第47話 秀郷起つ

文字数 4,270文字

 夕闇に紛れて、ひとりの男が秀郷(ひでさと)(もと)を訪ねた。平貞盛(たいらのさだもり)である。将門側の捜索の網を掻い(くぐ)って潜んでいた貞盛だが、五千の兵を使っての大捜索に身の置き所が無くなり、常陸(ひたち)から逃れ下野(しもつけ)に入った。
 しかし、その際、やっと見つけ出した妻達と再び(はぐ)れ、その妻は、将門の兵達の陵辱を受けてしまう。貞盛(さだもり)の怒りも、遂に頂点に達していた。

 下野(しもつけ)に入ってから、朝廷の密使が自分を探しているという噂が耳に入って来た。他人(ひと)を介して繋ぎを取り、将門追討の官符を手にすることが出来た。追討軍に合流せよとの伝言も聞いたが、東山道(とうさんどう)信濃(しなの)まで辿るにしても、街道を行けば将門に発見される可能性が極めて高い。そして、見付かれば今度こそ終わりだと思った。
 それに、追討軍に合流する前に手勢が欲しかった。常陸(ひたち)に戻って散り散りになっている郎等達を探すことは、危険が大き過ぎて出来なかった。接触した者が裏切っていないとは限らないし、そんな動きをすれば、たちまち将門に察知されてしまうからだ。追討の官符を手に入れたとは言え、身ひとつでは何も出来ないことを思い知った。
 後ろ盾が欲しかった。良兼(よしかね)は、もはやこの世に居ないし、良正(よしまさ)の行方も知れない。仮に所在が分かったとしても当てに出来る存在ではない。唯一頼りになりそうなのが、村岡五郎(むらおこのごろう)こと平良文(たいらのよしぶみ)だが、この伯父は、今、陸奥守(むつのかみ)として赴任中で、村岡には居ない。

 秀郷(ひでさと)を頼ってみようかと、ふいに思った。秀郷(ひでさと)を訪ねるなら、同じ下野(しもつけ)の内。将門に発見されずに訪れることが出来るかも知れないと思ったのだ。
 義理の叔父に当たる秀郷(ひでさと)だが、これまで、将門と戦うことを避けている。将門に同心している可能性も有る。本心が読めなかったのだが……。
 将門が秀郷を放ったまま上野(こうづけ)に向かったということは、秀郷(ひでさと)との間に同盟関係が成立したからと見るのが正しいだろう。であれば、秀郷(ひでさと)を頼るということは、他のどの選択肢よりも危険が大きいことになる。では何故貞盛(さだもり)は、秀郷(ひでさと)を頼ろうと決めたのか?

 当てに出来るかも知れない状況が生まれていたのだ。密使から将門追討の官符を受けた時、秀郷(ひでさと)押領使(おうりょうし)に任ずると言う官符も発行されており、それを秀郷(ひでさと)に伝える為の密使も、既に坂東に潜入していると聞いた。
 伝え聞く将門の除目(じもく)の中に秀郷(ひでさと)の名は無い。将門に味方するとはっきり返事はしていないと言うことだ。もし、そう返事をしていれば、将門が秀郷(ひでさと)を重用しない訳が無い。であれば、秀郷(ひでさと)が朝廷側に着く可能性は、まだ残されている。
『いや、秀郷とて出世欲は有るはずだ』
 貞盛(さだもり)はそう確信した。『無位・無官の者でも五位に叙す』と言うのであれば、従七位(じゅしちい)の位階を持ち、下野少掾(しもつけのしょうじょう)である秀郷なら、従五位上(じゅごいのじょう)或いは正五位下(しょうごいのげ)くらいは望めることになる。それを無視してまで将門に着く理由が秀郷(ひでさと)に有るだろうか? と自分に問い、“無い”と踏んだ。そして、秀郷(ひでさと)を頼る決心をしたのだ。

