第42話 権威

文字数 4,870文字

 十二月十一日に下野(しもつけ)に入った将門だが、その日の内に下野守(しもつけのかみ)らを追放し、翌日には秀郷(ひでさと)(くだ)ったことにより、後顧(こうこ)(うれ)いが無くなったと見て、郎等のひとりに二百ほどの兵を付けて国衙(こくが)に残し、同月十五日には早くも上野(こうづけ)に向けて進発した。

 上野の国衙(こくが)は固く門を閉ざして抵抗した。門を開くよう呼び掛けても応じず『国守(くにのかみ)が留守なので、無断で開門することは出来ない。国守が帰り次第報告する』と繰り返すのみである。
「ふざけたことを抜かしおって、門を打ち破りますか? それとも火を掛けて(あぶ)り出しますか?」
 この日、将門の近くに()していた玄明(はるあき)が言った。
「まあ待て。朝廷から謀叛人と呼ばれようと、麿は坂東を支配しようとしているのだ。(まつりごと)を行う者が無体なことをしては、(たみ)の信頼を得ることは出来ぬ。
 国衙(こくが)を囲み、もし居れば逃さぬようにして、上野介(こうづけのすけ)藤原尚範(ふじわらのひさのり)の居場所を探れ」 
 そう将門が命じる。聞き込みをし探したところ、尚範(ひさのり)は、国衙(こくが)にはおらず、国司舘(こくしやかた)に居た。そして(やかた)に籠り門を閉ざして抵抗した。
 塀を乗り越えて侵入した将門の兵達が、尚範(ひさのり)を引き摺り出して来る。
悪足掻(わるあが)きをしたものだな。(やかた)に籠っていれば、麿が(あきら)めるとでも思うたか? 愚かな」
 引き据えられた尚範(ひさのり)に向かって、将門が言う。
「謀叛人に従ういわれは無い。このようなことして、いずれ(ちゅう)されよう」
 将門を睨んで尚範(ひさのり)はそう言い放った。
 尚範(ひさのり)は、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)曾孫(ひまご)であり、一方で、この頃、瀬戸内で反乱を起こした、藤原純友(ふじわらのすみとも)の伯父でもある。
「殺してしまいましょうか?」
 (やかた)に乗り込んで尚範(ひさのり)を引き摺り出して来た玄明(はるあき)が言った。
「いや、無用な殺生はせぬ。国衙(こくが)に引き立てて行き、門を開くよう命じさせよう」
と将門が言うのを聞いた尚範(ひさのり)
「断る!」
と喚いた。
「なんだと!」
 そう言った玄明(はるあき)が、尚範(ひさのり)の襟を掴んで締め上げる。
「やめよ! 玄明(はるあき)(ただ)ちに追放する」
 将門はそう宣した。
「しかし、こ奴、密かに国衙(こくが)に戻り、抵抗するかも知れませんぞ。やはり殺してしまった方が……」
 多治経明(たぢのつねあき)がそう進言した。
印鎰(いんやく)はどこに有る。国衙(こくが)の中か? それも(しら)を切るなら、皆の申す通り、今後の見せしめとして殺す。
 ここで甘い顔を見せれば、その噂を聞いた武蔵守・貞連(さだつら)も図に乗って(あらが)って来るであろうからな。無駄な時を費やす訳には行かぬのだ」
 将門が尚範(ひさのり)を脅しながら問い詰めていた時、
「有りました。印鎰(いんやく)が御座いましたぞ」
と、家探しをしていた郎等が、印鎰(いんやく)を手に飛び出して来た。
「すんでのところで命拾いしたな」
尚範(ひさのり)に言った後、将門は、
「逃さぬように兵を付けて、信濃(しなの)の国府近くまで護送せよ。一旦陣を敷き、明日、国衙(こくが)を開かせることにする」 
と三郎・将頼に命じた。

