第31話 興世王と経基
文字数 3,493文字
経基が逃亡し、将門が引き揚げた後の武蔵。興世王は事後処理に追われていた。
武蔵権守の職を得る為に、相当な財貨を使った。その一部は、親族、知り合いから借りて掻き集めたものであるから、少しでも早く返済したいと思った。
『正任の国守が着任する前にひと儲けしなければならない』
騒動の元は、そう思って経基を誘ってやったことなのだ。だが、経基があの様な大戯けだったと見抜けなかったのが失敗だったと思う。
将門の仲介で大幅譲歩したのは、悔しいが止むを得ないことだっと思って諦めた。五世とは言え、皇族の端に残っている興世王。生きて行くと言うだけなら、官職などに着かなくても生きては行ける。だが、とても皇族などと言えないほど倹しく生きなければならない。詰まらない人生である。
それに、王と言う身分は五世までであって、子は最早皇族として生きることは出来ない。己の力で稼がなければならないのだ。
五世の捨扶持では、生きるのが精一杯で、子に残してやれるものなど何も無い。それが、無理をしてでも官職を得たかった理由であり、武芝との揉め事に至った理由である。
経基が都に向けて逃亡したことは直ぐに知れた。お役御免にして貰いたいほどの男だから、居なくなったのは一向に構わないのだが、朝廷に何を訴え出たか、それが気になった。
暫くして入って来た情報では、何と、将門、武芝、興世王の三人が謀議して謀叛を起こしたと訴え出たらしい。呆れたものだと思った。
『朝廷も馬鹿では無い。謀叛などなかった事は直ぐに知れるだろう。もし、事実なら周りの国々からも次々と報せが入る筈だ。しかし、謀叛の訴えを無視する訳にも行かないから、糾問の為、何れ誰かを派遣して来る筈だ。糾問使が現地に来れば、直ぐに分かることだから、弁明は口頭で簡単に済むだろう』
そう思った。だが、武芝との争いの経緯に言及されたらまずいとも思った。
天慶二年三月二十八日になって、早朝、推問使・多治助真が下総に向かう前に武蔵の国衙に立ち寄った。
「態態の下向、ご苦労なことで御座いますな。何やら、将門が謀叛を起こし、麿もその一味と言うことになって居ると聞きましたが」
愛想良くもてなして、興世王が尋ねる。
「訴えは確かにその様になって居るが、糾問対象は将門のみで御座る」
多治助真はそう答えた。
「謀叛の訴えとあらば、首謀者とされる者に確認しない訳には行かぬと言うところでしょうかな」
助真は頷いて。
「仰せの通り」
と返す。
「しかし、初めて会った麿と将門がその場で意気投合して、武芝まで誘い込んで謀叛を起こしたなど、経基、奇想天外なことを思い付く男で御座いますな」
そう言って笑った。興世王としては、経基が如何に愚かな男であるかということを印象付けて置きたかった。経基の人格を貶めることで、足立郡での騒ぎに対する経基の供述の信憑性を薄めて置きたかったのだ。
「それを確認するのが、お役目で御座るよ」
助実の物言いは、被疑者た対するものでは無い。興世王は胸をなでおろした。
「ご苦労様なことで御座る」
そう慰労の言葉を掛け、興世王は助実を饗した。一休みすると、助実は下総に向かった。
翌日、将門の郎等がやって来て、謀叛の事実は無いとの一冊を書いて欲しいと興世王に頼んだ。他の四ヵ国の国司にも書いて貰うつもりだと言う。
興世王は、口頭で申し開きすれば済むことと思ったが、将門と言う男、そこまでせねば気が済まぬ性格なのだろうと思い、言われる儘に書いてやった。
将門の調停当日に話は戻る。
経基は、妻子を伴って武蔵に赴任していた。箕田(現・埼玉県鴻巣市箕田)に舘を持っており、妻子をここに住まわせ、自らは、普段、府中(現・東京都府中市)の国司舘で生活していた。
この日、経基は将門への対応を巡って、権守・興世王と対立し、腹を立てて府中の国司舘に戻ってしまっていた。将門を恐れる気持と興世王に対する不快感・不信感がない交ぜになり、興奮で寝付けなかった。
上司である興世王に逆らい過ぎたのではないかという若干の後悔も有った。それが、不安な気持を呼び起こす。酒を煽って早めに床に就いたが、眠れぬ儘過ごすうち、夜に差し掛かった頃、松明を持った大勢の兵がこちらに向かっていると言う報せが入った。
不安と猜疑心から『興世王が、武芝、将門と謀って、麿を討ちに来たのだ』そう思い込んでしまった。
