第25話 教授会

文字数 2,862文字

 ヘンデ理事長は、リストが入ってくるのを見つけると席を立って近づいていった。
「リスト教授、デラ教授が犯人はヘッジスだと頑なに言うのでね。私の判断だけではどうにも…この始末だ。申し訳ない」
 ヘンデはリストに小声でそう詫びると、返事も待たず逃げるように席まで戻っていった。
 リストも何度か出席していたが、教授会はいつも形だけのものだった。発言するのは決まった数名の教授だけであり、ほとんどの案件はその数人の意見だけで決まっていく。結果に誰も関心はない。
 会議も始まっていないのに、既に何名かは腕を組み、眠りについていた。理事長が出席者を確認して形式だけの教授会が始った。
「お待たせしました。それではデラ教授のブレスレット盗難の件について皆さんのご意見をお聞かせください。では、状況についてリスト教授より報告して頂きます」
 理事長の目に促されてリストは立ち上がった。そして目を閉じて身動きしない教授達に向かい大声を出した。
「リストです。この件については事実が全く分かっておりませんので、憶測を排してお話をさせて頂きます」
 叫ぶような大きな声に、眠り込んでいた教授のうち数名が顔を上げてリストの顔を嫌そうに睨んだ。
「分かっていることは、唯ひとつだけです。デラ教授のブレスレットが盗まれ、それがなぜか学生の家に投げ込まれた。そして、その学生はブレスレットを善意で私に届け出たということです。この僅かな事実をもって結論を導く必要があるのならば、どうか慎重を期して充分な議論をお願いしたいと考えます。以上です」
理事長は、リストの着席を待って教授達を見回した。
「この件についてご意見のある方は…」
 言葉の終わるのを待ちきれずデラが右手を大きく上げた。その手首には緑のブレスレットが顔を覗かせている。
「ヘッジスだ、奴が盗ったんだ。あいつは大人しく見せてはいるが執念深い男だ。いつも私に叱られていることを根に持ってやったんだ!」
「それなら、学生全員に盗まれてしまいますな」
 誰ががデラの揚げ足を取ったので起きている全員が声を殺して笑った。誰も心配などしていない。所詮は他人事なのだ。
「理事長、いいですか?」
 理事長は「どうぞ」と手を挙げた一人の教授を指差した。
「デラ教授はどうも感情的になっておられるようです。彼は家に投げ込まれていたと言っているのでしょう。私が犯人なら自分で返すなんてあり得ませんがね」
「それが奴の手なんだよ!」
 デラが大きな声を出して口を挟んだ。リストはデラの顔を睨むと、腕組みをしていた手を解いて手を挙げた。
「彼にはブレスレットを捨てることもできた訳です。しかし、それをせずに敢えてデラ教授に返すことを選んだのです。間違った判断はこの善意に満ちた行為を踏みにじることになるのです。真剣な審議を重ねてお願いします」
 教授会の数名が頷いた。理事長がリストに聞いた。
「リスト教授、君はどう考えているのかね?」
「犯人は彼であるはずがないと確信しています」
「自分のところの学生から犯人を出したくないからね」
 デラが吐き捨てるように言った。
 一人の教授が手も挙げず、勝手に発言した。
「ヘッジスは、校内で変人と呼ばれています。人と話もしませんし、何を考えているのか…少々怖いくらいです。私はヘッジスが犯人だと思いますがね」
 眠っていた教授の一人が気だるそうに欠伸をした。彼は目を開けずに口を開いた。
「私もそう思うね。彼が出土品を見る目は異常だもの」
 彼は、それだけ言うとまた眠りに入っていった。そして、それからは寝息以外に発言する事はなかった。
「いや、彼はただ純粋に歴史や考古学に興味があるだけで…」
 話し始めたリストの言葉を遮り、デラが大きな声で言った。
「そうだ、奴はたくさんの骨董品を集めている。このブレスレットも欲しかったのに間違いない!、でも、高価な物だと分かって怖くて返しに来たんだ!」
 デラの声に教授会の数人が頷いた。
「デラ教授、高価ってどのくらいするんだい?」
 デラの隣に座った痩せた教授が小さな声で聞いた。
「私達の給料なら一年分、理事長なら三ヶ月分というところだ」
 デラはブレスレットを撫でながら皆んなに聞こえるように言った。教授会に小さなどよめきが起った。理事長は不満そうにデラを見たあと、教授会のメンバー全員に声をかけた。
「それでは、ヘッジスの処遇についてだがどうかね?」
「退学!」
 デラは一番に手を挙げて叫んだ。リストは顔を真っ赤にしてデラを睨み据えて、会議室に響き渡る声で叫んだ。
「確証もなく僅かこれだけの理由で退学とは冗談にも程がある!」
 温厚なリストの怒声に教授会のメンバーは呆気に取られていた。
 デラは席を立ち、興奮して言い返した。
「リスト教授、あなたは自分が盗まれていないからそう言うんだ!」
「デラ教授、たとえ私の物であったとしても退学など頭にも浮かびません。届け出ただけですよ!」
 リストは、デラを馬鹿にした口調で食ってかかった。
 教授会は、デラに賛意を表して頷く者も少なからずいた。終わりそうにない数名だけの水かけ論が交わされる中、眠っていた男が目を開けて腕時計に目をやった。その男は溜息をつくと、口を歪めて気だるそうに手を挙げた。
「申し訳ありませんが、私、今日は娘の誕生日でして時間がありません。どうも、先程から聞いていますと答えが出そうにありませんが…暫定的に停学にして様子を見るというのはどうでしょう?」
 会議の終わりを感じ取ったのか、眠っていた多くの教授が這い出すように目を覚ました。そして一様に頷いている。中には数名であったが目を閉じたまま拍手するものまでいた。
「馬鹿な、そんないい加減な判断など下せるわけがない!」
 リストは手を大きく振り回しながら大声で叫んだ。
「私は、賛成だね」
 教授の一人が、どうでも良いといった口調で発言した。これを機に、議論を聞いてもいなかった教授達が無関心な顔を理事長に向けた。
「もう、そろそろ決議をお願いします」
 理事長は、立ち上がろうとするリストを制して頷くと立ち上がった。
「では、決議を取りたいと思います、退学が適当だと思う方は挙手願います」
 間髪を入れず、デラが手を挙げた。理事長は上げられた二本の腕を数えた。
「では、停学が妥当であると思われる方は挙手願います」
 理事長は挙げられた手を数えると、リストに分からないように顔に安堵の色を浮かべた。
「皆さん、本日は忙しい中どうもありがとう、教授会はヘッジスを停学に決定とのことで理事会に諮問しておきます」
 ほとんどの教授は、その言葉に何の感情も表さずに席を立つと、何事もなかったように会議室を出ていった。
 理事長は立ち止まり、一人呆然として動かないリストに目を留めた。しかし、声をかけようともせず背を向けて会議室を後にした。彼はカーロン議員の顔を思い浮かべ、長い安堵の溜息をつきながら理事長室へ向って歩き始めた。
 リストは、誰もいなくなった会議室で頭を抱え、唸り声を上げた。
「こ、こんなことが…ふざけるな!」
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