第21話 包囲

文字数 3,234文字

 貞盛(さだもり)秀郷(ひでさと)に出した使いが戻って来た。
国府(こくふ)(*1)の秀郷(ひでさと)様の(やかた)(もぬけ)(から)です。辺りで聞いてみると、殆どの郎等を連れて佐野に引き揚げたようです。
 留守居の者は(わず)かに残っているようですが、堅く門は閉ざされています」
 使いの者は貞盛(さだもり)にそう報告していたのだが、横から口を出したのは良兼(よしかね)だった。
「何! 秀郷が尻尾(しっぽ)を巻いて逃げたと申すか? ……いや、佐野に戻って兵を集めようとしているのかも知れぬな」
「どちらでも御座いますまい。秀郷殿は、それでなくとも朝廷から目を付けられています。他家の()め事にかかずり合って、朝廷が介入して来る口実を与えたくは無いのでしょう」
 貞盛(さだもり)がそう説明した。

 そうこうしているうちに、遠くに(のぼり)が見え、近付くと『(つな)ぎ馬』の文様が確認出来、やがて将門の騎馬隊が姿を現した。
 良兼方の兵は、もう歯止めが利かない。逃亡兵が加速度的に増えて行く。放置すれば、軍は崩壊する状況である。
「ひとまず、下野(しもつけ)の国府まで退()く! 続け者共!」
 良兼(よしかね)は、そう叫ぶと同時に馬の腹を蹴って駆け出していた。仕方無く貞盛(さだもり)も続く。 
 真岡(もうか)を抜け東山道(とうさんどう)に至ると左折し、真っ直ぐに下野国府(しもつけのこくふ)を目指し逃げる。

 最初、少しだけ躊躇した小次郎だったが、一旦、国境(くにざかい)を越えると、何の迷いも無く良兼(よしかね)らの軍を追撃して来た。
 貞盛(さだもり)が走りながらちらりと見ると、(かぶと)の間から見える(まもる)の顔が苦悩に歪んでいる。恐らく、あの野本の戦い後の惨劇が甦っているのだろう。将門に一矢(いっし)(むく)いることが出来ずに逃げる己の姿を、どれほど情け無く思っていることか。その気持ちは、貞盛(さだもり)にも痛いほど分かった。

 連合軍はひたすら逃げ、その間にも逃亡兵は続出し、国府を目の前にした時には既に千人足らずしか残っていなかった。良兼(よしかね)は、そのまま国衙(こくが)(*1)に駆け込んだ。

 門前に出て警備していた国衙の兵達は、最初止めようとしたが、その数と勢いに押されて、()ぐに両側に開き、道を空けた。九十メートル四方程しかない築地(ついじ)塀で囲まれた国庁域の中に千人余りの兵が雪崩れ込んで来たのだ。押し合い()し合いし怒号が飛ぶ。
「ええい! 静まれ、静まれ~っ! ここは下野(しもむけ)国衙(こくが)だ。迷惑を掛けてはならん。静まれ~っ!」
良兼(よしかね)が怒鳴ったが、既にこれ以上の迷惑はあるまい。
 下野守(しもつけのかみ)大中臣完行(おおなかとみのまたゆき)が飛び出して来た。
「これは何事か!」
 良兼(よしかね)が慌てて下馬し、走り寄る。
「これは、下野守(しもつけのかみ)殿。ご迷惑をお掛けして申し訳も御座いませぬ。使いの者を(もっ)てお願い申し上げた通り、やむを得ぬ仕儀(しぎ)により、お膝元をお騒がせ致す」
 そう挨拶した。
「待たれよ! 麿は何も了承してはおらぬ」
 下野守(しもつけのかみ)はそう主張した。
 見ると、使いに出した郎等が、完行(またゆき)の後ろで、良兼(よしかね)に向かって土下座している。交渉は不首尾に終わっっていたらしい。
「恥かしながら、ここにおられる前常陸大掾(さきのひたちのだいじょう)源護(みなもとのまもる)殿の子息らを殺し、焼き打ちを掛けた不肖の甥・将門を討とうとして不覚を取り申した。ひと時逃げざるを得ぬことと相成りましたが、ひとまず、休息を取らせては頂けまいか? その上で反撃に移る所存」
 呆れた言い訳に、下野守(じつけのかみ)大中臣完行(おおなかとみのまたゆき)は苦り切った表情を見せている。
「将門は暴虐の(やから)。麿からもお願い申す。何卒(なにとぞ)(かくま)い下され」
 源護(みなもとのまもる)が、そう口添えをした。
「迷惑じゃ。早々にお引き取り願いたい。そもそも、身内の争い事をこの下野(しもつけ)に持ち込むとは、如何なるお考えか? 野本のことも、(まもる)殿の方から仕掛けたものと聞いておる」 
 完行(またゆき)退()かない。困った良兼(よしかね)が門の外に目をやると、そこには既に将門軍の姿が有った。
何卒(なにとぞ)! 何卒、門を閉めて下され」
 外を見た大中臣完行(おおなかとみのまたゆき)の目にも動揺が走った。
「門を! 門を閉めよ!」
 完行は、そう怒鳴った。
 門が閉じられ、良兼(よしかね)軍も下野守(しもつけのかみ)完行(またゆき)を始めとした国衙(こくが)の役人達も、外の様子に聞き耳を立てた為、辺りはしんと静まった。