「良いか、押し寄せて来ても、絶対に門を開けてはならん。守りを固めよ! 」
と郎等達に命じる。
「一体何で御座いましょうか」
要領を得ない郎党は首を傾げる。
「謀叛じゃ!」
経基がそう喚き、郎等は驚いた。
「誰が謀叛を起こしたと仰るので?」
と尋ねる。
「将門と武芝じゃ」
国守が謀叛など、郎等達に迷いを起こさせると思い、敢えて興世王の名は出さなかった。
「えっ。あの将門が、この舘を襲うと言うのですか」
郎等の顔に恐怖の色が浮かんだ。
「門を固めて、絶対に入れるな。それから、急いで馬を三頭用意せよ。郎等二人に松明を持たせて先導させる」
と指示をする興世王の意図に、郎等は不審感を抱く。
「どこへ行かれるので」
と尋ねた。
『まさか、一人でお逃げになるつもりでは御座いますまいな』とその顔が言っている。
「援軍を頼みに参る」
空気を察したのか、興世王はそう言った。
「何処へで御座いますか?」
尚、疑いを消せない郎等が更に尋ねた。
「声を掛ければ応じてくれる土豪は何人もおる」
と興世王は言い張る。
「ならば、郎等達に手分けして回らせましょう」
郎等のしつこさに経基は、思わず怒鳴り付けたくなったが、尚の事疑われると思い、堪えた。
「朝廷の命も無いのに、使いひとつで動く土豪など居るものか。麿が行って、直々説かねば動かぬ」
そう言うと、郎等は訝しげに経基の顔を見た。
「我等はどうすれば宜しいので?」
そう聞かれた。
「時を稼いで裏から逃れ、狭服山に籠れ。命を無駄にするでない」
「お気遣い有難う御座います」
思い切りの皮肉を込めて、郎等はそう言った。
「時が無い。早う致せ」
と経基が急かす。
「はっ」
と答えて、郎等は下がって行った。
酔った兵達が、千鳥足で介の国司舘の前に辿り着いた頃には、経基は既に府中を離れていた。
駆けながら経基は考えていた。
『思わず『謀叛』と言ってしまったが、国司舘を襲うなど、実際、謀叛以外の何物でも無いではないか。そうだ、これは謀叛だ。だが、謀叛であるならば、まずは都へ報せるべきではないか。
与力の土豪を集め戻って戦うのは良いが、もし討死でもしたら、報せる者が居なくなってしまう。何より大事なことは、帝と朝廷の安泰。今、自分がすべきことは、やはり都へ報せることだ』
己にそう言い聞かせだ。人は、時として、自分自身をも騙す。後ろめたさを伴う行動を取ってしまった時など、無意識に、動機を正当化しようとする。そして、尤もらしい理屈を思い付くと、それをまず、自分自身に信じ込ませようとするのだ。
そうすることに寄って、自分の心を苦しみから解放する。恐怖心から取ってしまった行動に大義名分を得て、経基の心に自信が甦って来た。
「太郎! 太郎はおるか!」
私邸の門を入ると、馬から飛び降り大声を上げた。
「父上。こんな時刻に、どうなされたのですか」
舘から飛び出して来たのは嫡男の満仲である。驚きの表情を見せてそう言った。
弟達は母の実家で生活している。妻と満仲のみを伴って、経基は武蔵へ赴任して来ていた。この時、満仲二十二歳。父・経基は五位にもなっていないので、蔭位の適用も無く、従って満仲は、官職に就くことが出来ない境遇である。それを良いことに、専ら女遊びに明け暮れている。
「謀叛じゃ。謀叛が起こった。直ぐにも都へ報せねばならん。母を起こして、急いで支度させよ」
そう命じた。
「なぜ父上が都へ参らねばならぬのですか? 早馬を立てれば良いではありませんか。それに、母上までお連れになるのですか、こんな夜中に」
そう父に疑問をぶつける。満仲には、父の言っていることが理解出来なかった。
「母ばかりではない。汝も一緒じゃ。謀叛を起こしたのは、武芝と将門。国衙も占領され、興世王殿も将門に降ったものと思われる。だから、麿が行くしかないのだ。残して行けば、その方達の身にも累が及ぶ。時が無い。早う支度せい」
経基は強く命じた。
嘘にはどんどん尾鰭が着いて行く。起きたことと想像の境目がどんどん無くなって行く。経基に取って、もはや、『想像』が既定の事実なのだ。
必死に京に戻った経基は、興世王、武芝、将門が共謀して謀叛を起こしたと朝廷訴え出た。
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