第27話 将門、武蔵に介入する
文字数 5,042文字
武芝からの調停依頼を受けた小次郎。武芝について調べてみると、国造の系譜を引く良吏であり、長年公務に精勤して評判の良い男である。
謗られるようなことは何も無いと言う。郡内の統治の名声は武蔵国中に知れ渡り、民衆の家には遍く蓄えが有るとのこと。
『他国のこととは言え、これは見て見ぬ振りは出来ぬな。これ程の人物がこの小次郎を頼ってきた以上、見過ごせば麿の名折れになる』
そう思った。小次郎とて、都から来る受領(*1)の搾取には腹立たしいものを感じていた。
小次郎は早速五十ほどの郎党を率いて武蔵に赴き、武芝と面談する。その途上、兵を率いて武蔵に入った将門の姿は、当然多くの者に目撃され、国府にもその報せが入っていた。
しかしこの頃には、将門の武名は武蔵にも轟いており、足立郡に出張っていた興世王と経基の二人は、将門が介入するとの報せを受けて凍り付くのみで、どう対処すべきか分からない。
将門は、落ち着いた動きで足立郡に向かっている模様と言う。
「見張れ! 見張るのじゃ。その上で、将門の動き、逐一麿に報せよ。決して手出しをしてはならぬぞ! 良いな。手を出すで無い!」
甲高い声で興世王はそう叫んだ。見ると経基の顔は蒼白に成っている。
将門の噂は二人の耳にも入っている。鬼のように強く、一旦敵に回すと相手が潰れるまで追い詰める、恐ろしい男だ。その将門が武蔵に入って来て足立郡に向かっていると言う。自分が何も知らない以上、武芝が呼んだに違いない。これは大変なことになったと興世王は思った。
「長官。京に早馬を出しましょう」
経基が真剣な表情で言った。
「早馬? 早馬を出して都に何を報せるのじゃ」
興世王がそう質す。
「もちろん、将門が兵を率いて武蔵に侵入して来たと報せるのです」
経基としては、当たり前の事を言っているつもりなのだ。ところが、興世王は妙な事を言い出した。
「将門が人ひとりでも殺したと言うのか? どこかを襲い火を放ったとの報せでも入ったか? ただ静かに進んでいるだけであろう」
と呑気な事を言っている。
「何か起きてからでは遅いでしょう。現に将門は、武蔵国司たる我等に何の挨拶も無く、兵を率いてこの武蔵に侵入して来ているのですぞ」
経基は興世王の物言いにムッとした。
それにに追い打ちを掛けるように興世王が更に詰めて来た。
「訴え出て、今回のこと持ち出されたら、武芝との揉め事を、何と申し開きするつもりじゃ。己の首を絞めるつもりか」
経基は尚も不服げな顔をして横を向いた。
「麿の下知に従えぬなら、舘に戻って蟄居しておれ」
”上司の命令に従えないのなら、謹慎していろ“と言うことだ。興世王としては、言うことを聞かせる為の脅しのつもりだった。
「分かり申した。では、そのようにさせて頂きます」
そう言い捨てると経基は郎等を連れてさっさと引き揚げてしまった。
上司で年長であるとは言え、経基は興世王を軽く見ている。王族の端に残っては居るが、興世王が五世であるのに対し、臣籍降下して臣下の身分となってはいても、自身が臣籍降下した一世源氏であるという誇りが有る。
経基祖父は帝、父は親王であるのに対して、興世王は、帝の血筋とは言っても五代の子孫でしか無いのだ。おまけに興世王は権守であるから、例え嫌われたとしても、正任の武蔵守が着任し、武蔵守に気に入られさえすれば、どうと言うことは無いと思っている。ひと儲けしようと誘って来たのは興世王の方だ。上司の命に仕方無く従っただけと言い訳は出来ると、経基は思った。
だが、今争っても得はないとの判断から、自らの郎等を纏めて、さっさと引き上げてしまった。
興世王は、将門の介入に付いて、
『将門と戦ったら命が無くなるかも知れない。それは絶対に避けなければならない。かと言って、今更武芝に詫びを入れるのは癪に障る。どうしたものか』
と考えていた。
やがて、将門が武芝と会ったという報せが入り、暫くして将門自身から文が届いた。
読んで見ると、まずは『国司の許しも無く兵を伴って武蔵に入ったことを詫びている。続いて、他意は無く、騒ぎを穏便に収めたいと思ってのこと』
