第52話 北山の戦い 4 想い

文字数 4,197文字

 四千の大軍のうち、残っているのは(わず)か三百余名に過ぎない。
『風が変わることのみのを当てにした吾の(あやま)ちであった。如何なる事態にも対応出来るつもりで組んだ陣も、見事に裏をかかれてしまった。吾は、勇ばかりで無く、智に於いても将門に及ばぬと言うことか』
 そんな悔いが、秀郷(ひでさと)の頭の中を駆け巡っている。良兼(よしかね)維幾(これちか)の敗戦を『愚かさの結果』と思い、他人事として笑って来たが、正に(おのれ)もその中の一人として数えられることとなるのだ。
『こんな所で死んでたまるか。必ず生き延びて将門を討つ』秀郷(ひでさと)は、そう心に誓い、只管(ひたすら)逃げた。
 追い風を受けての逃走だから、疾駆していても顔に当たる風圧は感じない。
 ところが、暫く駆けているうちに、急に顔に風圧を感じるようになった。しかも、冷たい。
 その時、背中に軽い衝撃を感じた。カチッという音がして後ろから飛んで来た矢が(よろい)の背で弾けた。風圧により矢の勢いが殺されているのだ。

 一方将門は、智と勇を以て絶望的な状況から抜け出せたことに満足しながら、秀郷(ひでさと)を追っていた。
『もはや、彼我(ひが)の戦力の差は無い。そして、圧倒的に優位に立って、今、自分は秀郷(ひでさと)らを追っている。又もや、危機を脱することが出来たのだ。『(おのれ)の力などと過信してはいけない。絶望的な状況にあっても着いて来てくれた者達有ってのことなのだ』
 将門はそう思って(みずか)ら気を引き締めた。今一歩で、秀郷(ひでさと)を捕らえるか討つ事が出来る。貞盛(さだもり)と共に、絶対に許せない男の一人だ。そんな思いが将門の心を占めている。

「風が変わった!」
 (よろい)の背で弾けた矢の意味を悟って、秀郷(ひでさと)は狂喜した。
「止まれ! 踏みとどまれ~! 風が変わったぞ。
 者共、踏み止まって射返せ~!」
 そう声を上げながら周りを見回すと、千晴(ちはる)を始めとした息子達。貞盛(さだもり)繁盛(しげもり)兼家(かねいえ)、それに郎等達が集まって来ていた。
 敗走していた連合軍の残軍は踏み止まり、馬を返した。そして、一斉に射始める。

 将門軍は皆強く手綱(たづな)を引き、馬を止める。横に広がってこちらも一斉に射始めるが、それまでとは違い、秀郷(ひでさと)側の弓勢(ゆんぜい)は強く、将門側は弱い。
『くそっ。 今一歩のところで……南無八幡大菩薩!』
 将門は天を仰ぎ、思わず祈った。
 
