第4話 争いの始まり

文字数 3,215文字

 武射(むさ)に入ると小次郎は、伯父・良兼の舘に小者を走らせ、面談したいと伝えさせることにした。
 もうひとつ言い付けた事が有る。君香の母に付いていて、その後、君香付きとなっている萩女(はぎめ)と言う侍女に(ふみ)を渡すことを頼んだのだ。
 かつて世話を掛けた礼の伝言を言い付かって来たと伝え、他の者に気付かれないように、君香への(ふみ)を託すよう言い付けた。
 しばらく待つと、小者が帰って来た。
「申し訳ありません」
 小者は、済まなそうに、まずそう言った。
「伯父上には、会えぬと言われたか?」
「はい。ご多忙とのことで」
「やはりな」
 それは、小次郎に取って折り込み済みの返事だった。
「それで、萩女(はぎめ)殿に(ふみ)は渡せたか?」
「はい。対応に出た郎等衆が呼んでくれましたので」
(ふみ)に気付かれてはいないだろうな」
 と念を押す。
「はい。それはもう、誰にも気付かれぬよう抜かり無く……」
「分かった。ご苦労だった。(なれ)は先に館に戻れ」
「かしこまりました」
 小次郎の郎等は、一度頭を下げると去って行った。

 一時(いっとき)(三十分)ほど待つと、君香が現れた。想定外の美しい娘に成長しているその姿を見た時、小次郎は、胸の高鳴りを押さえることが出来なかった。だが、君香は若武者をひとり連れている。
『まさか、(つま)ではないだろうな』
 そう思った。
 驚くと同時に、不安が(よぎ)る。
「小次郎様。お(なつ)かしゅう御座います」
 満面の笑みを(たた)えてそう言うと、君香は頭を下げた。
「そちらの方は?」
 気になって、小次郎が尋ねる。
「弟で御座います。一人で出掛けると父に(とが)められますので、付いて来て貰いました」
 君香はそう説明した。
「太郎・公雅(きんまさ)です。小次郎殿の噂は姉より聞いております」
 公雅(きんまさ)はそう言って頭を下げた。
 小次郎も少し頭を下げる。
「姉上。麿はその辺を回って来ます。二時(ふたときとき)ほどしたら戻ります。それで宜しいですか?」
「済まぬ。世話を掛けますね」
 少し微笑んで、君香が弟に言った。
「いや、何の」
 公雅(きんまさ)は笑顔を見せて姉にそう答えると振り返り、背を見せて去って行った。
「弟が居たのか?」
君香(きみか)に聞いてみる。