 その日の夕刻『策を()る』として、将門はひとりで国司舘(こくしやかた)の奥に籠った。
「お(やかた)の前で、皆の意見がまちまちと言うのは良く無い。時も無駄にすることになる。互いに意見を交わし合って、なるべく、一致した意見をお(やかた)に進言出来るようにして置いた方が良いと思うが、いかがで御座ろうかな?」
 興世王(おきよおう)将頼(まさより)に提案し、将頼(まさより)も同意した為、会合が持たれることになった。
 この会合に将頼(まさより)は、興世王(おきよおう)の提案に寄り、弟の大葦原(おおあしわらの)四郎・将平(まさひら)を同席させることにした。
 四郎・将平(まさひら)は、()よりも文を好み、幼い頃より僧や学者の(もと)に通って学問をし、将門の兄弟の中では最も博学であった。
 その為、将門も敢えて将とはせず、軍議には参加させていなかったが、仲は良く、四郎の話を聞くことが好きであった。
 将門は、日頃、将平から色々と話を聞き、歴史に付いてもある程度の知識を持っていた。
 中でも、将門が最も興味を示したのは、あの大唐帝国が滅びた後、耶律阿保機(やりつあぼき)という男が(みずか)らの国を建て、国号を(りょう)とし、契丹国皇帝(きったんこくこうてい)と成ったという話だ。
 将門に取って、それは衝撃であった。唐王室とは全く関係の無い一部族長が多くの部族を纏め、次々と周りの勢力を従えて、ついには皇帝と成ったのだと言う。
 この国に置き換えれば、土豪が帝になる様なものだ。そんな馬鹿な事が外国(とつくに)では起こり得るのだと言う事が、まず衝撃であった。
 将平に寄れば、大陸ではそれは当たり前のことなのだと言う。易姓革命(えきせいかくめい)と言って、天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、その王朝が徳を失った時、天がその王朝に見切りを付け、次の王朝が生まれると言う。
『天命を(あらた)める』即ち革命である。
 天子が自ら位を譲るのを禅譲(ぜんじょう)。武力によって追放することを放伐(ほうばつ)と言うのだそうだ。
「と言うことは、万世一系(ばんせいっけい)で続いていると言われるこの国の皇室は、(かつ)て徳を失ったことは一度も無く、それゆえ神代(かみよ)から途切れること無く続いているということなのか?」
と、その時、将門は思った。男大迹王(をほどのおおきみ)の話を聞くよりも随分前のことである。
「いや、これは外国(とつくに)の話で、そのまま我が国に当て嵌まることではありません」
 真剣な表情で尋ねる将門に、その時、将平(まさひら)は笑って答えた。
 将門は、この時から歴史に興味を持ち、将平(まさひら)に色々と聞くようになった。
 そう言う話を将頼(まさより)から聞いた興世王(おきよおう)が、 
将平(まさひら)殿も是非同席して貰いたいもので御座いますな」
将頼(まさより)に言ったことから、将頼(まさより)が、四郎・将平(まさひら)も同席させることとしたのだ。

