第17話 水守良正《みもりのよしまさ》

文字数 2,419文字

『将門を討つべし』との周りの声を抑えながら、貞盛(さだもり)(みずか)ら独自の調査を進めた。そして、小次郎本人にも密かに詰問(きつもん)の手紙を送った。
 小次郎からの返事は()ぐにあった。詫びの言葉と共に、国香(くにか)の焼死を全く知らず、後から知ったとのこと。(たすく)らとの戦闘に至った経緯(いきさつ)も、簡潔に記載してあった。
 他の筋からの情報を得ていなければ、単なる言い訳とも取れる内容ではあるが、貞盛(さだもり)が独自に調べた内容と大きく違うところは無かった。
『小次郎の性格からしても、嘘は有るまい』と貞盛は思ったが、義母や弟たちをそれで説得することは難しいと思った。
 小次郎と戦わずに都に帰る方法は無いものかと貞盛は考えた。小次郎が意図して父を討った訳では無いと分かれば、一時の怒りを(しず)めることも出来た。
 それよりも何よりも、事態を早く収拾して、一刻も早く都に戻りたいと言う気持ちの方が、遥かに強い。争いに巻き込まれて、場合に寄っては何年も坂東で過ごさなければならないようなことになれば、貴重な時を無駄にすることになる。小次郎との戦いは避けたかった。
 それは、単に小次郎を憎めないと言う理由からばかりでは無い。正直、小次郎という男に恐れを(いだ)いていた。都での出世争いになら勝てるが、武力を用いての戦いとなると、全く勝てる気がしないのだ。
 別に一騎打ちをする訳では無いのだから、小次郎個人の強さなど関係無いとは思う。しかし、幼い頃から()み着いた観念を抜き去ることが出来ない。敵に回したくは無かった。

 貞盛は、義母(はは)(なだ)めながら、(まもる)と小次郎との争いと、親族間の領地争いを切り離すしかないと考えた。
 (まもる)が没落してしまった今、義理立てして、()えて小次郎と戦う必要は無い。水守(みもり)武射(むさ)の伯父たちを、そう説得出来るのではないかと考えたのだ。
 伯父達は、兄である父・国香を討たれたと主張するだろう。しかし、討たれた訳では無く、巻き込まれただけということを力説し、嫡子(ちゃくし)である自分がそう納得していることを伝えれば、(いくさ)を仕掛けることを阻止出来るのではないかと考えた。
 だが、所領の争いについては、小次郎に相当譲らせる必要がある。それが無ければ、伯父逹は納得すまい。父に出来なかった交渉だが、自分なら小次郎を説き伏せることが出来ると貞盛は思った。
 一旦、伯父逹の顔を立て小次郎に譲らせ、父の遺領を相続した後、見合う分を補填してやれば良いのだ。都での生活を続ける為には、相続を放棄しても良いと思っていたくらいだから、そのくらいはどうと言うことは無い。それよりも、問題を解決して、一日でも早く都に戻ることの方が、貞盛に取っては、遥かに価値の有ることなのだ。
 密約など小次郎は嫌うであろうが、利害得失を説き、誠意を以て説得すれば、小次郎を納得させることは出来るだろうと思った。貞盛は、密かに小次郎と連絡を取り、提案に対する小次郎の反応を探ることから始めた。

 貞盛が、周りの声を抑えながら、将門と交渉しようと動き始めた頃、水守(みもり)の良正が動き始めた。
 三人の弟たちが討たれ、実家が焼き討ちに会ったことを最初に知った時、(まもる)の次女である良正の()は、激しく『将門を討って欲しい』と良正に訴えた。同じ訴えとは言え、義理の息子でしか無い貞盛と()に責められた良正では、その反応は全く違う。
『兄・良謙(よしかね)とも相談し、貞盛(さだもり)も引き込んで討つ積もり』と答えたのだが、それくらいの返事では、()は納得しなかった。
「石田の姉上と(ふみ)を交わしましたが、石田は、太郎殿(貞盛)の帰国を待たねば動けないとのこと。また、武射(むさ)義兄上(あにうえ)はお立場を気にして、関わりを避けようとしていると聞いております。姫を強奪されたと言うのに、ほんに情けない話で御座います」
と尚も烈しく良正に訴え掛けた。
「そう申すな。武射(むさ)の兄には武射の兄の都合が有る。石田も、当主である兄が死んだ以上、跡継ぎである太郎の帰国を待たずばなるまい。それぞれ、既に相談は持ち掛けておる。返事待ちじゃ」
 そう言って、なんとか()を納得させようとした。
「さて、ご返事は何時(いつ)のこととなりますやら。申し上げ(にく)い事では御座いますが、この際、思い切って申し上げます。
 二人の兄上方の陰に隠れてお(やかた)の影が薄いとの風評を聞く(たび)に、麿は悔しい想いを重ねて参りました。石田の兄上様が亡くなり、武射(むさ)の兄上様の動きが鈍い今。今こそです。貴方様が石田の兄上と我が弟たちの仇を討ち、父の恥辱を晴らして下されば、世間の見方は変わります。(おのこ)として名を上げる何よりの機会とは、お思いになりませぬのか?」
 痛いところを突かれて、良正は少しムッとした。しかし、同時に、姉妹逹に対しての()の対抗心がそう言わせているのだなと思った。姉と妹の上に立ちたいのだ。
「父を討たれた貞盛(さだもり)の立場も考えてやらずばなるまい。貞盛が父の仇を討つと言うのであれば立ててやり゙、まずは貞盛に花を持たせ、我らは力を貸す。しゃしゃり出て、(おのれ)の名を上げようとは思わん。(しば)し待とう」
()を抑えた。
 ところが、帰国した貞盛に動きは無く『帰国したばかりで、色々と確認を進めているので、(しば)しお待ち頂きたい』と煮え切らない返事が、返って来た。良謙(よしかね)からも良い返事は得られなかった。
 そればかりでは無く『貞盛は、将門との和解を模索しているのではないか』との噂が、石田の郎等を姻戚に持つ一人の郎等から(もたら)されたのだ。
「腰抜けめが。父を討った小次郎と和解するだと…… 何を考えているのだ、あ奴は」
 貞盛(さだもり)や良兼の態度に(ごう)を煮やした良正は、承平(じょうへい)五年(九百三十五年)十月、将門を討つべく単独で兵を挙げた。

 しかし、この良正の挙兵は、野本の戦いに続いて、将門の強さを世間に知らしめる結果にしかならなかった。
 良正の挙兵を察知した将門は、()ぐさま出陣し、十月二十一日常陸国(ひたちのくに)新治郡(にいはるごおり)川曲村(かわわむら)にて戦闘となった。
 双方激しく戦ったが、将門の勢いは強く、良正は敗走した。六十人余りが討たれ、逃亡した者は数知れないという有り様であった。
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