第8話 臨戦
文字数 3,288文字
結局、国香 とはまた決裂したが、それは折り込み済みである。
「頼みもしないのに勝手に占有して置いて、掛かった費用を負担しろなどと、ふざけたことを抜かしおって、兄者、どうするつもりだ?」
憤懣遣る方無い三郎が、帰り道でそう息巻いている。
「無理難題を吹っ掛けて、こちらを悪者にしようと目論んでいるのだ。いくら話しても埒 が明くまい。向こうが腕ずくで横領したのなら、腕ずくで取り返すしかない。掛かった費用ばかり多く、収益は上がっていないなど大嘘だ」
小次郎が見方を説明する。
「ああ、そうに決まっている。で、何処 からやる? 石田からか?」
三郎は、もう実力行使を前提に、その手順に付いて相談を持ち掛けて来た。
「石田の伯父は、『話し合いをしようとしたが、無法にも麿が争いを仕掛けて来た』と言う筋書きを考えているに違いない。むざむざその手に乗る訳には行かない」
と小次郎が説明すると、三郎は、
「そんなこと、どっちでも良いのではないか?」
と反論して来た。
「いや、揉 め事が大きくなって、朝廷に訴え出られた時、こちらの言い分が弱ければ面倒なことになる」
忠平の従者 として長年京に居た小次郎である。直接関わってはいなくとも、地方の土豪同士の争いを忠平がどう裁いたかと言う事は、漏れ聞こえて来る。事の理非よりも、忠平の覚えのめでたさ、官職や立場などが裁きに大きく影響することを知っていた。
良兼は、現役の上総介 であるし、国香は現役の常陸大掾 である。訴え出られれば、無位無官の小次郎が圧倒的に不利な事は目に見えている。
敢えて有利なところを探せば、小次郎が忠平の従者 であった事くらいか。それも、末端の者を忠平が身内として考えるかどうかである。
例え忠平が好意的に裁いてくれるとしても、伯父達に圧倒的に非が有るとする客観的な状況を作って置かなければならない。
『石田の伯父の思惑は、多少のいざこざの後、麿が音 を上げたところで謝罪させて、事を有利に収めようと言うところだろう。
武射 の伯父なら、そんな駆け引き無しに、麿の姿を見ただけで勝手に仕掛けて来るだろう』
小次郎はそう考えた。
「兄者、争ってどの辺で妥協するつもりだ?」
事がそこまで大きくなる可能性が有ると知って、急に不安になった三郎がそう本音を漏らした。
「無条件で、全 ての私領を取り戻すまでに決まっておろう」
小次郎は飽くまで強気だ。
「出来るのか?」
と三郎が念を押す。
「何を、急に弱気になっておるのだ、三郎。麿が喧嘩に負けたのを、見たこと聞いたことが有るか? 無いだろう」
と急に聞いた。
「しかし、それは、童 の頃のことではないか」
戸惑って、三郎はそう言う。
「ふっはっはっは。人の性根 など、そう変わるものでは無い。都では、己 を殺して生きて来た。都とはそうせねば生きられぬところだったからだ。だが、そんな己が嫌で嫌で仕方なかった。しかし麿は今、坂東に帰って本来の自分を取り戻した。任せて置け」
心強い兄の言葉ではあるが、童 の喧嘩と同じと言い捨てる小次郎に、三郎は少し不安を覚えた。
数日後、郎等を引き連れて、小次郎は、良兼が占有している郷 に出向いた。
この時代、既に律令制の多くの部分が崩壊しており、私田、私領は多く存在する。そして、不入不輸の権(*1)を持つ公卿 や寺社の荘園と違って、土豪が開発した田畑には租税が懸かるのが建前である。
だが、自 ら上総介 、常陸大掾 という国司の立場に在 る良兼や国香が、そんなものを納めている筈は無いのだ。まず『租税も納めなければならぬし』と言うのは嘘に違いないと考えた。
郷 に入って事情を調べてみようと思い農夫を探すが、小次郎逹の姿を見ると隠れるようにして皆、姿を消してしまう。
小次郎は、この日は、経明 を初めとして、六人の郎等を連れている。三郎を含めて、総勢八人である。
小次郎逹は、郷中を見て回った。偶然か、誰かが報 せたからなのか、やがて、十人ほどの良兼の郎等逹が現れた。そして、小次郎逹を見付けると駆け寄って来た。
「豊田小次郎 だな。ここで何をしておる。早々に出て行け。殿の命 じゃ」
馬を止めて、先頭の者が居丈高 に言い放つ。
