第43話 歴史の書

文字数 4,796文字

 クラメンは朝早くからやって来た。そして、玄関が開いているのを確認すると階段を上り、ヘッジスを揺すり起こした。
「解読に来たよ」
 目を開けるとクラメンが微笑んで見下ろしている。ヘッジスも横たわったまま見上げて少し笑った。朝の光がシーツで白く撥ねている。
 彼女の周りの空気がふっくらと膨らんでいるようだ。眩しさに目を細めた彼は、体が少しむず痒くなるような幸せを感じている。彼はこの不思議な時間がずっと続けばいいのにと思っていた。
「また忘れてたの?」
「いや…」
 ヘッジスは、ひどく残念そうに起き上がると引出しから本を取り出した。そして笑顔でクラメンに手渡した。
「覚えてたさ。戻ってきたら一緒にやろう」
 ヘッジスの消えていったキッチンから珈琲の香りが漂ってきた。

   *

 父は、彼の父から聞いた歴史を私に語った。そうだ、良く覚えている。父は、こう語ったのだ。
 ……………
 私達は、大地を無駄に汚したわけではない。得たものに比べ失ったものは大きかったが、私達は文明と言われるものを築き上げたと思っている。もちろん大地を犠牲にしてではあったが、私達は空を走ることができるのだ。いや、できたと言うべきだろう。
 私達は、近くの冷たく熱い星を隣の物置小屋のように使った。不要になった物がその星に運ばれ、うず高く積まれていたらしい。そこに苦情を言い出す住人は誰もいない。人々は自分達のためだと大いに賛成した。
 私達はあらゆる技術を培ってきた。宇宙航空技術は、そのすべての集大成である。今ならおかしくて仕方ないが、私達はこれを文明の象徴と呼んでいた。技術の中にのみ文明があり、その偽りの文明の揺り籠の中で文化は育まれていった。
 当初、計画は未来を憂う一部の技術者によって提案された。その我々の子孫を救う計画は夢に満ちていたが、完成には長い時間を必要とする。
 計画には想像を超える費用が必要であった。議会は、次世代のためと称して秘密裏に承認すると費用を捻出し始めた。未来の恩恵は、議員と言えどもそれを受けることはできなかったが、目の前には無尽蔵とも思える開発費が横たわっている。彼らの汚れた手は、その目の前にある恩恵を貪ることに余念がなかった。国民は誰も知らない。
 まず、彼らは為政者五十七名の買収に着手した。標的となったのは技術庁長官であった。私は長官の名前までは知らない。彼は、宇宙技術相の(ギラント)から多くの金を握らされたが拒むことなく喜んだ。欲望のために倫理観を失い、受け取った賄賂の中に自分の拠出した金が含まれていることなどどうでも良いことだった。
 私は、人間が不利益を得たときにだけ不満を言う生物であるとは信じたくない。しかし、彼が真実を物語っているのかも知れない。他の為政者も変わりはない。
 (ギラント)は彼らの選択を着実に実行した。彼は自らの部下である技術者二百五十人に指示と金を与えた。技術者は九名と二百四十一名に分かれた。九名は善意の代弁者であったがその意見は黙殺される。そして二百四十一名が残り、九名の姿は消えていった。彼らがどこに行ったのかを私は知らない。
 計画は、開拓と言う意味から(フロスト)と名付けられた。汚れたこの大地から抜け出し、新しい大地を求めるための計画であった。税金は惜しみなく注ぎ込まれ、彼らの懐も満たされていった。
 計画は空を走る船の建設から始った。この船は(ノアン)と名付けられた。これまでにない規模の船の建設には三年の期間を要した。
 五名の乗組員と五十名の技術者、そして多くの機材を積んだ船は、誰もいない汚れた大地に爆音と凄まじい煙の帯を残し、誰もいない大地に向かい旅立っていった。
 彼らは、五年の後(アダン)に着いた。(フロスト)が計画とおりに進めばこの大地が私達の子孫の大地となるはずだったのだが…。この大地がどうして選ばれたのか私は知らない。
 極寒と灼熱を繰り返す大地であった。彼らは生きるための家を建て、隣接する建物には所狭しと植物が植えられた。彼らはこの植物からの授かりもので生きている。
 大地を蹴ると体は高く浮き上がる。その一歩は二十フィーズほどにも達したらしい。雲の上を歩む心地なのだろうか。その新しい世界が私には想像できない。
 彼らは、極寒の地を目指す。そして、白く凍り付いた大地を前に彼らは驚くのだ。極夜の中、僅かな光に浮かび上がっている大地は、見渡す限り白い氷に閉ざされていた。
 彼らはその白き大地を避け、すぐ側の赤褐色の大地に小さな家を建てた。そして、家から白き大地の地下に向かい、斜度を持つ深く長い坑道を掘り進めた。家の完成に半年、坑道の完成に一年の歳月が流れたと聞いている。
 彼らは、その全ての坑道の終点に幾つかの装置を備え付け終えると、植物の繁る家に帰っていった。
 暫くすると、彼らの住居を大きな振動が襲った。誰もが知っていた。それは、あの極寒の家のせいだと。
 彼らは休息の時だと言った。
 そして五十五名は、希望のない汚れた大地への帰路についた。