と言い訳している。そして、
『この将門が立ち会うゆえ、武芝殿と腹を割って話し合って頂くようお願い申し上げる』
と結んであった。こちらに力が有れば『国司の許しも無く兵を伴って武蔵に入った。その部分だけを取っても十分追及出来る内容ではあると興世王は思った。
だが、下手に出てはいるが『この将門が立ち会うゆえ』の一言がどれ程の威圧感を持っているかを十分承知した上での文面である。
『この上は、少しでも有利な条件を引き出すしか無いか』と興世王は腹を決め、『お待ちしている』との返事を、使いに持たせた。
「皆の者、良う聞け! これから武芝が話し合いの為ここに参る。麿が命じた場合を除いて一切手出しはならぬぞ。分かったか?」
と兵逹に下知する。
兵達が「おう」と返事を返す。
「立ち合い人は、下総の住人・平将門殿じゃ」
興世王がそう付け加えた途端、兵達の間に一瞬の静寂が訪れ、続いてどよめきが広がって行く。
二刻(一時間)ほど後、彼方に二百ほどの人影が姿を現す。近付くに連れその姿がはっきりとして来た。
前に二人。武芝と将門であろう。将門は、鎧に身を固めているが、兜は被らず烏帽子姿である。武芝は、五十年配で、引き締まった体に浅黒い肌を持つ男だ。
狩衣の裾と袖口を絞って、胴丸のみを着けている。後に続くのは、将門の郎等達だが、全て乗馬で幟などは立てていない。
その後ろに、武芝の郎党達。最後に近隣の民達が徒歩で続く。
百歩ほどの距離に近付くと、一団はそこで止まり、将門と武芝、それに六人ほどの双方の郎等のみが興世王の方へ歩み寄って来た。
一旦止まり、将門と武芝のみが下馬し、徒歩で更に歩み寄って来る。六人の郎党達は、乗馬のまま、将門達二人が下馬した位置に控えている。
「武蔵権守・興世王様で御座居ますか? 下総の住人、平小次郎・将門と申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
小次郎はそう言って軽く頭を下げ、上体を少しだけ前に傾けた。鎧を着けているので、深々と腰を折ることは出来ない。
言葉遣いは丁寧だが、無位無官でありながらその表情は、従五位下・武蔵権守である興世王を恐れる様子も憚る様子も微塵も無く、自信に満ち溢れている。
興世王は、直ぐ後ろに乗馬のまま控えている将門の郎等達に視線を移した。顔の表情は無いが、いずれもギラギラした目をしている。
例え相手が皇族であろうが国司であろうが、将門の命が有れば、何の躊躇いも無く斬り殺すことが出来る者の目だ。
更に先に目を移し百歩ほど先に待機している郎党達に目を移すが、隊列を全く崩さず、全ての者がしっかりとこちらに顔を向けている。
『国衙の兵共とはえらい違いじゃ』
と興世王は思った。そして、将門の今の実力はどれ程のものだろうかと考えた。
集められる兵の数は三千か四千か? この揉め事を収めたとなれば、更に武名を轟かせることになるだろう。『味方にして置けば使える』そんな考えが浮かんだ。
「権守・興世王じゃ。命の武名は、京でもこの武蔵でも聞いておる。会えて嬉しいぞ」
と、国司の威厳を保ちながら言った。
「恐れ入ります。早速ですが、此度のこと……」
と言い掛ける将門を制して、
「ああ、皆まで申すな。都にも名を轟かせている平将門殿が間に入ったとなれば、顔を立てぬ訳には行くまい」
そう言って笑顔を作る。そして、
「接収した物は全て返し、兵は直ぐにも引き揚げる。検注は、正任の国守が赴任して来てからに致そう。それで良いか? 武芝」
と続けた。余りにあっさりと興世王が譲ったので、武芝は唖然とし、また、本心を疑った。
「そうして頂ければ何よりで御座いますが、それで宜しいのですか?」
と念を押す。
「良い、良い。……ただな、麿は武蔵権守じゃ。体面も有る。国府に抗ったことへの詫びだけ入れてくれぬか?」
顔を近付けて来て、声を落としてそう言った。武芝には、興世王が何を求めているのか判断できなかった。黙って将門の顔を見た。
将門の手前譲ったものの、念書でも書かせ、将門が去った後、その文書を楯に言い掛かりを付けて来ようとしているのではないかと思ったのだ。
