ、これは副大統領。失礼しました」と軽く頭を下げた。
 白髪のボーリック副大統領は座ったまま振り返り、笑みを浮かべて手を上げた。そして「マランド、初めての選挙対策本部長は良い気分だろう?」と茶化した。
 マランドが隣に座ると、ボーリックは正面の机に座る大統領に顔を向けた。
「メデス、彼はずる賢い仕掛けで確実に国民を味方につけているようだね」
「先週の世論調査の結果で、ある程度は覚悟してはいたが…」大統領は机に肘をついて手を組むと額に押し当てた。そして溜息を吐いて話を続けた。
「あれには参ったよ。単なる考古学上の発見だと考えていたんだが甘かった。シェブリーはそれを巧みに利用している。頭の良い男だよ」
 大統領の言葉に秘書官は大きく頷いた。
「ええ、あれで形勢が大きく変化したことに間違いありません。それまでは保守層を中心にあなたの実績への評価も高かったのですが…」
「今更何を言っても始らない、対策本部には報道関係者への政策アピールを継続するように指示しておいてくれ。しかし、あの発表ごときに国民がこれほど熱狂するとは…」
 マランド秘書官は「ちょっと耳に挟んだ噂なのですが…」と大統領を上目遣いに見た。
「なんだね?」
「実は、あの文献の発表に関してなのです。ただ、これは我が陣営の選挙対策メンバーが聞いた噂に過ぎませんが…」
「私の支持率を下げた文献…今、各地を回っている最古の文献かね?」
「ええ、あの文献はもっと前に発見されていたのではないかと言うのです」
「……?」
「シェブリー総長は、故意にその発見を隠して選挙戦に利用したと言うのです」
「それで?」
「私に調べさせていただけませんか?」
 メデスは、小さく頭を(かし)げると秘書官からボーリックに目を移した。
「君は文化省の元総長だ、シェブリーについては詳しいだろう?」
「メデス、君の期待に沿えなくて悪いが無理だろうね。昔も今も奴は手段を選ばない男なんだ。正攻法では到底無理だと思うよ」
 大統領は机から立ち上がり、副大統領と秘書官の座るソファーに座った。秘書官は大統領に顔を向けた。
「しかし、このままでは…、使える手は何でも使わなければ勝てません」
「いや、迂闊(うかつ)にこの件を出せば、必ず選挙のための捏造だと噛み付くだろう、それを国民が支持したらどうなる?」
 大統領は、歪んだ顔で(わめ)き散らすシェブリーを思い浮かべながら話を続けた。
「また後手を踏めば終わりだ。この件は、報道屋に任せておくのが一番だろう。それに、私はスキャンダルを使ってまで勝ちたくはないんだよ。ボーリック、君はどう思うね?」
「私も、今は動くときではないと思う。ただ、調べても良い時期が来るかも知れないね」
 ボーリックは、マランド秘書官を見ながら(ただ、この件の適任は君ではない。彼女をおいて他にないのだ…)と考えていたが口にはしなかった。
 大統領は、彼の言葉に満足感のない納得を示すと、マランドに指示を与えた。
「取り敢えず挽回するための新しい手立てを考えてくれ」
「取り敢えず?…分りました。では大統領、明日の共同会見の成功を祈っています…」
 秘書官は、苦々しい表情を浮かべて言葉を濁した。大統領は顔を歪めている。
「ああ、分かっている、争点は環境問題だと認識しているさ。これで負ければ、それこそ終わりだ」
 マランド秘書官がドアを出ると、受付の女性が軽く頭をさげた。秘書官は、暑苦しい笑顔に見送られている。彼は、一度も受付の女性と目を合わせることもなく執務室を出て行った。
(若造みたいなことを言いやがって…負けだな)  
 そして、首を振りながらエレベーターのボタンを押した。
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