第44話 天命 1

文字数 4,364文字

 上野介(こうづけのすけ)藤原尚範(ふじわらのひさのり)を追放した将門だったが、翌日は、国衙(こくが)を囲ませたまま動かず、国司舘(こくしやかた)に籠ってしまった。
 晴れ晴れとした気持で下野(しもつけ)に軍を進め、下野守(しもつけのかみ)を追放し、秀郷(ひでさと)(くだ)って来た。
 この上野(こうづけ)に於いても、既に受領(ずりょう)は追放し印鎰(いんやく)も手中にしている。後は国衙(こくが)を開かせ、追い払う者と従う者を選別すれば良いだけである。
 立て籠もっているとは言っても、指揮官も居ない烏合(うごう)の衆。力攻(ちからぜ)めすれば、すぐにも決着は着く。気抜けする程あっさりとことは運んでいるのだ。
 切羽(せっぱ)詰まって謀叛に踏み切った後は、何も考えずに済んだ。必死に、ただ前を向いて駆けていた。だが、坂東占領の見通しも見えて来た今、ふいに、将門の心に何とも言えない不安感が沸き上がって来た。振り切ったはずの『謀叛人』と言う言葉の響きが、やはり、心に重く伸し掛かって来る。
 謀叛の道を突き進んでいる現実とは乖離(かいり)した心の叫びが奥深いところで渦巻いており、時々顔を出す。
『麿はそんな人間では無い!』
と突然叫び出したくなる。
『一時坂東を支配し、誰もが喜ぶ(まつりこと)をこの坂東の地で行い、都の(みかど)に、そのような(まつりこまと)が出来ることをお見せしたい。そして、日本(ひのもと)(すべ)てがそのように成ることをお願いしたいと思う』
 それは、ただの願いであり、朝廷が理解を示すなどと言うことが起こり得ないことは、その言葉が口から出た瞬間には、既に悟っていた。しかし、その心の重さに耐え切れなくなってしまったら、従っている者達を裏切ることになり、見放されてしまうことだろう。もはや、引き返す道は無い。心を強く持たねばならないのだ。
『大陸では、唐皇室とは無縁の耶律阿保機(やりつあぼき)という男が、己の力ひとつで契丹(きったん)と言う国を(おこ)し、皇帝と成ったと言う。麿は皇孫である。坂東くらい治めて何が悪い。良き(まつりごと)を行えば良いのだ。それで坂東の者達が喜ぶなら、恥じることなど何も無い。
 豊かな坂東を作り上げさえすれば、後の世の者達は、もはや『謀叛人』などとは呼ぶまい』
 そう気持ちを立て直した将門だったが、気になる相手、心の中で無視出来ない存在が有った。旧主・藤原忠平である。忠平が自分を買っていてくれていたことは分かっていた。申し訳無いと言う想いが正直有った。
 将門は忠平(ただひら)宛ての書状を(したた)めた。前半には言い訳めいた、謀叛に至る事情を(しる)すも、締め(くく)りとして「伏して家系を思い巡らせてみまするに、この将門は(まぎ)れも無く、桓武天皇の五代の孫に当たり、この為、例え永久に日本の半分を領有したとしても、(あなが)ちその天運が自分に無いとは言えますまい」
と居直り、忠平への決別を宣言した。
 将門は、将平(まさひら)との縁で帯同していた僧・円恵を呼び、忠平宛ての書状を清書させた。将平の学問の師のひとりだが、小さな寺の住職で、決して高位の僧では無い。下総(しもうさ)に於いては達筆として名が通っている僧だが、元は京で官職に就いていたらしい。しかし円恵自身は、決して(かつ)ての身分や過去を明かすことは無かった。
 余程のことが有って、官職を捨て仏門に入り、色々有った末、坂東くんだりまで流れて来たのであろうと思う。
 将門は常陸(ひたち)に於いて幹部を任命するに当たり、円恵を相談役に迎えようとした。しかし「その任に値する者では無い」と、将平(まさひら)を通じて辞退したい旨、申し出て来たのだ。しかし、将門は、重ねて円恵を招聘した。
「この(ふみ)に付いて、貴僧はいかが思われる?」
 忠平への決別の(ふみ)を示して、将門が円恵に尋ねた。
「拙僧は、ただ書写したのみ。お(やかた)様に何か申し上げる立場には御座いません」
と円恵は意見を述べることを拒んだ。
「そうか」
とだけ将門は言った。覚悟を以て書いたもの。仮に円恵に意見されたとしても、変えるつもりは無かった。忠平に宛てた(ふみ)を書くことに寄り、将門は拘りを完全に捨て去り、漸く本当の意味で心の整理を付けることが出来たのかも知れない。

