第39話 ガロー新聞

文字数 4,568文字

 歴史的な発見と騒がれた「最古の文献」の展示会はヘッジスの解読以降、更に人気を博し、どの会場も満員の状況が続いていた。展示会場には、解読を報じた新聞と、疑問を呈した新聞が張り出され、人気を煽っている。
 国民の興味は、当然のことながら発端となった彼の衝撃的な解読報道の真偽についても及んでいた。幾つかの新聞は、幾度となく報道された事柄を巧みに繋ぎ合わせて興味を誘っていたが、当然それは今までの事実の刷り直しに過ぎない内容だった。
 一時は均衡していた支持率は、再びシェブリーが上回っている。それは、間違いなく窃盗報道により解読の信憑性が揺らいだためだった。両陣営は移り気な国民に翻弄され続けてきたが、その苦痛も残り五日間を残すだけとなっていた。
 シェブリーは、最後に自分へと転がり込んだ幸運を逃すまいと、報道陣への対応に配慮を欠くことはなかった。彼の顔には笑顔が溢れていた。
 昨日までは。

 ガロー新聞は、発行部数において業界のトップではなかったが、伝統と記事の信頼性で手堅く支持されていた。国民がガロー新聞に何を求めているのかは、ヘッジスの解読を巡る報道により裏付けされる形となった。
 大手新聞社から解読内容を疑問視する内容が発表されたあと、売上は目に見えて大きく落ち込んでいた。中堅の新聞社にとって致命的な事態の中、ガロー新聞は一つの決断を下した。
 今朝のガロー新聞は、設立以来の空前の売上を記録している。本社では、その真偽について確認の電話が鳴り止まない。社員は想像を超えたその影響の大きさに驚き、記事の内容に憤慨した。
「今は、これを記事にするときじゃないだろう。会社が潰れたらどうするんだよ!」
 受話器を置き終えた若い社員は、今朝の新聞をテーブルに叩きつけた。

 ガロー新聞の社長は、社長室で五名の役員に取り囲まれていた。役員は、机を取り囲む垣根のように立ちはだかり、社長を見下ろしていた。その顔は一様に怒りを刻んでいる。
「この件で、当社の売上は激減したのです。この記事の取り扱いは役員会で検討することになっていましたよね!」
 派手なスーツを着こんだ男が、社長に向かい勢いよく叫んだ。
「確かにそのとおりだ」
「ではなぜ、私達の承諾も得ずにこんな記事が出るのですか?」
「私が指示したのだ」
「あ、あなたが…、なぜ?」
「これが真実だからだよ」
「真実?、前も誰もが真実だと考えて記事にしました。結果はどうでした?」
「……」
「結局、現時点であの解読には信憑性がないと判断されています。それで会社が傾きかけているのです。社長なら当然ご存知でしょう!」
「もちろんだ」
「社長、これがまた誤報だったらどうなります?」
「ガローは潰れるだろう」
「か、簡単に(おっしゃ)いますね。では、なぜこんな危険な賭けをされたのですか、私達役員を無視してまで!」
「さっきも言っただろう、これは真実だと」
「なぜ、あなたはこれを真実だと言い切れるのです?」
「……」
「社長、なぜなんですか?」
「友人から電話があったのだ、だから真実なのだ。それだけだ」
「電話?、調査もせずにたった一本の電話だけでこの記事を?」
「そうだ」
「誰なんですか、その相手は?」
 両腕を固く組み、役員を見回した社長は「言えない」と一言だけ言った。
「社長、この真偽によって社運はおろか大統領選挙の結果が大きく変わるかもしれないのですよ。いつものどうでもいい選挙じゃない!、連邦国民は百年後を決める選挙だと思っているのです!」
「すまない、分かっている。全責任は私にある!」
 社長は、役員の言葉に真摯に耳を傾け、当然の誹謗を甘んじて受け入れ続けた。しかし、新聞が発行された今となっては、彼らの叱責に何も意味はなかった。
「今ならまだ間に合うかもしれません、訂正記事を出しましょう」
 社長を取り囲む全員が大きく頷いた。
「役員ともあろうものが今更何を言っているのだね、そんなことをしたらそれこそ信用は失墜する。それとも…この記事が真実なら困ることでもあるのかね?」
 一瞬、役員達は社長から目を逸らしたが、小狡(こずる)そうな一人がすぐに早口で答えた。
「いえ、ガロー新聞の存続のために申し上げているのです。今なら間に合います!」
「何度も言わすな。今から訂正などすれば、すぐに倒産だ!」
 社長は、机の上に置いていた万年筆を持つと、取り囲む役員の顔を見上げて悲しそうな声を出した。
「シェブリーか?」
 その一言に、社長室を重い沈黙が支配した。すべての役員は固まったまま、落ち着きなく瞳だけを動かしている。
「聞いていたとおりか…しかし、全員とは残念だよ」
 社長は諦めたように首を振ったあと、静かに「出ていけ」と命じた。彼は、それでも出て行かない役員達に向かって、今度は大声で叫び、壁に万年筆を投げ付けた。
 万年筆が乾いた音を立てて床を転がっている。

