第20話 強兵弱兵
文字数 3,764文字
良兼は、水守に集結して体制を立て直そうとした。だがそこに、平真樹の動きが慌ただしいという情報が入る。
途中襲って来た将門軍の百はすべて騎馬武者だった。『与力の土豪達やその郎等が混じっていたのは間違い無い。とすれば、その土豪達の兵を含めた歩兵がどこかに集結し、こちらに向かっているに違いない。水守に居ては、南北双方からの攻撃に備えなければならなくなる』そう考えた良兼は、良正の軍を併合して、貞盛の拠点である石田に向かった。
だが、物見から入る報せに寄ると、将門軍は思いの外早く北上を開始しており、しかも駆け着ける土豪達も増えていると言うのである。
既に敗軍のような雰囲気を漂わせながら石田に辿り着いた良兼の軍を見て、貞盛は落胆した。
「これは、軍などでは無い。烏合の衆だ。これでは、南から来る将門と東から来る真樹を同時に迎え撃つことなど無理だ」そう思った。
良兼も同じように感じていたのだろう。「軍勢を立て直す為、一旦、下野に退くことにする」と言った。
更に北上して、無関係な下野国に入ると言うのである。
「しかし、伯父上。勝手に下野に入るのはまずいでしょう」
貞盛が懸念を良兼に伝える。下野には藤原秀郷が居る。国府にも平気で逆らうような男だ。無断で軍など入れたら黙っているはずは無いのだ。
「下野守殿には、麿から使いを出し、事後の了承を得る」
良兼は上総の国司だ。国司同士の話として許可を取るから心配するなと言いたいのだ。
『しかし、下野に土足で踏み込むような真似をしたら、秀郷が黙っているはずが御座いません』
貞盛が強く指摘する。藤原秀郷は、国府の命に服さないため、国守が、近隣諸国の応援を得て捕縛しようとしたが果たせず、追討令まで出すも、遂に討つことが出来なかった男なのだ。
追討の官符が出ているにも関わらず、不思議な事に未だに健在で、下野各地に影響力を行使し続けている。国府は、何ら処分を行えないまま、見て見ぬ振りをしていると言って良い。
「秀郷にはそなたから挨拶の使者を送れ。それで良かろう」
なるほど秀郷は、貞盛の母の腹違いの兄、即ち叔父に当たる。だから、貞盛から挨拶して置けと言うのだ。
「しかし……」
余りに無茶な押し付けに、貞盛は腹が立った。
「何じゃ貞盛。秀郷が黙っておるまいと言いたいのか?」
「はあ……」
「そのほうの叔父であろうが。秀郷には甥であるそなたから筋を通せば良いであろう。なんとか致せ」
貞盛は憮然とし、良兼の意図を測り兼ねていた。
『そうか。下野に入ってしまえば、小次郎は追って来れまいと思っているのだな。戦う前から負けている。その上、秀郷まで怒らせたらどうするのだ』
そう思った。
言われて仕方無く秀郷に使いは出したが、その返事を待つことも無く、軍は常陸と下野の国境を越えてしまった。
良兼も兵達もほっとしている。いかに将門でも、下野にまで侵入して来ることは有るまいと思っていたのだ。
常陸、上総、下総は、高望流平氏が多くの領地を有している為、国境を越えるにしても、その垣根は低い。だが、下野となると、他人の家に勝手に入り込むような感覚となる。
良兼は軍の再編に取り掛った。だが、隊列を整え終わるのと、将門軍が姿を現すのとはほぼ同時だった。歩兵のみの前軍である。予想外に数は多い。
とは言っても、良兼、良正、貞盛の兵に加え、護の僅かな残兵をも取り込んだ連合軍に比べれば、六分の一以下でしかない。
将門軍は、やはり、国境の手前で止まった。良兼軍は盾を並べて攻撃に備える。
「小次郎の本隊が到着する前に、あの先鋒を叩いてしまおう。麿が行きます」
と良正が申し出た。
「麿も参ります」
貞盛も、そう言って進み出た。
「いや、待て」
と良兼は二人を押し留める。
「なにゆえ!?」
良正と貞盛が同時に声を上げた。
「下野には、入って来れまい。今、こちらから国境を越えて常陸に戻ってはならん。ここから動かず、矢合戦で痛めつけ、浮足立ったところへ総攻めを掛け、一挙に豊田まで追撃する。もそっと近付くのを待て。まだ距離が有り過ぎる」
余りに虫の良い作戦だ。貞盛は呆れた。
将門軍の動きが慌ただしくなった。伝令らしき者が走り回り、太鼓の音が鳴り響いたと思ったら、駆け足でこちらの矢頃に入って来た。
「来たぞ、構えよ!」
と良兼が叫ぶ。
将門軍は、次の太鼓で立ち止まると同時に、一斉に矢を放っていた。隊列は整然としており、且つ動きは機敏である。