 この(ふみ)が忠平の(もと)に届いたのは、それからひと月ほど後のことである。監視の目を掻い潜り、何とか京に潜入出来たとしても、謀叛人から時の権力の頂点に位置する太政大臣(だじょうだいじん)への手紙がそう簡単に届く(はず)は無い。使いの者は、殺されたか捕らわれたかしたのではないかと思われる。

 夕刻になり、興世王(おきよおう)玄茂(はるもち)が将門の(もと)を訪れた。
「お(やかた)様。常陸(ひたち)以来、慌ただしく、その(いとま)も御座いませんでしたが、もはや、本気でお(やかた)様に刃向かって来る者も見当たりませぬ。近くに八幡宮が御座いますゆえ、主な者を従えて、一度、戦勝祈願に参ってはいかがで御座いましょうか?」
 玄茂(はるもち)が、層将門を誘った。
「そうであるな。では、明日参ろう」
 将門自身も、最終的な覚悟が出来た以上、神仏に祈願し、士気を更に高めることが必要と思っていた。

 国衙の囲みは文屋好立(ふんやのよしたつ)に任せ、翌日、主立った者達を従え、将門は八幡宮を訪れた。 
 大きな神社では無い。手配してあったのか、宮司が出迎え、(うやうや)しく挨拶する。
 本殿に通され、宮司がお(はら)いをし、祝詞(のりと)を上げた後、ひとりの巫女(みこ)が現れ、手に鈴を持ち、楽太鼓(がくだいこ)に合わせて踊り始めた。
 巫女(みこ)はドン シャンシャンシャン ドン シャンシャンシャンと規則的なリズムに合わせて踊っている。
 将門は、最前列正面に胡坐(あぐら)を掻き、少々退屈げにそれを眺めていた。何か想いに(ふけ)り始めたのか、目は開いているものの巫女(みこ)の姿が、将門の意識から遠退(とおの)き始めていた。
 そんな時、突然鈴の音が止まった。気付いた将門が見上げると、鈴を持った右手を挙げたまま動きを止めた巫女(みこ)が、将門を見下ろしている。
『無礼な』そう思ったが、(とが)めるのも大人げ無いかと思いながら、巫女(みこ)の目を見返す。その眼が普通では無かった。将門に視線を投げながらも、焦点は遥か彼方(かなた)に結ばれている。
 突然大声を出した。
「吾は八幡大菩薩の使いなり! 火雷(からい)天神をして蔭子(おんし)平将門(たいらのまさかど)に天命を授ける。日本(ひのもと)の新しき(おう)となるべし」
 それだけ言うと巫女は、全身が痙攣したかの如く伸びあがり、そして倒れた。
 そこここから、
「お~!」
と言う声が上がった。将門は(いぶか)しげな顔をして興世王(おきよおう)を見た。
「なんじゃ? 今のは」
 そう尋ねた。
「見た通り、聞いた通り。天命に御座います」
 興奮気味に興世王が答える。
「八幡大菩薩が、菅原道真(すがわらのみちざね)公の霊魂を通して、お(やかた)様に、新しき(みかど)と成るべきこと命じられたのです。ゆめゆめ、お疑い召されるな」 
 歓喜の表情を見せたのは興世王(おきよおう)だが、神妙な表情でそう付け加えたのは、玄茂(はるもち)である。
「皆,下がりおれ!」 
 そう言うと玄茂(はるもち)は、膝行(しっこう)一間(いっけん)ほど後ずさりし、それに連れて他の者達も慌てて下がった。
 将門が向き直って皆と対面する。
「麿が新しき(みかど)に…… ?」
 向き直って皆と対面する形になった将門が、そう言って皆を見回す。
数多(あまた)の臣に代わりまして、新しき(みかど)の誕生を寿(ことほ)ぎ、幾久(いくひさ)しい弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。 
 是にて、我等を始め小者に至る迄、何の憂いも無く、新皇(しんのう)様の新しき世作りの為、命懸けで働くこと出来まする。お目出度う御座います」
 声を張ってそう言うと、玄茂(はるもち)は床に着くほど低頭した。
『驚いた。玄茂(はるもち)殿、大変な役者じゃのう。見損なっておったわ』興世王(おきよおう)は腹の中で、そんな事を思っていた。
「お目出度う御座います!」
 まず、興世王(おきよおう)が声を上げ、それに続いて、他の者達も揃って唱和し頭を下げた。
 皆の晴れ晴れしい表情を見渡し『そうか。皆の心にも、謀叛人の三文字は、(とげ)となって突き刺さっていたのか』と将門は思った。

