第22話 貞盛の奇策
文字数 2,941文字
承平六年(九百三十六年)九月七日。護、小次郎、真樹を都の検非違使庁に召還する太政官府が、近衛府番長 英保純行・英保氏立・宇自加友興らによって齎された。
小次郎は直ぐさま上洛し、十月十七日には検非違使庁で尋問を受け、朝廷はこれを微罪とした。敵愾心が無かったとは言え、下野国府に上総介を追い詰め国庁を囲んだのだ。謀叛の疑いを掛けられ兼ねない。
小次郎が迅速に上洛し、大した罪にならなかったのには、二つの理由があった。
良兼軍が去った後、嫌疑を掛けられた場合の証として、この戦いが良兼により仕掛けられたものであることを、下野国守・大中臣完行に文書で証明して貰った上引き揚げていたこと。もうひとつは、小次郎の主筋に当たる藤原忠平の存在である。
忠平は、摂政、左大臣に加えて、承平六年(九百三十六年)より太政大臣をも兼ね、朱雀天皇の叔父として、権力の頂点を極めていた。
承平七年正月二十二日に左大臣を兄・仲平に譲るまでの間、最高位の三職を独占していたのだ。
左大臣は太政官の最高位であり、太政大臣は位人臣を極めた者の就く最高の名誉職。そして、摂政は元服前の幼い帝の代理として決済を行う役職だ。
つまり、左大臣が太政官を指揮して作り上げた奏上文を、帝の実質的な代理として摂政が決済する。その両方の職に在るということは、朝廷の意向とは、即ち、忠平の意向そのものなのである。
田舎から出て来て家人の端に連なっている無冠の若者などと直接言葉を交わすことは無い。
新たに、勤めることとなった若者達五~六人に、忠平が目通りを許した時のこと。
一番田舎臭い格好をして、緊張の余り口上も真面に述べられなかった男、それが小次郎だった。
『これは、番犬くらいにしか使えぬ者だな』
そう思って、むしろ官人としては使えぬ男という意味で、小次朗は忠平の印象に残ったのだ。賊を斬って手柄を立て、目通りを許した時にも、流石に極端な緊張こそしていなかったが、融通の効かなそうな印象は変わらなかった。
しかし、源護からの訴状の真偽を密かに調べさせたところ、護に非が有ることが分かっただけでなく、将門の強さも印象に残ったのだ。
「己の仕出かしたことの始末を朝廷にさせようというのか。源護。虫の良いことを…… 暫く放って置け」
と護の訴状の審議を後回しにさせた。
その後間も無くして、今度は、将門を討つべく軍を興した平良正をも打ち破ったという報せが忠平の許に齎された。
『将門。思いの外強いのう。京では、到底使い物にならんと思うておったが、坂東でなら案外使い道が有るかもな……』
忠平はそんな風に思った。
坂東は、朝廷に取って支配し辛い地域である。将門を上手く使えば、坂東を安定して支配することに役立つかも知れないと思い付いたのだ。
『隠れて色々やるような男ではない。少し目を掛けてやれば、喜んで働くだろう。これは、坂東を安定化する絶好の機会かも知れぬぞ』
忠平はそう思った。
将門は大結馬牧(現・茨城県結城郡八千代町大間木)と長洲馬牧(現・坂東市長須)の管理をしていたが、改めて別当に任じ、移牒(*1)も遣わすよう手配させた。
直ぐに、小次郎から礼状が届いた。礼の言葉を重ねた上『太政大臣様の為に力を尽くす所存』と結んでいる。
下野との国境を越える際、躊躇した小次郎だったが、仕掛けて来たのは良兼の方であること、下野に入ったのも良兼軍が先であることを申し立てていた。
このことが、弁明すれば分かって貰えると思う根拠ともなっていた。
囲みを解いて良兼らを見逃したのも、大中臣完行に証拠となる記録を遺すよう頼んだのも、忠平を憚ってのことである。
翌、承平七年(九百三十七年)正月七日に朱雀天皇が元服し、四月に恩赦が出された為、その適用を受けて罪を許され、半年ほど都に滞在した後、小次郎は東国へ帰った。
小次郎としては、万善の手配りをして、思惑通り実質無罪を勝ち取り、憂い無く坂東に帰ることが出来た。しかし、良兼、護、良正の怨念は、小次郎の予測を超えていた。
良兼側は、小次郎が大中臣完行に、小次郎に有利な記録を遺させていたことも、太政大臣・忠平が小次郎に肩入れしていることも知らなかったのだが、裁定が不利になりそうなことだけは予測していた。しかし、それで意気消沈して諦めてしまうほど、坂東武者と言うものは体制に従順では無い。小次郎不在の間に、再び、戦の準備を始めていたのだ。
「今度こそ、小次郎を葬って見せる」
上洛前の護とも打ち合わせを行っていた良兼が、良正と貞盛を羽鳥の舘に呼び着けて打ち明けた。
「ふん。朝廷のお沙汰など朝令暮改じゃ。こちらが決定的に有利となれば、いつでも変わる。小次郎が滅んでしまえば、我等全ての者を処分することなど出来ぬ。勝てば良いのじゃ」
何と、この時点での構図を見る限り、小次郎が体制側であり、反対に、良兼は反体制的な動きを見せ始めており、秀郷も、相変わらず朝廷から危険視されている存在なのである。
さすがに懲りたのか、良兼も、兵の数さえ揃えれば良いという考えからは脱し、訓練の重要性に目覚めたようである。
貞盛は、朝廷の沙汰に逆らうような方針に不安を覚えたが、負け犬のまま都に戻っても、もはや、出世の目は無くなるだろうと言うことも考えた。今度こそ絶対に勝たなければならない。負ければ全てが終わると覚悟した。
「伯父上。麿に必勝の策が御座います。曲げてお聞き入れ願いたい」
と強く良兼に迫った。
「必勝の策? ……何じゃ」
良兼は、貞盛がまた愚にも付かぬことを言い出すのではないかと思った。
「御爺様・高望王の木像を作り、軍の先頭に掲げて下さい。我等が坂東平氏の正統な後継であることを、敵味方にはっきりと示すのです。さすれば、小次郎もその郎党達も、木像に向かって弓引くことを躊躇することでしょう。敵の士気は下がり、味方の士気は上がります。
木像だけでは心許無いので、『高望王御姿』と書いた大きな幟を作り、傍に掲げるのが良いかと思います」
「うん! それは良い。それは良い策じゃ。貞盛、なにゆえもっと早く言わぬ」
『以前、申し上げようとした際には全く耳を貸さず、無様に負けたのは、一体どなたでしたか?』と、貞盛は言いたかったが、堪えた。
「貞盛。そちの策、中々良い考えだが、更にその効果を上げる方策が有るぞ」
と良兼が乗って来た。
「と申されると、更なる工夫がお有りとのことでしょうか?」
どんな工夫なのかと、貞盛も興味を示す。
「うん。良く聞け。良将の木像も作り、高望王の木像と並べて掲げるのじゃ。己の父、己の主には、尚更、弓を向けられまい。…… どうじゃ!」
貞盛は呆れた。
『高望王の木像を掲げることには、"一族の正統な後継者である"と言うことを示す大義名分が有るが、我等が小次郎の父の木像を掲げるなど、何の大義も名分も無いではないか。
確かに効果は増すかも知れないが、それでは、只の嫌がらせに成ってしまう』
そう思った。
参考:
移牒とは
管轄のちがう他の役所に文書で通知すること。また、その通知のことである。
つまり、国司でもない将門に移牒を遣わすとは、情報伝達の面で、国司並みの扱いをすると言うことなのだ。
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