「ここは、元々我が家の所領。伯父上に指図される覚えは無い」
と小次郎はつっぱねる。
「聞かぬとあらば打ち払う」
そう言うと、先頭の男は弓を構えた。小次郎は太刀を抜き放った。仮に射られても、弓を構えているのが一人なら、矢を打ち落とす自信は有った。
その前に『この男に自分を射殺 す度胸は有るまい』と踏んでいる。
『追い払えと命じられてはいるだろうが、殺せとまでは命じられてはいまい。だとすれば、己 の判断で、主 の甥 を射殺 せるのか』
そう読むが、決して事態を甘く見ている訳では無い。射て来たら、矢を打ち払って、そのまま突撃する態勢を作っている。
小次郎は、右手に太刀を持ち、左手は手綱 を弛 く引いて若干腰を浮かし、両足は、馬の腹を蹴れる体勢を整えている。
矢張、良兼の郎等に、己 の判断で主 の甥を射殺す度胸は無かった。弓を下げて馬の鞍 に掛けると、太刀を抜いて突進して来た。
一瞬早く馬の腹を蹴っていた小次郎は、敵が太刀を振り上げる隙 に馬を寄せ、くるりと太刀を裏返し、峰で、相手の喉 の辺りを下から軽く打った。良兼の郎等は、もんどり打って落馬する。
双方の郎等逹は皆下馬し、落馬した男を挟んで向かい合う。落馬した際にどこかを打ったのだろう。落ちた男は、咳き込みながら、他の男に支えられてやっと立ち上がった。
皆、太刀の鞘 を払って構えてはいるが、良兼の郎等逹は、追い払えと命じられてはいるものの、命のやり取りをする覚悟まではしていない。
小次郎の郎等逹も、相手を殺そうとまでは思っていないが、仕掛けられても、一歩も退 かぬ覚悟だけは出来ている。
暫 しの睨 み合いの後、覚悟の差が出た。
「一旦退 け。戻って殿の下知 を仰ぐ」
良兼の郎等逹は、乗馬して引き揚げて行った。小次郎も追うことはしない。
「上手 く追い払えましたな、兄上」
三郎が愉快そうに笑った。
「気を引き締めねばならんのは、これからだ。はっきりと喧嘩を売った訳だからな」
笑いながらも、小次郎は三郎を戒める。
「武射 の伯父は、どう出てきますでしょうか? 当然、各所の見張りを厳重にして参りますでしょうな」
そう聞くと小次郎は、
「汝 の予測はその程度か? 麿が伯父上なら、大勢の郎等を動員して我が家を襲い、麿を捕らえることまで考えるぞ」
と言った。
「まさか!」
またしても三郎は驚く。
「そんなことも予測出来ぬようでは長生き出来ぬぞ、三郎。戦 とは何でも有りだ。”この辺までだろう“とか、“そこまではやるまい”と言う甘い見方が破滅を招くことが度々有るのだ」
小次郎の見込みは、三郎の想像を超えるものである。
「しかし、上総介 が下総 に勝手に兵を入れたりすれば……」
と三郎は常識的な見方をする。
「伯父上が下総守 とどの程度親しいのか、存じておるのか?」
「いや」
「もし親しければ、簡単に了承を取り付けることも出来るだろう。理由はいくらでも付けられる。いずれにしろ、喧嘩を売った以上何が有ってもおかしくはない。そう覚悟せねばならん。想定外のことが起こっても慌てぬだけの覚悟はして置けと言うことだ、良いな」
「分かりました」
三郎は表情を引き締めた。
「武器、人、食料。出来る限りの準備をしましょう。お任せ下さい」
小次郎の覚悟を見た経明 が言った。
「頼むぞ、経明。舘の守りも固めねばなるまい。しくじれば、我が家の明日は無い。三郎、見張りを追っ払ったくらいでいい気になっている場合では無いぞ、分かったか?」
「はい」
小次郎は舘に引き揚げ、郎等逹を集め、戦時体勢とも言うべき指示を、次々と与えて行った。
参考:
(*1) 不入・不輸の権とは
荘園 領主が国から認められた特権のこと。
不入 の権は、国の役人(検田使)の立ち入りを断る権利であり、不輸 の権は租税を納めなくても良い権利。
平安時代中期頃から,この権利を得た荘園領主(貴族や社寺)に土地を寄進する者が多くなり,特に政治の実権を握った藤原摂関家に荘園が集中した。
「頼みもしないのに勝手に占有して置いて、掛かった費用を負担しろなどと、ふざけたことを抜かしおって、兄者、どうするつもりだ?」
憤懣遣る方無い三郎が、帰り道でそう息巻いている。
