第 9話 発表

文字数 4,539文字

 国際連邦ビルの玄関前は、ひどい混雑だった。門扉から玄関まで続く広い通路から人が溢れ出し、雪でぬかるんだ庭までも人で埋め尽くされていた。人々は寒さに耐えきれず口々に苦情を言いながら押し合い、庭木の枝の数本を折っていた。
 扉が開かれると同時に多くの人が中に流れ込む。玄関先の広いマットは、僅かの間に仕事を終えていた。彼らの流れは規律のない蟻のように三階の一室に続き、入りきれない人が廊下にまで溢れていた。

 会議室の中は、殺気立っていた。時間は既に過ぎていて、すべての顔は苛立ちを浮かべている。
「みなさん、もう少しお待ちください」
「待てって言っても時間はもう過ぎてるじゃないか、早くしろよ」
「申し訳ありません。いま暫くお待ちください」
 罵声の中で汗を拭く間もなく、担当者は何度も同じことを説明している。
 シェブリーが会議室に現れると幾つかのフラッシュが焚かれた。彼は笑顔を浮かべてはいたが、通路脇から差し出されるマイクを手で払い除けた。
「シェブリー総長、内容について分かっているのですか、どうなんです?」
 彼は、軽く手を上げて質問を制すると一段高くなった席に座り、ステッキを机の横に立てかけた。隣に座っていた考古学委員長が大袈裟に頭を下げた。
 担当者は、シェブリーに歩み寄ると何事か囁き、原稿を手渡した。シェブリーは原稿の冒頭を見て眉を寄せると「君は、私の紹介だけしなさい」と言った。
 担当者は不満そうに頷いたが、マイクの前まで走って戻っていった。
「お待たせしました。それでは国際文化省シェブリー総長より発表いたします」
 嵐のようなフラッシュが収まるのを待って、シェブリーは原稿を伏せたまま話し始めた。
「国際文化省のシェブリーです。本日は多数お集まり頂きありがとうございます。発表に先立ちまして、まず開会が遅れましたことをお詫びいたします。総長と言いましても業務のほとんどが雑用と清掃でありまして、先程やっと部屋が綺麗になったところです」
 僅かな報道陣が笑った。彼は顔には出さずに憤慨しながら説明を続けた。
「さて、皆さんに事前連絡のとおり、驚くべき歴史的な発見がありました。今までに現存する最古の文献はご承知のとおり(伝承の書)でありました。これは今から約十五万年前の書物であると言われています。しかし、一週間前のことですがこの文献を凌ぐ、歴史上貴重な大発見がありました。まだ、正確な調査をしていませんが、現段階で言えることは、第一世代末期もしくはそれ以前の文献である可能性が高いと言うことです」
 報道関係者の一人が大きく手を挙げ、背伸びをして質問した。
「第一世代末期以前の文献と自信を持って言える根拠は何なんですか?」
 話の腰を折られたシェブリーは男を睨んだ。
「文体です。伝承の書以降の文体と明らかに違うのです。それと...君。質問は後でまとめて受けるから...いいね」
 シェブリーは咳払いをして続けた。
「現在、文献は国際考古学委員会の手で保存処理を行っているところです。今までは委員会で調査を終了したあと公開するのが一般的でしたが、今回は調査前にご覧頂きたいと思います。あと十日もすれば保存処理も終わりますので各都市での展示会も可能かと考えております。詳細については国際考古学委員長より説明をさせます」
 隣に座っていた委員長はシェブリーからマイクを受け取り立ち上がった。
「国際考古学委員長のバルムです。私は委員長に任命されてからまだ僅かなのですが、この大発見に自分の幸運を感じております」
 バルム委員長は手を胸に当てて口元を緩め、話を続けた。
「それでは発見された文献について説明いたします。発見場所はガルゴー氷河地帯です。お配りした資料に詳細な地図等を載せておきましたので参考にしてください」
 報道関係者が手許の資料を見ながらメモにペンを走らせた。
「国際氷河観測省が五年前から観測所の建設を開始していることは皆さんご存知のことと思います。この観測省より一週間前、正確には八日前の夕刻ですが、国際文化省に連絡が入りました。工事のため氷河の掘削中に建物らしい小さな遺跡を発見したと言うのです。委員会が調査いたしました結果、氷付けになった建物の中から様々な貴重な発掘品を得ることができました。この中に含まれていた物の一つが保存処理中の十二冊の文献であります」
 バルム委員長は充分に時間をかけて水差しからコップに水を注ぐと、それを一気に飲み干した。
「この本につきましては、先ほど総長からの説明のとおり、現在は乾燥処理および保存処理を行っています。皆さんも関心をお持ちのことと思いますが、現在のところ内容は全く分かっていません。解読に果たしてどの程度の時間を要するのかも判断しかねています。委員会としましては、すぐに解読を始めたいと考えていますが、ここにおられますシェブリー国際文化省総長の強い希望もあり、解読前に連邦国民の皆さんに見て頂くことと致しました。以上です」
 広報担当者が汗を拭きながらスタンドマイクに顔を近づけた。
「ただ今の発表に関してご質問のある方はどうぞ」
 前に並ぶ報道陣の手が一斉にあげられた。担当者に指差された男は所属報道機関を名乗ると質問した。
「展示を優先した場合、解読はどうするつもりなんですか?」
 バルムは担当者に軽く手を上げるとマイクを取って答えた。
「展示品の前でノートとペンを持っている者がいたら声をおかけください。それが私達ですから」
 報道陣から一斉に大きな笑い声が上がった。
「もちろん冗談です。実際、解読に本は必要ありません。必要なのは文字ですから、写し取った文字があれば可能なのではないでしょうか」
「解読できる時期が分からないとのことですが、全く未知の文字なのでしょうか?」
 この質問に報道陣の顔のすべてが一様に頷いた。バルムは質問を飲み込むように大袈裟に頷いて見せた。
「いいえ、書かれている文字は現在の文字と全く変わりません。しかし文体が全く異なっていて...そうですね、ただの羅列なのです。具体的に言えば文字の繋がりが多様過ぎて、単語を…その文字の固まりを特定するのが難しいのです。今のところ、これ以上は説明のしようがありません。それと後一つ…。日常、あまり使わない文字、常用外文字が非常に多く含まれていることも特徴です」
「第一世代末期と言うと約二十万年前の文献と考えられますが保存状態はどうなんですか?」
「すべての好条件に恵まれて素晴らしい保存状態です。氷中で大気と触れ合うことがなく微生物の活動が抑制されたためと考えられます。ただ、最も大きな要因は紙質によるものです。従来から第一世代の文明レベルについて論議されていましたが、この紙の製造技術から見ても従来の説を覆すに値するものだと確信しています。やがて、この発見が新しい答えを与えてくれると考えています」
 担当者が別の男を指差した。
「発掘から展示までの期間があまりにも早過ぎると思うのですが?」
 マイクに手を伸ばしたバルム委員長を制して、シェブリーがマイクを取った。
「国際文化省、そして国際考古学委員会の業務は皆さんからの貴重な税金で賄われています。今回はこれまで以上に考古学に興味を持っていただけるように、このような取り扱いをさせて頂きました。毎回となると難しいことですので、特例とご理解頂きたいのです。それほどの発見なのです。楽しみにして頂ければ幸いです」
 シェブリーはマイクを置くと担当者に目配せをした。
「申し訳ございませんが、総長は諸用によりこれで退席させて頂きます」
 シェブリーは、報道陣に向かい手を挙げると質疑の続く会議室を後にした。