「その詫びとやらは、文書ですか? 口頭ですか? それとも何かを出せということですか?」
と将門が厳しい目付きで、興世王に問い質した。
「う? ……いや、文書がまずいなら、うん、口頭でも良いぞ」
何を誤魔化そうとしているのか、興世王は曖昧な事を言う。再び、武芝と将門が目を合わせた。
少しの間が有り、やがて武芝が黙って頷いた。そして二歩ばかり後ろに下がると地に座った。深く頭を下げ、
「此度は、国府に抗うような真似を致し、誠に申し訳御座いませんでした。にも関わらず権守様の深いお情けにより、我等の願いお聞き届け頂きましたこと、誠に有難く思っております。厚く御礼申し上げます」
竹芝張りのある大きな声が響く。その声は国府の兵達全ての耳に届いた。
元々興世王らが一方的にしたことであり、武芝に何ら落ち度は無いのだから、謝る理由など無い。その上、奪った財を返して、検注を中止し兵を引き揚げると言っても、焼き払った住まいや田畑に対する補償が得られる訳でも無い。だが、それは現代の目で見た考えであり、この時代の感覚としては、武芝側の全面勝利に等しい。
己が頭を下げるだけで良いのなら、興世王の顔も立ててやらねばならないと思ったのだ。
「良う為さったな、武芝殿」
将門が竹芝を労う。
「いや、これしきのことで収まるなら安いものでござる。将門殿、有難う御座った。この恩は終生忘れませぬ」
興世王に頭を下げた後、竹芝は将門の方に向き直って、深く頭を下げた。
「目出度い。手打ちじゃ。武芝、将門殿、祝おうぞ」
興世王が陽気に声を上げる。それが何か不思議ではあったが、小次郎は自分が仲介して事が収まったことに満足していたし、武芝は、災難が去ったことにほっとしていた。
「権守様。麿からも御礼を申し上げます。したが、この将門が仲介しての手打ち、努々お忘れなさいませぬようお願い申し上げます」
小次郎は、そう釘を刺すのを忘れなかった。
「ほほっ。麿は、将門殿の顔を潰すような真似は死んでも致さぬよ。これ、誰ぞ国衙に走り、急いで宴の用意をさせよ!」
興世王がそう命じる。
「国衙で宴ですか?」
将門が怪訝そうに聞いた。
「成行きでこうなってしまったが、麿とて争いを好む者では無い。将門殿の仲介で目出度く手打ちとなったことは、武蔵に取っての吉報じゃ。いや、目出度い目出度い」
そう将門に答え、兵らに向かって、
「皆の者! 今より武芝と将門殿は麿の客じゃ。いささかなりとも無礼が有ってはならぬぞ!」
と声を上げた。
興世王は何故か一人舞い上がっている。『まさか、国衙に誘い込んで討つつもりではあるまいな』と小次郎は思ったが、ここで尻込みすれば足許を見られる。『この男にぴったりと着いて、異変があれば真っ先に叩き斬る』と決めて腹を据えた。
小次郎の心配を余所に国衙での宴は、何の問題も起こらず盛り上がった。
小次郎の周りだけで無く、その郎党達の周りにも、武勇伝を聞きたいと国衙の者達が輪を作り、国府の官吏と武芝の郎党達も拘り無く酒を酌み交わしている。
異変は国衙以外の場所で起こった。舘の中で飲んでいたのは主だった者達だけで、兵達は酒をあてがわれて外で飲んでいた。その中の一団が、経基の郎党や従者達が居ないのに気付き、せっかくの祝い酒だから迎えに行こうと、経基の舘に向かったのだ。
元より、興世王と経基が諍いを起こし、経基が腹を立てて舘に戻ったことなど兵逹は知らない。大勢でわあわあ騒ぎながら経基の舘に押し掛けた。
ところが、なぜか急いで門を閉ざした形跡が有り、酔った兵達が代わる代わる門を叩いても一向に開けようとしない。
実はこの時、経基は襲撃されたものと勘違いし、国司館の裏から逃げ出し、一旦、比企郡に有った私邸に戻り、そのまま京に向けて逃走していた。
そして経基は『興世王と将門と武芝が相計って謀叛を起こした』と朝廷に訴えたのだ。
参考:
受領とは、実際に現地に赴任する国司の最上位の者である。通常、国守であるが、親王任国や兼務の国司が遙任と言って現地に赴任しない場合などは、介が受領となる。
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