 連合軍の矢は風に乗り、将門軍の矢は風に戻される。
「聞け~! 藤太秀郷(とうたひでさと)!」 
 将門が大音声(だいおんじょう)で呼ばわった。

 秀郷(ひでさと)が右手を挙げる。
「やめよ! 射ることを止めよ! 謀反人めが何か吠えておるわ、聞いてやろうではないか」
 双方の矢の雨が止んだ。
「何用か! 朝敵・将門! 命乞(いのちご)いなら聞かぬぞ」
 秀郷(ひでさと)が言葉で挑発して来た。
「何を抜かすか、卑怯者め。命乞(いのちご)いをするのはその方であろう! 一旦はこの将門に名簿(みょうぶ)を捧げながら、虚を()いて謀叛を企むなど許し(がた)い。成敗(せいばい)してくれるわ!」
 将門は、秀郷(ひでさと)に対する鬱憤(うっぷん)をぶつける。
「謀反? 面白い事を言うのう。麿は、“謀叛人を討て”と命じられてここにおる。謀叛人はうぬじゃ! この日本(ひのもと)(みかど)は只ご一人(いちにん)しか居坐(おわ)さぬ。勝手に新皇(しんのう)など僭称しおって。謀叛人は(おのれ)だ。この秀郷(ひでさと)が、朝敵を討つ為に(あざむ)いたことに気付かなんだ己を愚かと思うが良い」 
 そう侮辱されて、
『言わせて置けば勝手な理屈を並べおって』
と将門の怒りに更に火が点いた。
盗人(ぬすっと)にも三分(さんぶ)の理とは良く言うたものじゃ。藤太、許さぬ!」
 将門は風に乱れたザンバラ髪を振り払い、弓を郎等に渡して、太刀を抜き放った。
 その時、
「将門! (たのれ)はこの平太(へいた)貞盛(さだもり)が討つ! 覚悟せよ!」
 秀郷と(くつわ)を並べていた、貞盛(さだもり)が叫んだ。
「はっはっはっは。誰かと思えば、臆病者の常平太(じょうへいた)ではないか。信濃(しなの)で、陸奥(むつ)で、良くも逃げ延びたと褒めてやろうぞ。今度も逃げ足は速かったのう。のこのこと出て来居(きお)って。従兄弟(いとこ)(よしみ)、見逃してやるから、さっさと消え()せろ! 都にでも落ちて、遊女(あそびめ)とでも戯れておれ。それとも、やっと(つわもの)の気概を取り戻したか?」
 やはり、許せぬと思っている貞盛(さだもり)を将門が挑発する。
「我が父・国香(くにか)を討ったこと、忘れたか! 己を討つこの日の為に、命、永らえて来た。父の無念も我が恥辱(ちじょく)も今こそ晴らしてくれるわ!」
 言うなり、貞盛(さだもり)は弓を引き絞った。それを見た敵も味方も弓を構える。
腑抜(ふぬ)けの貞盛(さだもり)の矢などに当たってたまるか。太刀で矢を払った上で、今一度弓を取って、貞盛(さだもり)秀郷(ひでさと)も射抜いてくれる』そう思った。
 逆風に変わり、味方の矢が吹き戻されている状況ではあるが、将門は、己の持つ強弓(こわゆみ)と腕に、絶対の自信を持っている。例え、他の者達の放つ矢が届かない状況でも、二人を射抜(いぬ)く自信が有った。『()ぐに決着を着けてやる』そう強く思った、
 双方一斉に矢を放った。貞盛(さだもり)の矢が一瞬早く放たれ、続いて互いの矢が飛ぶ。
 風に逆らった将門方の矢の勢いは弱く、貞盛(さだもり)らの矢は疾風(はやて)の如く走った。
 しかし、将門には、何故(なぜ)か飛んで来る矢が良く見えた。風に乗って走っているはずの矢が、何故かゆっくりと飛んで来る。全てがはっきりと見える。まるで、己が神にでもなったような心地に、将門は浸っている。そして、将門は余裕を持って飛んで来る矢を払った……

 漆黒(しっこく)


 …………


 漆黒と静寂の世界。それが突然、轟音と目映(まばゆ)い光の中に変わる。
 ゴーと言う耳をつんざくばかりの轟音。何もかもが、下から上に、凄まじい勢いで吹き上げられて行く。
 いや、違う。吹き上げられているのは将門自身だけだ。遥か下に数百の人影が見える。太刀を振り上げている武者の(かぶと)(ぬし)は、確かに秀郷(ひでさと)
 その前に横たわっている武者の(よろい)は……
 ————幼い君香(きみか)が『遊ぼ』と手を差し延べて来る。
 ————出世の望みも何も無い若者達が、愚痴を(こぼ)しながら、酒を食らっている。
 ————目映(まばゆ)いばかりの、錦糸、銀糸の衣装を身に纏って(きざはし)の上に立つ忠平(ただひら)。その遥か下で、土に両手を突いて見上げる男。……それは己自身。
————父、母。そして、国香(くにか)良兼(よしかね)、良正。……伯父達の顔が次々と現れ、そして、消えて行く。
——— 恨めしげに見詰める源護(みなもとのまもる)の目。他にも無数の顔が現れて、漂っている。何を思って生きてきたのか、どんな家族が居たのか、それすらも知らず、ただ、数としてのみ存在した雑兵(ぞうひょう)達の顔か。
————(まみ)えたことも無い(みかど)の姿は、遥か彼方(かなた)朧気(おぼろげ)である。
————憎っくき奴、許せぬ男であったはずの貞盛(さだもり)。『もう一度、笑って話したかったな』

 >>>>>(すべ)てが消えた。>>>>>

 ——————————◉無◉————————


 天慶(てんぎょう)三年(九百四十年)二月十四日夕刻。朝廷を震撼させた男が、遂にその生涯を閉じた。(たいらの)小次郎・将門(まさかど)。享年不祥……。野本の戦いから五年。新皇(しんのう)を称してより、(わず)か三ヶ月足らず後のことであった。
 武家政権への先駆けとも、逆に『朝敵は滅びる』と言う社会通念を醸成し、武家社会の到来を遅らせた男とも評される。


