第10話 帰り道

文字数 1,893文字

 二ケ月の間に景色は大きく様変わりしていた。僅かに春色を残していた道が白く染められ、一面が白銀の世界へと変わっている。その柔らかな雪景色が夕陽に染まると、なぜか暖かさまで感じてしまうときがある。
 二人は、雪で踏み固められた道を帰っていた。いつも二人の鞄が前籠に乗せられ、自転車をヘッジスが押している。クラメンは植物の話に夢中になり、ヘッジスは考古学の話に夢中になった。彼は、知らない間にクラメンと自然に話をするようになっていた。
 二人は、いつものように蜜柑色に染まった雪道に長い影を描いて歩いていた。自転車を押しながら歩くヘッジスの前で、クラメンが夕陽を背にして振り返った。
「あなたって本当に変わった人ね」
「ああ、変人ヘッジスって言われているからね」
「そう言う意味じゃないわよ」
「じゃあ、どう言う意味だよ?」
「こんな道でも自転車で来ることが一つ、それに考古学や歴史のことになると人が変わったように目が輝くのがもう一つね」
 クラメンは、腰の辺りまで積もった道端の雪に指で線を引きながら歩いている。ヘッジスは自転車の籠から落ちそうになる鞄を手で押さえた。
「そうかなあ?」
「そうよ、講義中は私なんか見もしないで、一生懸命にノートを取っているもの」
 ヘッジスは、分厚い手袋で鼻の頭を掻きながら「考古学が好きなだけ…」と言いかけたが、前輪が滑ったので慌ててハンドルを押さえた。
「小さい頃、今の家の近くで陶器を見つけたんだ、それがすごく嬉しくてね…。それからずっとこの調子さ。それに陶器や本の前では緊張しないからね」
「当たり前よ、本の前で緊張する人はいないでしょう?」
「いや、本にもよるね」
 クラメンは立ち止まると腕組みをしてヘッジスを睨んだ。
「ヘッジス、変な本じゃないでしょうね!」
「はは、そうかも知れないな」
 ヘッジスは黒表紙の本は自分にとって変な本かも知れないと思うと、おかしくて堪らなかった。
「変な笑い方をして!」
 クラメンは怒ってみせると、(すく)い取った雪をヘッジスに投げつけた。雪は当たる前に粉になって流れていったが、(おど)けて逃げ惑うヘッジスを見てクラメンはひとしきり笑った。
「明後日から冬休みね」
「ああ、そうだね。やっと休みだ」
 ヘッジスは心からの笑顔を見せた。クラメンは、何かを期待しながらジャンパーの襟に顔を隠した。
「あなた嬉しそうね、休みは何するの?」
「今年は、ずっと家にいるよ。少しやりたいことがあるんだ」
 クラメンは、ヘッジスの返事に落胆して(どこかに誘ったらどうなのよ!)と心の中で叫んだ。しかし、それを顔には出さず「何?教えてよ」と驚いてみせた。
「教えられないよ、すごく大事なことなんだ。僕にとってはね…」
 クラメンは、ハンドルを掴んで自転車を停めるとヘッジスの鼻先まで顔を近づけた。
「そう言われると、ますます聞きたくなるわ。ねえ、何をするのよ?」
「わ、分かったよ。誰にも内緒にするって約束するなら教えてあげるよ」
「約束するわよ。で、何をするの?」
「あの最古の文献の新聞は読んだかい?」
「馬鹿にしないでよ、これでも歴史考古学を専攻しているのよ。それで?」
「実はね、僕もあんな本を持っているんだ」
 クラメンは意味が分からず、首を傾げてヘッジスを見ていた。
「新聞の写真ではよく分からないけど、たぶん同じような文字が書いてあるんだ」
「そ…それで?」
「解読してみようと思っている」
 クラメンは、驚いて手袋を嵌めた両手を口に押し当てた。そして「解読?、あなたが?」と問い直した。
「自分でも無理だと思っているよ。でも、やっていると楽しいんだ」
「そ、それを休みの間ずっと?」
 ヘッジスは、軽く頷くと自転車を押し始めた。そして、クラメンを振り返ると「でも、ずっとじゃないさ。時々は、変な本でも読もうかな?」と戯けてみせた。
「ヘッジス!」
 クラメンは、呆れた顔で両手を広げると自転車の籠からヘッジスの鞄を取り、三フィーズほど横の雪の中に放り投げてやった。
「あっ、何するんだよ」
「意地悪ばかり言うからよ。じゃあ私は帰るからね」
「お、おい、クラメン!」
 ヘッジスは帰っていくクラメンと鞄を見比べたあと、道横の深い雪の中を一歩一歩、鞄に向かって進んでいった。クラメンは、その後姿に向かい、笑いながら雪玉を投げつけた。雪玉は音もなく、ヘッジスの目の前に小さな穴を空けた。
「ヘッジス、あなたならできるわよ!、さようなら。また、明日ね」
 見るとクラメンが笑いながら手を振っていた。ヘッジスも雪玉を作りクラメンに向かって投げた。
「さようなら!」 
 ヘッジスの雪玉はクラメンの上を遥かに通り過ぎて消えていった。
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