「無理難題を吹っ掛けて、こちらを悪者にしようと目論んでいるのだ。いくら話しても
小次郎が見方を説明する。
「ああ、そうに決まっている。で、
三郎は、もう実力行使を前提に、その手順に付いて相談を持ち掛けて来た。
「石田の伯父は、『話し合いをしようとしたが、無法にも麿が争いを仕掛けて来た』と言う筋書きを考えているに違いない。むざむざその手に乗る訳には行かない」
と小次郎が説明すると、三郎は、
「そんなこと、どっちでも良いのではないか?」
と反論して来た。
「いや、
忠平の
良兼は、現役の
敢えて有利なところを探せば、小次郎が忠平の
例え忠平が好意的に裁いてくれるとしても、伯父達に圧倒的に非が有るとする客観的な状況を作って置かなければならない。
『石田の伯父の思惑は、多少のいざこざの後、麿が
小次郎はそう考えた。
「兄者、争ってどの辺で妥協するつもりだ?」
事がそこまで大きくなる可能性が有ると知って、急に不安になった三郎がそう本音を漏らした。
「無条件で、
小次郎は飽くまで強気だ。
「出来るのか?」
と三郎が念を押す。
「何を、急に弱気になっておるのだ、三郎。麿が喧嘩に負けたのを、見たこと聞いたことが有るか? 無いだろう」
と急に聞いた。
「しかし、それは、
戸惑って、三郎はそう言う。
「ふっはっはっは。人の
心強い兄の言葉ではあるが、
数日後、郎等を引き連れて、小次郎は、良兼が占有している
この時代、既に律令制の多くの部分が崩壊しており、私田、私領は多く存在する。そして、不入不輸の権(*1)を持つ
だが、
小次郎は、この日は、
小次郎逹は、郷中を見て回った。偶然か、誰かが
「
馬を止めて、先頭の者が
「ここは、元々我が家の所領。伯父上に指図される覚えは無い」
と小次郎はつっぱねる。
「聞かぬとあらば打ち払う」
そう言うと、先頭の男は弓を構えた。小次郎は太刀を抜き放った。仮に射られても、弓を構えているのが一人なら、矢を打ち落とす自信は有った。
その前に『この男に自分を
『追い払えと命じられてはいるだろうが、殺せとまでは命じられてはいまい。だとすれば、
そう読むが、決して事態を甘く見ている訳では無い。射て来たら、矢を打ち払って、そのまま突撃する態勢を作っている。
小次郎は、右手に太刀を持ち、左手は
矢張、良兼の郎等に、
一瞬早く馬の腹を蹴っていた小次郎は、敵が太刀を振り上げる
双方の郎等逹は皆下馬し、落馬した男を挟んで向かい合う。落馬した際にどこかを打ったのだろう。落ちた男は、咳き込みながら、他の男に支えられてやっと立ち上がった。
皆、太刀の
小次郎の郎等逹も、相手を殺そうとまでは思っていないが、仕掛けられても、一歩も
「一旦
良兼の郎等逹は、乗馬して引き揚げて行った。小次郎も追うことはしない。
「
三郎が愉快そうに笑った。
「気を引き締めねばならんのは、これからだ。はっきりと喧嘩を売った訳だからな」
笑いながらも、小次郎は三郎を戒める。
「
そう聞くと小次郎は、
「
と言った。
「まさか!」
またしても三郎は驚く。
「そんなことも予測出来ぬようでは長生き出来ぬぞ、三郎。
小次郎の見込みは、三郎の想像を超えるものである。
「しかし、
と三郎は常識的な見方をする。
「伯父上が
「いや」
「もし親しければ、簡単に了承を取り付けることも出来るだろう。理由はいくらでも付けられる。いずれにしろ、喧嘩を売った以上何が有ってもおかしくはない。そう覚悟せねばならん。想定外のことが起こっても慌てぬだけの覚悟はして置けと言うことだ、良いな」
「分かりました」
三郎は表情を引き締めた。
「武器、人、食料。出来る限りの準備をしましょう。お任せ下さい」
小次郎の覚悟を見た
「頼むぞ、経明。舘の守りも固めねばなるまい。しくじれば、我が家の明日は無い。三郎、見張りを追っ払ったくらいでいい気になっている場合では無いぞ、分かったか?」
「はい」
小次郎は舘に引き揚げ、郎等逹を集め、戦時体勢とも言うべき指示を、次々と与えて行った。
参考:
(*1) 不入・不輸の権とは
平安時代中期頃から,この権利を得た荘園領主(貴族や社寺)に土地を寄進する者が多くなり,特に政治の実権を握った藤原摂関家に荘園が集中した。