 数日後、将門終焉(しゅうえん)の地に立ち、(きょう)をあげる一人の僧の姿があった。
 僧は笠の前を上げて当たりを見回す。将門の遺体は勿論のこと、雑兵(ぞうひょう)達の遺体に至るまで既に片付けられている。
 黒く変色した血の跡は数多く見られるが、物と言えば、折れた矢などが散乱しているばかりで、形の整った物は何一つ残っていない。恐らく遺体が片付けられる前に、数知れぬ野盗や戦場稼ぎの民達が現れて、武器は勿論のこと、鎧兜(よろいかぶと)から、衣服に至るまで(ことごと)く持ち去り、裸の遺体は荷車に積み上げられ、何処(いずこ)かに運び去られ、主だった者の首を除いた多くの遺体は、大きな穴に放り込まれて埋められるのか、或いは、積み上げられて火をかけられたのだろう。今も、悪臭のみが鼻を突く。
(いず)れにしろ、(いくさ)はこの世の地獄だ』と僧は思った。

 寺に戻ると僧は本尊の後ろに隠してあった頭陀袋(ずだぶくろ)を持ち出して来て、口を開く。中には、かなりの量の木簡(もっかん)(ひも)で繋げたものが入っている。  
 木簡の束を引っ張り出すと、一旦繋いでいる(ひも)(ほど)き、幾つかの木簡の束を間に挟んで結び直す。
 足した木簡は、
()んぬる天慶元年、六月中旬を以て、京を下るの後、官符を(いだ)きて相糺(あいただ)すと(いえど)も、(しか)(くだん)の将門は(いよいよ)、逆心を施して、(ますます)暴悪を()す』
との文章が書かれたものである。
 同じ様にして僧は、数ヶ所に木簡の束を挟んで繋ぎ直して行くのだが、その(いず)れの部分にも、将門を悪人と(ののし)った文章が書かれている。僧の名は円恵。四郎将平(まさひら)の師であった男だ。将門の戦いの経緯を、将平(まさひら)や他の者達からの聞き取りを元に記録して来た。これを持って都に(のぼ)ろうと思っているのだが、調べられた時のことを考えて、将門を悪人として(ののし)る部分を挟み込もうとしている。調べられた時一味と見られることを避け、また、木簡を没収されることを避ける為の対策として考えたことだ。紙に起こす機会があれば、その部分は除く積もりだ。
 円恵自身、決して安全な身では無い。断りはしたが、将門から側近として(つか)えるよう言われたことが有り、忠平(ただひら)への決別を表した上奏文も清書している。それが突き止められていれば、当然、円恵にも捕縛の手が伸びよう。だから、少しも早く坂東を逃れて都に(のぼ)りたいと思っている。しかし、気に掛かるのは将平(まさひら)のことである。
 将平は、将門の新皇(しんのう)僭称(せんしょう)に反対し(たもと)を分かったとは言っても、朝廷側から見れば朝敵・将門の身内に過ぎない。情状の扱いなど受けられる訳は無い。成人の兄弟であれば、一族誅殺が定法であり、その対象に含まれていることは間違い無い。
 唯一、助ける方法としては、頭髪を剃り僧体とさせた上、密かに坂東を脱出させて比叡山に入れてしまうことしか無いと思われた。そう出来れば、朝廷とて手が出せなくなる。
 だが、将平(まさひら)の行方は知れない。
『自分を頼って、密かに会いに来てくれれば何とか出来る』
 それが、円恵が直ぐに逃亡せず、危険を冒して寺に残っている理由である。

        ー完ー
参考:.
常平太郎(じょうへいた)とは、『常陸国(ひたちのくに)の住人・(たいらの)・太郎』を縮めた言い方。
・同じように、藤太(とうた)は、藤原太郎(ふじわらのたろう)を縮めたもので、藤原太郎(ふじわらのたろう)平太郎(たいらのたろう)は大勢居るので、頭に地名を付けたりする。
・秀郷は俵藤太(たわらのとうた)と呼ばれたが、”俵“がどこから来ているのか諸説有る。
・将門が小次郎なのは、腹違いの兄・二郎が存在し、将門を三郎とはしないで“小次郎”とする何らかの理由が存在したのかも知れない。

◉あとがき
 『新・将門記』何とか完稿させて頂きました。
 アクセス頂いた方々に心から御礼申し上げます。
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