 部屋は、静けさを取り戻した。静けさは何かを連れて来る。止まった万年筆から目を動かせない。
 彼は、自分の決断を反芻(はんすう)し、苦悩し続けたが、(すが)るものは何もなかった。首を振って目を閉じる。
(今更何を言っているのだね)役員に言い放った言葉が自分を嘲笑った。
 彼らは会社より自分の利益を優先した。私は独断で会社を危機の淵に追いやっている。この社運を賭した報道は、社員の人生をも賭けたものなのだ。
(何の違いがある?)
 固く目を閉じた。懸命に働いている者達の顔が浮かび上がる。そのすべての顔が、彼の体を強く縛り付けた。
(正しかったのだろうか?)
 歯が小刻みな音を立て、震えと吐き気が襲って来る。彼は奥歯を噛み締め、ただひたすらに恐怖に耐え続けた。
 静寂を破り、電話が金属的な音を立てた。直接掛けてくる相手が誰かは分かっている。彼は、震える手でゆっくりと受話器を取り上げた。
「はい、ガロー新聞…」
(私だ、素晴らしい脚色に感謝している)
 その声を聞いた社長は深く大きな息を吐き、疲れ切ったように椅子の背もたれに深々と体を預けた。
「いいんだ、真実であることを心から信じているよ。ボーリック…」
   *
『最古の文献、解読は真実』〈解読者の窃盗は冤罪〉
【元考古学委員会メンバーが検証】
 十一ヶ月前に発見された最古の文献の解読について、元考古学委員会メンバーが解読は真実であると発表した。検証に当たったメンバーは、「この文字は三つの古代語から構成されており、過日の報道発表のとおりの解法で同様の結果が得られた。その内容に疑いの余地はなく真実である」と証明した。
 解読は、文献の展覧会を見たジプト大学のカフル・ヘッジス(十九歳)によって行われた。文章は、表意文字(一文字に意味を持たせた文字)で記載されており、文献は法典である可能性が高いと言うことであった。
 その後、解読を行ったカフル・ヘッジスが窃盗により停学処分中であることを理由にその解読内容が疑問視され、同時に現考古学委員会も解読に関して否定的な見解を示していた。
 同大学教授で元考古学委員会委員長のリスト教授は「メンバー(前述)に検証を依頼したところ、解読は、事実であると証明された。文献は、アルダヌ語、カプル語、セプト語で構成されており、その頭文字を表意文字として使用した文体であった。その規則性(文法)はアルダヌ語と同様である。内容も含め、すべてがカフル・ヘッジスの解読手法と合致している。文献は憲法のような法典集と思われる」としている。リスト教授は、この取材に併せて「解読者のヘッジス君の窃盗による停学と退学は、事実無根によるものだと明らかになったことを伝えたい。この事実を受け、この若き天才が正当に評価され、救われたことを非常に嬉しく思う」と語った。
【「歴史の書」検証】
 最古の文献の解読と同時に報道されていた「歴史の書」は、その存在自体が未確認のままであったが、今回、元考古学委員会メンバーに提出された。メンバーは検証を行い「最古の文献」と同様の文字と規則性で記載されていることを確認した。また、解読内容についても前回の報道でカフル・ヘッジスによって発表された内容のとおりであり「真実としか考えられない」と語った。
   *
 ガロー新聞の一面を大きな写真と白抜き文字が飾っていた。下部に刷り込まれた広告を除いて、三ページがその関連記事に使われていた。紙面を大きく割いて掲載された写真には、どこで手に入れたのか二歳程若いヘッジスが自信なさそうに写っている。