 彼らの去ったあと、白き大地は震えを繰り返し、白い煙を吐き続けた。煙は、ゆっくりと空を厚く覆い尽くし、白い雲の星とした。
 彼らは、それから何度も新しい大地を訪れる。行く度に大地はその姿を変えていた。
 長い時間をかけて、白い雲は消え失せた。白い氷の大地も、もうそこにはなく、濁水が溢れていた。僅かに顔を出している大地は、怒りを露わに噴火を繰り返す。(たぎ)り出た燃える赤い土は低地に向かって流れ込み、濁った水に触れて空に大きな白い煙を上げている。
 それは波の数ほど繰り返された。
 やがて時を経て、大地が落ち着きを取り戻す。
 彼らはまた、機材と多くの植物を積み込んで新しい大地(アダン)へ新しい気持ちで降り立った。そしてこの大地の地上に住居を創り上げると、船は数十人を残して帰っていった。彼らは次の船が来るまで辛抱強く植物を見守った。
 彼らには最初から一つの不文律があった。それは、この新しい大地を汚してはならないと言う戒めである。そこには旧い大地に対する強い後悔があったのだろう。

 残された彼らは子供の如く、一つの遊びを始めた。なんのこともない。それは単なる積み石である。
 巨石は労せず持ち上げられた。彼らは植物を見守りながら、その僅かな時間を積み石に充てた。この遊びは数年毎に技術者を変えながらも続けられた。なぜならば、この遊びは希薄な重力に抗うためにも有用だったからである。彼らは交替の度、次の交替までの宿題として新たな設計図を用意した。技術者は算術の難問を提示し合うように能力を競い合った。彼らにとって積み石は、もはや遊びではない。積み石は、見上げても見えないほどになっていたのだ。
 大気が大地に溢れ始めた。植物が大地に広く根付いていた。仕事は終わりに近づいている。彼らは、覆いのない檻を作り上げると、祈りながら数種類の動物をその中に放った。
 積み石も完成が近づいていた。彼らは最後の石を積み上げる前に彼らの知恵を何枚かの石板に彫り込んだ。その最後に「種は死して多くの実を結ぶ。悪しき種も同様に多くの悪しき実を結ぶであろう。されど汝ら、この地だけは再び汚してはならない」と戒めの文字を刻んだ。不文律が文律と成った。そして石版を石棺に収めたあと、最後の石を塔頂に積み終えた。
 動物は何事もなく育っていた。その様子に確信を得た技術者が施設を出て生活してみたいと懇願した。誰もが彼らを止めたが、内心ではこれに勝る実験はないと喜んだ。その技術者は夫婦であったと言われている。二人は偽りの制止を振り切り、新しい大地に歩を進めた。
 計画はすべてが順調だった。
 計画から百年を経ていた。汚れた大地の荒廃は進み人々が大地に潜ったのはこの頃である。人々と入れ替わるように地上では緑化計画が始まっていた。私腹を肥やした政治家は死に絶え、計画は新しい者へと受け継がれている。新しい顔ぶれも、前の政治家と何ら変わることはなかった。この習性は人に起因するのではなく職業に起因するものなのだろうか。前の政治家は、この計画を未来のためと言いながら金を得るために行った。また新しい政治家はその成果を自分と家族の命を守るためだけに利用した。
 彼らはこの計画を隠し、子供騙しとしか思えない緑化計画を実施する。技術と知識を駆使した緑化計画は進められたが遅々として進展がない。彼らは、緑化計画の経過を美化しつつ国民に熱弁を振るい続けた。幸いにも国民の誰もが近い将来に希望を持っていた。