「将門の暴挙に巻き込まれ父を亡くしたばかりで無く、こたびは、あ奴の雑兵(ぞうひょう)に妻が(けが)され申した。もはや、将門と麿がこの世に並び生きることは出来ません。あ奴を討つか麿が死ぬか、道は二つに一つより他無いのです。あ奴は謀叛人。これを討つことは、天下の為ともなりましょう。秀郷(ひでさと)殿、どうか、お力をお貸し下され」
 そう言うと貞盛(さだもり)は、秀郷(ひでさと)の前に深く頭を下げた。 
 秀郷は瞑目した。やがて目を開き、
「お察し致す。世が世であれば父上の跡を継ぎ、坂東平氏の嫡流として常陸(ひたち)を治めていたであろう(みこと)が、将門に追われ逃げ隠れする毎日。さぞ苦労したことであろう。
 それに加えてこたびのこと、お見舞い申す。将門を許せぬというその気持ち、察して余り有る……」
 秀郷(ひでさと)の言葉はそこで途切れた。『力を貸そう』の一言(ひとこと)はまだ出て来ない。
 貞盛(さだもり)(ふところ)から一冊の文書(もんじょ)を出し、秀郷(ひでさと)の前に置いた。将門追討の官符である。
 秀郷はまず、目だけを動かしてそれを見た。
「ご披見(ひけん)下され」
 貞盛が促す。秀郷はゆっくりと手を伸ばし、官符を手に取った。
「将門追討の官符で御座います。正義は我等に有ります」
 貞盛(さだもり)が必至にそう訴える。秀郷(ひでさと)維幾(これちか)のように、露骨に喜びを見せたりはしなかった。
「実は麿も、押領使(おうりょうし)として坂東の治安を回復せよとの(めい)を受けておる」
 そう言った。
「左様で御座いますか」
 聞いていたことではあるが、貞盛(さだもり)は知らぬ(てい)を装って答えた。

 実は、秀郷の中では、将門を討つ決心は既に固まっていた。(すべ)ての状況が、そうすべきと語っていると思った。だが、坂東を変える機会を逃して良いのか、と言う(こだわ)りがほんの少し残っていた。その拘りを貞盛(さだもり)の官符が完全に取り除いた。『夢は子や孫達に託そう』と秀郷(ひでさと)は思い切っていたのだ。

貞盛(さだもり)。共に将門を討とう」
 唐突に、しかし静かに秀郷(ひでさと)が言った。
「ま、(まこと)に御座いますか。有り難き幸せ。この貞盛、この御恩忘れませぬ」
 貞盛(さだもり)は興奮していた。今の今まで秀郷(ひでさと)の本心を疑う気持ちが有った。
「そうと決めたら、()ぐにも動くぞ!」
 秀郷(ひでさと)がそう強く言った。
「追討軍など待つことは無い。今を逃してはならぬ。良いか。手勢を付けてやるゆえ、(みこと)も散っている郎等を集めるが良い」
 迷いに迷っていた秀郷(ひでさと)だったが、一旦心が決まれば動きは早い。多くの兵を(さと)に返し、将門の(もと)に今あるのは、家の子、郎等、食客、与力の土豪併せて四百。農民兵を含めても千には届くまいと思われた。今しか無いと秀郷(ひでさと)は思った。
 将門に約束した兵集めはゆっくりと進められていたが、根回しはしてあるので、いざと成れば短期間に集める自信は有った。

 数日して、維幾(これちか)親子も秀郷(ひでさと)を頼って来た。二十人ほどの郎等を率いていた。
 秀郷は、為憲(ためのり)にも(みずか)らの兵を集めるよう要請する。
  続々と兵が集まり、その数四千。軍の編成も進んでいた。