 その新聞は、音を立てながら震えていた。シェブリーは歯を噛み締め、その隙間から漏れる息を言葉にした。
「ガロー新聞がなぜこんな記事を書くのだ、バルム?」
 青白い顔をしたバルム委員長は、細かく震えているだけで何も答えなかった。シェブリーは新聞を降ろしバルムの顔を見据え、充血した目を大きく見開いた。
「ガローにも手を回したのかと聞いているのだ!」
 バルムは震える手でハンカチを取り出すと首筋を伝う汗を拭いた。
「まさかお前、金を自分で…」
「い、いいえ、や…役員全員に…、確かに…」
「では、なぜこうなるんだ!」
 シェブリーは新聞を床に叩き捨てた。
「わ、分かりません。リ…リストでしょうか?」
「リスト?、奴にそんな力があるはずないだろう!」
「ハミル総長?」
「本当にお前は…あれだけ露骨に脅したんだ、もう牙はない!」
 シェブリーはステッキの先をバルムの胸に向けた。
「ガローの役員に確認してみろ!」
 バルムは急いで総長の机の受話器を取り上げる。そしてガロー新聞の一人の役員を捕まえると、今までとは打って変わり、激しい口調で受話器に向って怒鳴り始めた。彼は、その喚く姿で自分の潔白を示してみせている。
「社長の決断らしいですが…」
 バルムは通話口を手で押さえてシェブリーに言った。シェブリーは溜息をつき、首を振りながら「バルムさん、誰から入った情報なのかを私は知りたいのだがね」と馬鹿にした口調で言った。
 バルムは、すぐさま役員に確認すると電話を切り「社長に友人から電話があったそうです」と言った。
「友人?、その電話一本で記事になったというのか?」
「間違いないようです」
「友人とは誰だ?」
「それは頑として言わなかったということですが…」
「ガローにとってもこの件は命取りになりかねないはずだ…」
 シェブリーは、痛み始めた右足を擦りながら目を閉じている。そして、突然擦っていた右手を止めた。
「奴だ…、やはり奴に違いない」
「だ、誰なんですか?」
 バルムが机の上まで乗り出して顔を近づけたので、シェブリーはバルムを手で追い払った。そして、椅子の背に倒れ込むと苦々しげな声を出した。
「苦し紛れに最後の勝負に出たか…。奴だよ、メデスだ!」
 シェブリーは、椅子にもたれたまま何事か考えていたが、やがてバルムを手招きした。
「理由は何でもいい、奴を…メデスを引っ張りだせ、公開討論会でも、共同会見でも何でもいい!」
「はっ?、今更何を…また同じ議論になるだけですが…」
「国民が飽きていようが構わん。何度でも同じことを言ってやるさ。もう一度奴を論破すれば確実に私の勝ちなんだ」
「いや総長、支持率は、まだ我々が上回っておりますので…」
「うるさい!、引っ張り出せ。出てくるまで負け犬メデスと叫び続けろ!」
 シェブリーは吠え、獣のような目でバルムを睨んでいた。
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