 彼らは、大地の下で希望を持つ国民に夢を語りつつ、僅か百人あまりが乗り込める船の建造を急がせた。
 彼らは国民を大地の下に押し込めたまま、嬉々として新しい船に乗り込んだ。快適な船は新しい未来を予感させる。一緒に乗り込んだ家族は、政治家である夫や妻を畏敬の念を持って見つめた。船内をペットが走り回っている。彼らにとって国民はペットにも劣る存在だったのだろうか。
 ……………
 これが父から聞いた私の知る事実のすべてである。しかし、まだ私には時間があり、紙にも少し余白がある。そして真偽のほどは定かではないが書き残す事もまだ少しある。
 間違ってはならない、これからの話はこの大地に残った技術者から聞いた短い噂話に過ぎないことを。人を嘲笑う者はやがて人に嘲笑われるものだと前置きをして、彼はこう言ったのだ。
 航行は順調に進んでいたらしい。船内は快適だが退屈で仕方がないと言っていた。しかし、その声は希望に満ちていた。彼らの造らせた船は素晴らしく、故障は一度だけであった。それは燃料系の小さな故障らしく、他に何も問題は起こらなかった。これについて知識のない私に詳しく説明することはできない。
 彼は話を続けた。
 ペットが旅立ってから四年目の事だったらしい。新しい大地で大きな災いが予見され始めていた。当初は大きな危険が訪れる可能性は極めて低かった。その予測される軌道は誤差を計算に入れても新しい大地を外れていた。しかし、時が経つほど新しい大地はその予測軌道範囲に近づいていく。彼は「外周距離は、真円ならともかく、歪んだ球形では測りづらいものだ」と語った。私はただ頷くだけだった。そして隕石の衝突が確実となったのだ。
 新しい大地では人のことを考える者など消え失せていた。彼らは船に乗り込むと遅れた技術者を大地に残し旅立った。離陸した…と緊張した声が聞こえた。しかし、それ以後に彼らからの連絡はなかった。
 ペットを乗せたもう一つの船は行き場を失っていた。乗組員は、乗客はもとより、ペットにまでこれからのことを伝えている。それは、このまま汚れた大地に引き返すと言うことである。期待に膨らんでいた船内に重い失望感が漂ったが選択肢はなかった。
 彼らは、また四年もの間、この船で旅をすることに溜息をついた。そして、その先に待っている汚れた大地を思うと、一層気持ちが萎えていった。乗組員は明るい表情で、後四年もこの快適な生活が続けられるのですよと言って笑った。
 彼は乗組員に聞いたらしい。彼の計算によると、この汚れた大地まで燃料が持つはずがなかったからだ。船からは一言だけ…承知している…と連絡があった。それを最後に船への連絡はない。通信装置を切ったのだろうと彼は語った。
 それから…そう、彼らの二つの船はどちらもここに帰って来てはいない。

   *

 ヘッジスは第一世代末期の技術レベルに唖然とした。
「空を…宇宙船を建造できたんだ!、この第三世代と比べ物にならない程の高度な技術力だよ。僕達はまだ隣の星にも行けてないのに!」
 彼は顔を輝かせ、興奮のあまり部屋中を歩き回った。おもちゃを貰った子供のように。
 クラメンは、嬉しそうなヘッジスを見つめて、口許を緩め柔らかく笑っている。
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