第18話 泥棒

文字数 831文字

 教授室の連なる廊下の端に階段がある。辺りには窓もなく、花瓶の一つさえ置いていない。光が届かず、階段の一角が薄暗く沈んでいる。カーロンは、そこで息を潜めて(うずくま)っていた。
 デラ教授は、書類の上にペンを置き大きく伸びをすると、目頭を軽く揉みほぐした。そして、ズボンを吊るした肩紐を外しながら、急いで部屋を出ていった。
 廊下の軋む音が消え去ると、カーロンはゆっくりと動き始める。彼は音を立てないように廊下を歩き、デラ教授の部屋に入った。
 その部屋は、机と来客用の応接椅子で一杯となっている。カーロンは音も立てず机まで行き、椅子にかけてあった上着に手をかけた。
 そのとき、彼の耳に消えたはずの軋む音が聞こえた。音は少しずつ大きくなってくる。その音は規則的で小さなものだったが、彼の心臓を止めるのに充分な大きさを持っていた。
 カーロンは、素早く机の下に潜り込んで息を殺した。
 デラは扉を開けると、床を踏みつけながら机まで戻ってくる。カーロンは頭を自分の膝の中に押し畳み、目を固く閉じた。鼓膜は心臓のように脈打っている。彼には一日にも思えるほど長い時間だった。
 デラは上着からハンカチを取り出すと「寒い、寒い」と独り言を言いながら、今度は小走りに部屋を出ていった。
 カーロンは机の下から這い出し、部屋の中を慎重に見回した。そして、胸に溜まった息をゆっくりと吐き出す。
(デラの奴、驚かせやがって)
 彼は、目の前の上着のポケットに手を滑り込ませた。そして財布を取り出すと、中から幾枚かの紙幣を抜き取って自分のポケットの中に捻じ込んだ。
 光の加減だろうか。ドアに向かうカーロンの目を小さな光が誘っている。
 部屋の中で、そこにだけ色があった。机の上で室内灯の光を鈍く照り返している。僅かな光の中、ブレスレットが蝶の羽根色のように遠慮気味に煌めいている。
 彼は暫く眺めていたが、やがて片方の唇だけでほくそ笑んだ。そして、素早くコートのポケットに押し込むと、音も立てずに部屋を出ていった。
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