一方、大軍である良兼軍の反応は鈍かった。矢を放つのが遅れたのである。周りの者がばたばたと倒れるのを見た兵達に、恐怖心が甦ってしまった。逃げ出そうとする者が、あちらに一人、こちらに一人。伝播することを恐れたのか、逃げようとする兵のひとりを郎党が斬り捨てた。それがいけなかった。斬られた兵の周りの者達が十人、二十人という単位で逃走し始めたのだ。
将門軍は、太鼓の音で立ち止まって矢を射ると、直ぐさま駆け足で前進し、鉦の音で又立ち止まり、太鼓の音でまた射掛けて来る。
良兼軍は、ばらばらに応射しながらも、ずるずると後退を始めた。
『騎馬武者なら兎も角、同じ農夫であるはずの歩兵に、何故これ程の差が有るのか!』
と貞盛は思った。その差は、質と訓練にあった。
軍を編成するに当たって、郎等逹の居並ぶ中、小次郎はまず、寄宿しているならず者逹五十人ほどを集めた。
「聞け! その方らは日頃喧嘩に明け暮れ、盗みを働いたり、中には人を殺して追われている者さえいる。にも関わらず、その方らを庇護して来たのは、一重にこの日の為である。命を省みず働け!」
そう叱咤すると、ならず者上がりの兵達も、
「お~!」
と一斉に声をを上げた。
「働きに寄っては、郎等に取り立ててやる。但し、好き勝手に動くことは許さん。麿若しくは、麿の命を受けた郎等の指図には絶対に従え。
命に背いた者は、例え大将首を獲ったとしても罰する。今まで、誰の命にも服さず、好き勝手に生きて来た者もおろう。他人の指図など受けずとも、手柄くらい立てて見せると思う者が居たら申し出よ」
小次郎がそう聞いた。
「お舘。吾は、憚りながら、今まで喧嘩で負けた事は一度も御座いません。郎等衆の指図など受けずとも、一番の手柄を立てて見せますぜ」
一人の男がそう嘯いた体の大きな如何にも悪党面をした男だ。
「そうか。それは頼もしい。これへ参れ」
男は、小次郎など恐れてはいないと言わんばかりに、肩を揺すりながら、小次郎の前に進み出た。小次郎と目が合っても、反らさない。
小次郎は、素早く太刀を抜き、いきなり、その男の胸を差し貫いた。ならず者逹にどよめきが走る。小次郎が男の体から太刀を引き抜くと、男は足元に崩れ落ちた。
「『命に背いた者は、例え大将首を獲ったとしても罰する』と、申したばかりだな。ところがこの男は、麿の言葉を真剣に受け止めなかった。こう言う者が一人でも居れば、戦いに敗れる。戦は喧嘩とは違う。軍全体が恰も一人の人間であるかのように、一糸乱れず動かねばならん。もし、己の左右の手足が、意に反してバラバラに動き出したらどうなる。それと同じこと。除かねばならん。他に、麿の下知に従えぬものもはおるか?」
今まで、薄ら笑いを浮かべていた者も含めて、ならず者逹に緊張が走る。誰もが、真剣な眼差しを小次郎に注いだ。
ならず者逹の表情を一渡り見回し、小次郎が続ける。
「汝逹それぞれに、十人づつの農夫を預ける。鉦、太鼓の音に合わせて素早く動けるよう訓練せよ。そして、麿の下知に従って動けば必ず勝てると繰返すのだ。
汝逹と農夫とは違う。農夫とは、麿も汝らも生きて行く為に必要な食い物を作る大事な者逹だ。殴り付けて言う事を聞かそうとしたり、まして殺すなど、絶対に許さん。
汝逹の中には、日頃、舎弟や配下の者を脅したり、殴り付けて言う事を聞かせている者も多かろう。どうだ。怒りを抑え、辛抱強く教える事が出来るか? 出来ぬ者は外す。出来るか出来ないかは見ている。口先だけでの言い逃れは出来ぬぞ。
郎等に取り立てる者は、単に強いだけでは無く、また、手柄を立てたと言うだけの者では無い。人を教え導ける者だ。だから、無理と思う者は申し出よ。今なら申し出れば罰したりはせぬ。単に外すだけだ」
三人が申し出て、辞退した。足りない分は郎等を当て、一人の小頭が十人の農民兵を率いる、総勢五百五十人から成るの歩兵団を作り、訓練を重ねたていたのだ。
実は、貞盛自身も、答は分かっていた。数は少なくとも、小次郎自らが普段から訓練を施している兵逹だ。何も分からないまま掻き集められた兵とは違う。その上、待ち伏せを受けながら、護の三人の息子達を討ち取り、護を凋落させた上、良正まで粉砕してしまった小次郎は、既に兵達に取っては英雄なのである。
自力救済が掟となってしまっている坂東では、強い者に従うことが、己が生き残る道だ。小次郎の軍には、必死に戦おうという機運が漲っている。京で梲が上がらなかったなどと言う、将門の過去に関心を持つ者は居ない。
貴種の出でありながら、農夫と一緒になって畚を担ぎ、田を耕す。下賤の者も分け隔てせず、気楽に話し掛けてくれる。
そんな小次郎の人柄が、やや誇張気味に兵達の共有するところとなっている。
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