 やがて、将門の声が響く。完行(またゆき)は兵達を搔き分け、南門に近寄った。
「国庁にも下野国(しもつけのくに)にも、害を及ぼすつもりは毛頭御座らん。良兼(よしかね)、良正、貞盛(さだもり)(まもる)の四名をお引き渡し下されば、早々に引き揚げます。不作法は幾重(いくえ)にもお詫び致すゆえ、曲げてご承諾願いたい」
 将門は大声でそう述べた。完行にすれば『はいそうですか』と引き渡す訳にも行かない。
 千人の兵が入っているのだ。将門に引き渡そうとすれば、逆に、良兼(よしかね)らに殺されてしまうかも知れない。
窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)()らば…… の例えも有る。頼って来た者を、ただ引き渡す訳には行かん。国衙(こくが)を囲むなど、不埒(ふらち)千万(せんばん)。貴公こそ早々に引き揚げられよ」
 下野守(しもつけのかみ)完行(またゆき)はそう突っ張ったのだ。

 少しの間、返事は無かった。やがて、
「それならば、西の門を開いて良兼(よしかね)らの軍を外にお出し下され。手出しは致さん。その者達が去るのを見届けたら、我等も引き揚げ申す。
 元より、国守(くにのかみ)様始め、下野国(しもつけのくに)に対して無法を働く存念は毛頭御座いません」
と将門は妥協案を提示して来た。良兼(よしかね)らの軍を国衙(こくが)から出させるが、下野守(しもつけのかみ)の顔を潰すような真似はしないと言うことだ。
下野国内(しもつけのくにうち)で再び争わぬと誓えるか」
 下野守(しもつけのかみ)大中臣完行(おおなかとみのまたゆき)がそう念を押す。
「お誓い申す」
 そう答える将門の声がし、完行(またゆき)良兼(よしかね)を見た。そして、
「西の門を開けよ!」
と国衙の兵に命じる。兵達が慌てて西の門を開いた。
「う……」 
と声を出した良兼(よしかね)だったが、最早(もはや)どうしようも無い。瞬時目を閉じ、覚悟を決めたのか、
常陸(ひたち)に引き揚げる! 者共、続け~っ!」 
と声を張り上げた。
 通り道が空けられて、将門軍が作る人垣の間を、良兼(よしかね)を先頭に連合軍が進む。ともすれば早足になりそうになるが、良兼(よしかね)は、(はや)る気を抑えて馬をゆっくりと進めた。
 みじめな気持ちに変わりはないが、せめてもの威厳を保とうと、胸を張って真っ直ぐに前を見詰めている。
 人垣の終わりに小次郎の姿が有った。良兼(よしかね)は目を合わせようともしないが、(まもる)は恨めしげに将門を見た。
 小次郎・将門は無表情に軍列を見ている。貞盛(さだもり)と小次郎の視線が合った。貞盛(さだもり)には小次郎が更に大きく見え、その姿は、京に居た時とは別人のように自信に満ちていた。
 貞盛の方から視線を外した。悔しさの中に、ほんの少しだけ、
『やはり(なれ)は坂東に生きる男なのだな』
と言う小次郎への想いが混じっていた。

 小次郎は約束通り追撃して来なかった。しかし、良兼らが去った後、下野守(しもつけのかみ)大中臣完行(おおなかとみのまたゆき)経緯(いきさつ)を詳しく語り、良兼(よしかね)に非が有る事を記録として書き残すよう依頼し、完行(またゆき)もそれを了承した。

 良兼(よしかね)は、常陸(ひたち)に入ったところで軍を解散し、上総(かずさ)には戻らず、常陸国(ひたちのくに)真壁郡(まかべごおり)羽鳥(はとり)(現・茨城県桜川市真壁町羽鳥)の(やかた)に向かった。
 そして、貞盛(さたり)は石田に、良正は水守(みもり)にそれぞれ引き揚げた。
 物見の報告に寄ると、良兼(よしかね)貞盛(さだもり)らが下野(しもつけ)から出た(しばら)く後、小次郎も下野(しもつけ)から常陸(ひたち)に入り、真っ直ぐ本拠地の下総(しもうさ)豊田(とよだ)に引き揚げたという。 

 数日、様子を見たが、将門に動きは無いとのことだった為、貞盛(さだもり)も軍を解いた。だが、今後、小次郎がどう出て来るかという不安は残った。 
 そんな不安な状態の中、九月になって、梨の(つぶて)だった朝廷から(まもる)に召喚状が届いた。当然、小次郎にも届いているから、弁明の為、都に(のぼ)らなければならないはず。
 当面、攻撃される危険が遠退(とおの)いたことになる。貞盛(さだもり)はほっとした。

 小次郎の上洛は素早かった。それに続いて平真樹(たいらのまさき)も上洛したという。しかし、源護(みなもとのまもる)はぐずぐずしていた。私君・源是茂(みなもとのこれしげ)からの報せで、不利な状況にあることが分かっていたからである。
 (まもる)は、今回、将門が下野(しもつけ)の国府を囲んだことを持ち出し、有利な裁定を得る為、関係する者達と口裏合わせを重ねていた。

参考:
(*1)
国衙(こくが)とは、
 律令制度(りつりょつせきど)(もと)で、国司(くにのつかさ)が地方の政治(せいじ)を行うために国ごとに置いた地方の役所のこと。
国府(こくふ)とは、
 国衙(こくが)が置かれた都市域(地区)のこと。 下野府中(しもつけふちゅう)と言えば下野の国府を指します。

◎今に例えれば、県庁と県庁所在地の関係ですね。国府は府中とも呼ばれ、その名称は今でも東京や広島に残っています。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み