「麿は(いくさ)のことは分からぬゆえ、それは、お(やかた)様やお歴々のされることを見守るより他に無い。しかし、ひとつの国を制すれば(まつりごと)を行わなければならぬ。
 それがふたつみっつと増え、やがて坂東全体となれば、それを纏めることも必要となる。
 大きな方向はお舘様がお決めになるであろうが、それに基づいた細かな決まり事などは我等が決めて行かねばならぬことになる。
 (いくさ)に勝つことが、まず何よりも大事ではあるが、その後のことも考えて置かねばならぬと思うが如何(いかが)で御座いますかな?」
 最初に興世王(おきよおう)がそう口火を切った。
(いくさ)に関しては、兄上の下知(げじ)に従って、命を懸けて戦うのみだ。それで間違いは無い。しかし、一国の(まつりごと)となると、分かっているのは、興世王(おきよおう)殿と常陸掾(ひたちのじょう)を務められていた玄茂(はるもち)殿くらいかのう」   
 そう言ったのは、将頼(まさより)だ。
「確かに、(いくさ)に関しては、互いに競い合って退()けを取らぬ覚悟は有るが、(こまごま)々としたことは苦手じゃな。一郷くらいなら何とか成るが、国となるとそうも行かぬであろうしな」
 多治経明(たぢのつねあき)将頼(まさより)に同調する。 
「どうであろう。興世王(おきよおう)殿と玄茂(はるもち)殿に叩き台とも言うべきものを作って貰い、それを元に我等が話し合い、纏まったものを兄上に進言すると言うことでは。(いくさ)以外のことで、兄上に余りご負担を掛けとうない。そういった雑事はなるべく我らで処理すべきであろう」
との将賴(まさより)の提案に、
「それで良う御座ろう」
と皆同意した。
興世王(おきよおう)殿、玄茂(はるもち)殿。お引き受け願えますかな」
 多治経明(たぢのつねあき)の依頼に、興世王(おきよおう)は嬉しさを隠して、
「うっ、ほん」
とひとつ咳払いをした後、
(いくさ)では全く役に立たぬこの身、そのようなことでお役に立てるのであれば、喜んでお引き受け致す。玄茂(はるもち)殿、お力をお貸し下され」
と玄茂に水を向けた。
「麿などは微力では御座るが、興世王(おきよおう)殿のご指導の(もと)、力を尽くしましょう」
 玄茂(はるもち)も引き受けた。
「だがひとつ問題が有る。大きな問題じゃ……」
 興世王(おきよおう)が急に渋い顔を作って、手を(あご)に当てて考える仕種(しぐさ)を見せた。
「何で御座るか?」
 将頼(まさより)が尋ねる。
「いや、ご承知の通り、国とは、(かみ)(すけ)(じょう)(さかん)の四官に寄って統治される。親王任国(しんのうにんこく)()っては、(すけ)が事実上の国守(くにのかみ)になる。
 だが、それぞれの権限と言うものは朝廷から与えられたものである。朝廷の権威が後ろに有ってこその国司の権威・権限じゃ」
 将賴(まさより)は”何を言い出すのだ“とばかり興世王(おきよおう)を見る。そして、
「無位・無官の兄者が任じたのでは権威が無いと申されるのか?」
興世王(おきよおう)に鋭い言葉を浴びせた。他の者達も(いぶか)しげに興世王を見た。
「いや、お怒り召さるな。お(やかた)(そし)るつもりなど毛頭無い。話は逆で、麿が申し上げたきは、お(やかた)様に権威を持って頂く必要が有るのではないかと言うことで御座る」
 興世王(おきよおう)はそう弁解する。
「兄上は、誰よりもこの坂東のことを思っており、民のことを考えておる。その上、誰よりも強い。皆が(した)えば、権威などそのうち自然と生まれて来る」
「申される通りかも知れませぬが、それには時が掛かります。今権威を付けられれば、それだけで刃向(はむ)かう者の数を減らすことが出来まする」
「どうしようと言うのか? 聞こう」
「国司は除目(じもく)に寄って任じられ、その除目(じもく)を行うことが出来るのは朝廷のみ、とは万人の知る処で御座います。面と向かって口にせぬまでも、お(やかた)に寄って任じられた国司は正式な国司では無いと、心の底で思う(つわもの)や民も少なくは無いと思います。
 それが、やがて(ほころび)びを生む元ともなりかねません。そして何より、恐らくは、お(やかた)の心の奥底に尚もひっ掛かっているであろう謀叛人という負い目を、麿は取り除いて差し上げたいので御座いますよ。
 お(やかた)は民達を新しき世に導く輝かしい星でなければなりません。そう成ってこそ、(すべ)ての者が敬い、恐れ、従うと言うもので御座います」
 興世王(おきよおう)の主張に、皆、なるほどと思う部分は有るのだが、ではどうすれば良いか、それは全く分からないのだ。
「で、どうしようと言うのかな。何か策が御座るのか?」
 将賴(まさより)興世王(おきよおう)を詰めた。
(いささ)か御座います…… ただ、仔細に付いては、麿にお任せ頂けぬであろうか」 
 興世王(おきよおう)の提案を受けて、ひと渡り、他の者達の顔を見回してから三郎・将賴(まさより)は、  
「分かり申した」
と了承した。その時、 
「お待ちを」
と声を上げたのは四郎・将平(まさひら)であった。
興世王(おきよおう)殿。何をなさるおつもりか、今少しお聞かせ願えませぬか。皆様方も、何も聞かず興世王(おきよおう)殿に丸投げで宜しいのですか?」 
 将平(まさひら)の顔を見た興世王(おきよおう)がニヤリと笑った。
「麿は、お(やかた)様に、男大迹王(をほどのおおきみ)に成って頂こうと思うております。男大迹王(をほどのおおきみ)もお(やかた)様も、同じ五世の皇孫に御座いますれば、出来ぬことでは無いと思っております」 
 将平(まさひら)であれば、これだけで全ての考えを理解出来る(はず)だと興世王(おきよおう)は思った。
男大迹王(をほどのおおきみ)が帝位に就いた時とは事情が違う。その時には後嗣(こうし)が絶えていたのだ。今、(みかど)はちゃんといらっしゃる」
「その時とは事情が違う? 左様でしょうか? 五世の男大迹王(をほどのおおきみ)より皇位に近い方が、その時ひとりも居なかったなど、(およ)そ考えられません。今の世で例えるなら、五世のお(やかた)様は何番目の皇位継承権をお持ちと思われますかな? ……五世ともなると、失礼ながら、数えられぬほど順位は下です。五世の男大迹王(をほどのおおきみ)の他に位を継ぐ者が誰も居ない、と言う設定は不自然とは思いませぬか。書紀(日本書紀)に書かれたことは、後の者達に寄って都合良く書き換えられたもので御座ろう」
「麿は反対じゃ!」
 興世王(おきよおう)に言いくるめられてたまるかとばかり、将平(まさひら)は強く言った。
「これは意外で御座ったな。易姓革命(えきせいかくめい)契丹(きったん)皇帝の話をお(やかた)様にされた将平(まさひら)殿であれば、誰よりもお分かり頂けるだろうと思うておりましたが……残念です」
「それとこれとは別だ」
「まあ良い、四郎。後で話そう」
 将頼(まさより)が二人の論争に割って入った。


参考:
男大迹王(をほどのおおきみ)=継体天皇

記紀によれば、応神天皇五世の来孫であり、『日本書紀』の記事では越前国、『古事記』の記事では近江国を治めていた。本来は皇位を継ぐ立場ではなかったが、四従兄弟にあたる第二十五代武烈天皇が後嗣を残さずして崩御したため、大伴金村や物部麁鹿火などの推戴を受けて即位したとしている。先帝とは四親等以上離れて[いる。太平洋戦争後、応神天皇五世というその特異な出自が議論の対象になった。ヤマト王権とは無関係な地方豪族が実力で大王位を簒奪し、現皇室にまで連なる新王朝を創始したとする王朝交替説と、それ以前の大王家と血縁関係のある傍系の王族(皇族)の出身であるという『記紀』の記述を支持する説があり、それまでの大王家との血縁関係については現在も議論がある.。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87


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