「下にもうひとり、次郎・公連(きんつら)と言う弟がおりますが、弟逹二人の母は、次郎を生んだ後、産後の肥立(ひだ)ちが悪く、すぐに亡くなりました」
 この時代、子を生むと言うことは命懸けであり、それで亡くなる女は多かったのだ。
「麿も幼き頃母を亡くしておりますので、その淋しさは良く分かります。弟達が幼い頃は、姉と言うよりも、母のような気持ちで二人に接して参りました。今は逆に、二人が麿を助けてくれています」
『弟と一緒でなければ外出もままならないとは……」
 小次郎はそう思った。
「伯父上は、そんなに厳しいのか?」
と聞いてみる。
 少しの間無言で考えている様子だったが、ひとつ息を吐き、思い切った様子で、君香が小次郎の問いに答える。
二月(ふたつき)(のち)輿(こし)入れすることになっております。ずっと、父からの話を断り続けていたのですが、麿ももう十七になってしまっています。
……父も本気で厳しく言って来ますし、遂に、断り切れなくなってしまいました」
 小次郎の中で、父の葬儀に帰郷しなかったことに付いての()いが、またひとつ増えた。もし、帰っていれば、想いを告げる機会が有ったかと思うと、また悔やまれた。
「そうであったか。それなのに、こんな所へ呼び出してしまって申し訳無かった」
「小次郎様。ひとつ伺っても宜しいですか?」
 と思い切ったように君香が言った。
「何なりと」
何故(なぜ)ご返事の(ふみ)を下さらなくなったのですか?」
 小次郎は、どう答えて良いか分からない。だが、君香に嘘をついたり、誤魔化したりしたくはなかった。
(おのれ)の身が恥ずかしくて、帰ることも、(なれ)に返事を書くことも出来なくなってしまった」
 君香は、少しの間、黙って小次郎を見詰めていた。そして、
「思い切って伺いますが、もしや『ご立派に成って戻って来られるのを、楽しみにしております』と書いたことが重荷になったのでは?」
 小次郎が思うように出世出来ていない事は、君香は、父の口を通して聞いていたのだ。
「いや、他人(ひと)にどう言われた、こう言われたでは無い。(おのれ)自身に対して恥ずかしかっただけだ」
 君香には、小次郎が狼狽(うろた)えているのが見て取れた。
殿御(とのご)に取って、都でのご出世がどのようなものかは存じませんが、小次郎様は、今、目を見張るほどご立派になって帰って来て下さいました。麿に取って、それが何より嬉しゅう御座います」
 君香にそう言われて小次郎の心は静まった。だが何故か、君香の表情が曇り、暫し沈黙が続いた。小次郎も、何を言って良いか迷っている。
 やがて、
「ずっと、お(した)いしておりました」
と言う言葉が、君香の口から漏れた。今言わねば、一生言う機会が無くなると思ってのことだ。
『麿もだ!』
と小次郎は叫びたかった。だが、口を突いて出たのは、
「嫁ぎ先の決まっている身で、そのようなこと申されるでない」
と言う言葉だった。そう言わなければならないと思い、言った。
「父の持って来る縁談をずっと断り続けて参りましたが、小次郎様からの音沙汰が無いと言うことは、麿に関心が無いと言うことなのかと思い、(あきら)めようとしたのです。いい年をした娘を、何時(いつ)まで放って置けない父の気持ちも考え、縁談を承知しました。
 ですが、こうして小次郎様にお会い出来た以上、気心も知れぬ方のところへ輿入(こしい)れするなど、もう無理です」
 君香は、しっかりと小次郎の目を見据えている。
「しかし、……」
 小次郎は、なんと答えて良いか分からない。暫しの沈黙の(のち)
「相手の有ること。父上が先方と取り決めてしまったのなら、止むを得ないのでは……」
と苦しげに言った。
「小次郎様が、()えてそうせよと仰せなら従います。それで宜しいのですか?」
 綺麗事(きれいごと)で済ますことが出来ない問いを、君香は突き付けて来た。
「…… いや、決してそれで良いと思っている訳では無い」
 伯父との交渉の時とは打って変わって、小次郎の態度はだらしないものとなっている。
「ならば、はっきりとお気持ちお聞かせ下さいませ」
 君香は、意思の強さを見せて言った。
「分かった。伯父上にお願いしてみよう、君香殿を頂きたいと」 
「嬉しゅう御座います。ただ、残念ながら、父の気持ちを変えることは無理で御座いましょう。お相手に対して、父の面子(めんつ)が丸潰れになることですから」
 それこそが、小次郎の尤も案じた事である。
「実は、お父上と話し合いをせねばならぬことが、他に有る。それが済み次第何とかする」
と答えたが、所領の問題でこじれれば、君香のことなど言い出せる訳が無い。
「『何とかする』とは?」
と君香は、小次郎の言葉の曖昧さを突いて来た。
 小次郎は覚悟を決めた。
「頼んで駄目な時は、奪ってでも()とする」
 そう言い切ると、君香の(ほお)に朱が射すのが見えた。
「嬉しゅう御座います。ただ、輿入(こしい)れは再来月(さらいげつ)の十日と決まっております。必ずそれまでに……」
 君香の目に、その決心の固さが表れている。
「分かった。必ずそれまでには」
と答えたが、
「約束する。そう思って待っていてくれ。だが、申した通り、その前に難問がひとつ有る。我が家の所領に付いて、伯父上が何か申されたことは無いか?」
と付け加えた。
「所領でございますか? そう言えば、数日中に石田の伯父上(国香(くにか))と水守(みもり)の伯父上(良正)がお見えになるとか。確か、所領に付いての話と申しておりました」
 小次郎は、その場に加わる事が出来ればと思ったが、同時に、叔父達か、自分を加える分けも無いとも思った。
 その時、公雅(きんまさ)が走って来た。
「小次郎殿、お逃げ下さい。たまたま通り掛かった郎等に見られたようです。殺気立った者達がこちらへ向かっております。
 姉上、麿に付いて来て下さい。別の道を通って戻ります。小次郎殿も早く身を隠さぬと、面倒なことになります」
 小次郎は林の中へ走りこんで身を隠そうとし、公雅(きんまさ)は君香の手を引いて、郎等逹が来るのとは別の道を急いだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み