「この中で、一番地位が高いのは、常陸介(ひたちのすけ)である維幾(これちか)様。次に同じ従七位下(じゅしちいのげ)とは言っても、朝廷の左馬寮の(じょう)である貞盛(さだもり)殿。位階は同じでも、在地の少掾(しょうじょう)に過ぎぬ麿よりも格上ということになる。こたびの軍の総大将・総指揮は、やはり維幾(これちか)様にお願いすることになりましょうな」
 維幾(これちか)貞盛(さだもり)為憲(ためのり)を前に、秀郷(ひでさと)がそう切り出した。本音で無いことは明らかである。
 将門にみっとも無く惨敗した維幾(これちか)が、まさか受けないだろうとは思ったが、位階、官職に従えば筋の通る話ではあるから、惟幾(これちか)が受けはしまいだろうかと貞盛(さだもり)は緊張した。
 維幾(これちか)が「う~ん」と唸った。
 ここで為憲(ためのり)が後押しをしたりすれば、惟幾(これちか)は受けかねない。維幾(これちか)に総指揮を任せたりすれば、勝てる(いくさ)も負けるだろうと貞盛(さだもり)は思った。
 維幾(これちか)の指揮の(もと)で戦うなど真っ平だと貞盛(さだもり)は思っていた。第一、秀郷(ひでさと)がどんな態度に出るか分からなかった。
「この戦い。何としても勝ち、将門を討たねばなりません。押領使(おうりょうし)として坂東の治安を回復することを朝廷より託され、今まで数々の修羅場を潜って来た秀郷(ひでさと)殿にお任せになってはいかがで御座いましょう、維幾(これちか)様」
 そう提案してみた。
「う~ん」とまた維幾(これちか)が唸った。
『今更、体面など気に出来る立場か。兵の殆どは秀郷(ひでさと)の手勢ではないか』
 貞盛(さだもり)はそう思って、判断に迷っている様子の惟幾(これちか)(いら)ついていた。
「総大将は父上。しかし、その指揮権は秀郷(ひでさと)殿に託すると言うことではいかがでしょうか」
 そんな案を出したのは為憲(ためのり)である。
「うん。そう致そう。頼むぞ、秀郷(ひでさと)殿」
 ほっとしたように維幾(これちか)が答えた。身分の上では当然自分がその任に当たるべきと言う考えの強い維幾(これちか)だが、本当に任されたら自信など無いし、どうして良いか分からない。そう思って迷っていたところへ、為憲(ためのり)が良い提案をしてくれたので救われたと言う訳だ。名だけ取って、責任を負わないのが一番良い。
維幾(これちか)様がそう言われるのであれば、この秀郷(ひでさと)、微力ながら全力を尽くしましょう。お任せ下され」
 名目上の総大将など、維幾(これちか)が勝手に自己満足していれば良いこと。『実質的な指揮権を手にしなければ何も出来ない。これで戦える』と秀郷(ひでさと)は思った。
 将門の戦闘能力を評価している秀郷(ひでさと)は、将門を甘く見てはいない。四百の手勢しか居ないとは言え、それは、良く訓練され意識の高い将門軍の主力なのである。貞盛(さだもり)為憲(ためのり)が集めた兵を含めて、十倍の兵力を有するとは言っても、やはり、その殆どは農民である。一旦、将門に突き崩されれば雲散霧消(うさんむしょう)してしまう可能性は有るのだ。実際、将門は今迄、何度もそうして勝って来ている。
 軍が崩壊した場合でも、逃げずに命を惜しまず戦える主力を、将門の手勢の倍の八百は欲しいところだが、それも確保出来ている。
 次に、将門軍四百と、秀郷(ひでさと)らの軍八百が戦った場合を想定してみた。
『それでも負ける可能性は有る』と秀郷は思う。
 勝てる可能性が六割であろうと八割であろうと、例え九割であっても、結果的に負けてしまえばそれで終わりだ。最後の一手が必要だと思った。
 将門軍の強さは、将門個人の資質に負うところが大きい。そしてそれは、そのまま将門軍の弱点でもあることに、秀郷(ひでさと)は気付いていた。
『要は、将門さえ殺してしまえば、将門軍は崩壊する』秀郷は一人頷いた。

 その頃、将門も考えを巡らせていた。
『春の農繁期が終われば再び帰還させた兵を再招集し、足柄(あしがら)(駿河、相模国境の足柄峠)、碓氷(うすい)(信濃、上野国境の碓氷峠)の二関を本格的に固める。それで追討軍は防げる。
 一方で、秋の収穫時期までに行政機構の整備を図る。兵達の一部は常備軍とする必要が有るかも知れない。それに掛かる費用も計算し、常備軍の数も決めなければならない』
 将門の思惑は長期戦にあった。
 一方、興世王(おきよおう)は、新しい都の建設に夢を馳せていた。  
 石井(いわい)の営所を王城・亭南の地とし、檥橋(うきはし)(現・坂東市沓掛)を京の山崎、相馬郡(そうまごおり)の大井の津を大津になぞらえようと思った。
 そして、左右大臣・納言(なごん)・参議など文武百官の構成に想いを馳せ、石井(いわい)付近を回っては、測量・地割の真似事まで始めていた。

 そんな時、秀郷(ひでさと)が大々的に兵を集め、訓練を施していると言う報せが入って来る。
 しかも、将門を驚かせたのは、貞盛(さだもり)維幾(これちか)までもが、それに加わっていると言うことだった。
秀郷(ひでさと)が裏切ったと…… ?」
 それは、将門に取って想定外の事態だったのだ。坂東を変えたい。その想いに於いて秀郷(ひでさと)は自分と同じ志を持っている者と信じていた。朝廷側に着くなど夢にも思っていなかったのだ。
「おのれ秀郷、許さん!」
と口走っていた。
名簿(みょうぶ)を捧げて(たばか)った上、兵を帰して手薄になった今を狙って自分を討つ為の軍を(おこ)すなど、人として到底許すことの出来ない仕業(しわざ)だ』
と将門は激怒していた。
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