 国司舘(こくしやかた)に戻った将門は、翌十九日に本気で国衙(こくが)を開かせ、接収する旨宣言した。

 そんな将門を、将平(まさひら)が訪ねた。
「申し上げたき儀が有って参上しました」
 将平(まさひら)の用件は分かっていた。
(みかど)(くらい)と言うものは力ずくで争い取るべきものではありません。昔から今に至るまで、天下を自ら治め、整えた君主も、祖先からその皇基(こうき)や帝業を受け継いだ帝王も、すべて是、天が与えたところであって、(ほか)から軽々しく(はか)り議することがどうして出来ましょうか。そのようなことをすれば、きっと後世に人々の(そし)りを招くに違いありません。是非思いとどまり下さい」
 例えどんな罰を受けようと、これだけは言って置かなければならないと言う気持ちが、将平(まさひら)の顔に溢れ出していた。
「争い取るのでは無い。天命が(くだ)ったのじゃ」
 将門は冷静にそう応じる。
「しからば、なぜ八幡大菩薩が、道真(みちざね)公の霊魂を通じて命じなされたのか?」
と将平は論争を挑むように問い掛けた。
「そのほうに申すのも釈迦に説法のようじゃが、八幡神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、即ち応神(おうじん)天皇の神霊であり、欽明(きんめい)天皇の世に初めて宇佐(うさ)の地に示顕(じげん)した皇祖神である。また、道真(みちざね)公の霊魂を通じたのは、今の朝廷は藤原北家に牛耳られており、その罠に嵌って無念の生涯を閉じられた道真(みちざね)公を天が哀れみ、神とされたからじゃ。蔭子(おんし)たるこの将門に、道真(みちざね)公に代わって藤原北家を倒せとの御託宣じゃ」 
 将門はそう返した。
道真(みちざね)公を神として(まつ)ったのは、祟りを恐れた京の公家(くげ)達で御座いますぞ。つまり、藤原北家そのものが、道真(みちざね)公を神として(まつ)ったのです。八幡神とはなんら関わり御座いません」
 将平(まさひら)はそう反論した。
「だが、火雷天神(からいえんじん)(*1)が、今や庶民の崇敬を集めていることは間違い無い。道真(みちざね)公の無念を晴らして欲しいという願望も強いものがある」
「全く筋が通りませぬ。誰が、そのような……」
 八幡神を利用しようとした例としては、()の悪名高き弓削道鏡(ゆげのどうきょう)がおるのですぞ、と言いたかったが、それを言ったら将門を本気で怒らせてしまうと思い、やめた。
「四郎。麿はこれ以上、そのほうと議論するつもりは無い。どうせ、口では言い負かされるであろうからな。だが、そのほうが何と言おうと、今の考えを変えるつもりは無いのだ」 
 その時、いつも将門の側に控えているが、普段口出しをすることは無い小姓(こしょう)伊和員経(いわのかずつね)が口を開いた。
「お舘様、口出しお許し下さい。(あやま)ちを、(あるじ)と争って迄も(いさ)める臣がおれば、その主君は不義を犯すことは無いと言います。世に『天命に逆らえば(たちま)ち災厄が降り、帝王に叛逆すれば即座に刑罰がその身に加えられる』と言い習わしております。どうか新天皇、将平(まさひら)様の諫言に心をお留めになって、よくよく思案を巡らされて御裁断をお下し下さいませ」 
員経(かずつね)、間違えるな。『天命に逆らう』のでは無く、天命に従うのだ。なぜ、麿を『新天皇』と呼びながら『帝王に叛逆すれば即座に刑罰がその身に加えられる』などと申す。天命に因り、反逆では無くなったのだ。麿は桓武天皇五代の蔭子(おんし)として帝業を継ぐ。 ……将平(まさひら)員経(かずつね)、そのほう達が案ずる気持ちは分かる。だが、もはや、進むべき道は決まっておるのじゃ」
 将平(まさひら)和経(かずつね)は暗い表情で互いに顔を見合わせた。


参考:
(*1)火雷(からい)天神
清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばれるようになった。
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