第29話 将門召喚状
文字数 2,066文字
忠平は悩んでいた。将門を使って坂東を安定させようとの考えを持っており、それを進めようとしていた矢先、間の悪いことに、貞盛 が将門を訴え出て来たと言う。貞盛 には追討令が出ているのだから、引っ捕らえてしまえば良いのだか、実際問題としては、そうも行かないのだ。
問題は次男の師輔 である。師輔 は、将門を用いることに反対であり、貞盛 の主 でもある。忠平は、師輔 の才気、力量を買っており、兄の実頼 を差し置いて後継者にしても良いと、内心思っているくらいなのだ。
しかし、将門の件に関しては意見が真っ向対立している。もちろん、師輔 が忠平の考えに対して、反論する様なことは無いのだが、遠回しに、考え直して欲しいと言う意思を伝えて来る。人望も有るので、太政官 に根回しして、将門を召喚すべしと言う意見が大勢を占めるよう工作することくらいは出来る男だ。だが、もし全員がそう述べたとしても、一言 で前言を撤回させるくらいの力を、忠平は持っている。
しかし、そうなって、師輔と決定的に対立するような事態になることは避けたいのだ。
『師輔に唯一欠けているものが有るとすれば、それは、清濁 併 せ飲む度量だ』忠平はそう思っていた。
そこへ飛び込んで来たのが、武蔵介 ・源経基 が、将門らの謀反を訴え出たと言う報告である。信じられないことではあるが、事の真偽を確認する必要からも、流石 の忠平を以 てしても、将門召喚を拒否することが出来なくなってしまった。
四月、師輔 から、太政官の地均 しが出来た(根回しが出来た)ので、将門の暴挙を訴え出るようにとの指示が有り、貞盛 は早速、訴状を奉 った。直 ぐに受理され、事実関係確認の為として、将門に対する召還状が出され、貞盛 を以 てして執行させることとなった。
三月中旬に上洛して以来、ひと月ほど待たされたが、貞盛 は将門召還状を手にすることが出来たのだ。
前年の承平 七年十一月に富士山が噴火し、大きな災害が有った。その為、この年、五月二十二日を以 て、天慶 と改元された。しかし、改元後も地震が収まることは無かった。
天慶 元年(九百三十八年)六月。
将門召還状を懐 に、貞盛 は坂東に戻った。だが、直接、将門に面会するのは危険と判断し、居所を秘した上、召還状が出ている旨を伝える手紙を小次郎に送って来た。
この事が、小次郎の怒りにまた火を点けた。
「好立 、太郎が坂東に戻っておる。こそこそと隠れ、寝言 を言って来おった。矢傷の礼をしたいであろう。捜し出して、麿の前に引っ立てて参れ」
文屋好立(ぶんやのよしたつ)に小次郎がそう命じた。下野国府 包囲事件後、押し掛けて将門の郎等となった男である。信濃 での戦で傷を負っていた。
「はっ。必ず捜し出して、たっぷりと礼をしてやります」
好立 は、早速、十人ほどの下郎を引き連れて、馬で駆け出して行く。
こちらは京の都。将門への召還状を出すことに同意せざるを得なくなった忠平だが、一方で、時を稼ぐと言う利点も出来た。
忠平は、経基 の訴えを真 に受けた訳ではなかった。だか、『謀叛』の訴えとなれば、本来早急に処置しなければならない案件となるはずだった。しかし、召喚状を出している訳だから、相手が貞盛 だろうと経基 だろうと、将門を呼び付けると言う手は既に打ったことになる。将門が出頭してくれば尋問し、経基 の言い分と付き合わせれば良いのだ。
貞盛 からの訴えに付いては、同族間の争いの流れを前回の審問からおおよそ把握しているから、将門側に一方的に非が有るとは思っていない。
次々と将門に対する訴えが出されたことは面倒だが、将門を使って坂東を安定させようと言う忠平の方針に揺るぎは無かった。
『待てば良いだけだ』忠平はそう思っていた。
上手 の手から水が漏れると言う言葉が有るが、正に、この時の師輔 がそうであった。ひと月経 っても、将門は出頭して来ないし、貞盛 からの連絡も無い。師輔 は、己 が失態を犯したことを悟った。召喚状は、貞盛 に託さず、直接、下総 守 宛に送るべきだったのだ。
貞盛 は下総 に入ることも出来ずにいるに違いない。忠平は鷹揚に構えているが、任された形になってしまっている師輔 は、結果を出さなければならないと思いながらも、この状況ではせっつくことも出来ないのだ。
忠平は尚も動かない。九月三日。師輔 は検非違使別当 に任じられた。
検非違使別当 とは検非違使庁の長官であり、検非違使を監督・総指揮出来る立場であるが、自身は検非違使では無い。分かり易く言えば、現代の国務大臣・国家公安委員長のように、別当に任じられるのは政治家である。
焦 りを忠平に見抜かれ『権限を与えてやるから、やってみろ』と忠平から試されていると師輔 は思った。
召喚状の行方を確かめなければならないが、貞盛 に預けたことが手落ちとなるので、届いているかどうか、国府に問い合わせることは出来ない。
師輔 は、まずは貞盛 の行方を探すことにした。
しかし、貞盛の行方は杳 として知れなかった。
参考:
◯藤原師輔 は、藤原兼家の父であり、大河ドラマ『光る君へ』の準主役・藤原道長の祖父に当たる。
問題は次男の
しかし、将門の件に関しては意見が真っ向対立している。もちろん、
しかし、そうなって、師輔と決定的に対立するような事態になることは避けたいのだ。
『師輔に唯一欠けているものが有るとすれば、それは、
そこへ飛び込んで来たのが、
四月、
三月中旬に上洛して以来、ひと月ほど待たされたが、
前年の
将門召還状を
この事が、小次郎の怒りにまた火を点けた。
「
文屋好立(ぶんやのよしたつ)に小次郎がそう命じた。
「はっ。必ず捜し出して、たっぷりと礼をしてやります」
こちらは京の都。将門への召還状を出すことに同意せざるを得なくなった忠平だが、一方で、時を稼ぐと言う利点も出来た。
忠平は、
次々と将門に対する訴えが出されたことは面倒だが、将門を使って坂東を安定させようと言う忠平の方針に揺るぎは無かった。
『待てば良いだけだ』忠平はそう思っていた。
忠平は尚も動かない。九月三日。
召喚状の行方を確かめなければならないが、
しかし、貞盛の行方は
参考:
◯