 ソファーに深く座ったシェブリーは、既にグラスを手にしていた。そして、遅れて来たバルム委員長に波々と酒を注いでやった。
「素晴らしいじゃないか、これほどの反響があるとは思っても見なかったね」
「ええ、私も驚きました。大統領も喜ばれることでしょう」
「君が報道陣の前で奮闘している間に大統領には連絡を入れておいたよ。あの堅物は訳も分からずに喜んでいたよ」
 シェブリーは愉快そうにグラスを口にした。
「これで国際文化省も一躍有名になるよ、バルム君。素晴らしいアイデアだと思わないかね」
「国際文化省よりもあなたが有名になるでしょう。総長には頭が下がりますよ」
「すべては国民と歴史考古学のためにやったことだよ」
「国民と歴史考古学のため?」
 バルムは驚いた振りをして話を続けた。
「総長がそれほど善意に満ちた方とは知りませんでした。私はてっきり、ご自身のためだと思っていました」
「馬鹿なことを言ってはいかんよバルム君、それより明日の新聞の一面は何だろうね?」
 シェブリーは、赤く染まった顔に笑いを浮かべた。
「それは総長でしょう。これほど国民を刺激する話題は滅多にありませんからね」
「まあ、間違ってもあの環境馬鹿の大統領ではないことは確かだね」
「大統領は相変わらずですか?」
「ああ、素人が安物の歴史を紐解いて語っているよ。奴がこの世界のトップだと思うと情けないね」
「あの環境優先主義はまだ健在ですか?、総長とは正反対ですね」
「彼の政策は国民に犠牲を強いている。もっと経済を発展させて生活に潤いを与えてやらねばいけない。夢や向上心と言った餌を与えてやることが必要なのだ!」
 シェブリーは顔を一層真っ赤にして怒鳴った。バルムはその剣幕に押され話題を変えた。
「総長、国際氷河観測省の方は大丈夫でしょうね?」
「大丈夫だ、心配ない。あそこの総長は私の古い友人でね、信用できる男だ」
「安心しました。私もやっと手に入れた委員長ポストを失いたくありませんからね」
「心配性な男だな、大丈夫だ。リストと違って君は頭が良いからね」
「ありがとうございます。リストは国が必要とする事務屋ではありません。彼は泥に(まみ)れて発掘する技術屋に過ぎません」
「そうさ、奴はいつもつまらんことで意見する男だったよ。もう少し利口になれば...まあ委員長だけでも充分過ぎたかもしれないがね」
「総長、私はもっと上を望んでいるのですが…」
「分かっているよ」
 バルムは、その言葉に深く頭を下げると、シェブリーのグラスに酒を注ぎ込んだ。
「そうだ、バルム君。委員会のことだがね、君に一つ頼みたいことがある」
「なんでしょう」
「君の委員会は解読に失敗したんだったね」
「ええ、正確にはリストの率いた委員会が…ですが」
「そんな無能なメンバーでは君も心許ないだろう。どうだね?」
「ああ、あの屑達ですね。何かにつけてリストと比較されて困っています」
「では、カードゲームのように総替えと言うのはどうだろうね?」
「大賛成です、そのゲームは私に任せて頂けますか?」
「君は委員長だろう、好きにすればいいさ。ただし次は優秀なメンバーを選んでくれよ...それに、柔軟性のあるメンバーをね」
 シェブリーはステッキで体を起こすと窓際まで歩いて行き、グラスを傾けた。
 窓の外では雪雲の合間から、二つの太陽がどちらも緋色に輝いていた。その夕陽が、室内の壁に彼の影を二つ描いている。
 沈む刹那(せつな)の夕陽に染まるシェブリーが小さく呟いた。
「もうすぐ大統領選だな…」
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