第38話 先駆け

文字数 4,852文字

 こちらは、都。
 坂東から馬を乗り継いで駆け付けた使いの者。息も絶え絶えで馬から転げ落ちそうになったのを、師輔(もろすけ)家人(けにん)二、三人が受け止めて水を飲ませる。
「これを、これを…… 中納言様に……」
 (ふところ)から取り出した書状を家人(けにん)のひとりに差し出す。
「一大事! 少しも早く、チュウ…… 中納言様に……」
 表書きの裏を返して見ると『武蔵守・百済王(くだらのこにきしの)貞連(さだつら)』とある。 
 家人は家司(けいし)(もと)に走り、「百済王貞連(くだらのこにきしのさだつら)殿からの急使。一大事とのことに御座います!」
と叫んで書状を渡す。

 家司はこんな時でも足音を立てず、摺足(すりあし)で小走りに師輔(もろすけ)の居室に向かう。
貞連(さだつら)より危急の報せに御座います」 
 師輔が(みずか)御簾(みす)を跳ね上げ(ひさし)に出た。そして、家司が差し出す(ふみ)を引っ手繰(たく)るように手にすると急いで開いた。
「う~む。抜かった。これほど早く……」 
 そう(つぶや)いた。
「何が起きまして御ざいますか?」
 内容が気になる家司(けいし)が聞いた。
「悪狐が野犬をけしかけおった。()ぐに出仕する。仕度いたせ!」
 師輔(もろすけ)は怒鳴るように命じた。

 同じ頃、太政大臣(だじょうだいじん)忠平(ただひら)(もと)にも同じ報せが届いていた。
「ええ~い。(たわ)け! 戯け! 大戯け者めが!」
 (ふみ)を叩き付け、将門に対する怒りと失望を(あら)わにして叫ぶ忠平に、家司は、まるで己が怒りの対象となって居るかのように身を固くしていた。
 まさか将門がこのような(たわ)けたことを仕出かすとは、忠平の思いの外であった。
無骨(ぶこつ)で気が()かぬ男。何かを企むような男では無い。ついこの間、謀叛の疑いを掛けられて弁明し、経基(つねもと)誣告(ぶこく)であることが分かって、濡れ(ぎぬ)を晴らせたばかりではないか。それが、今、なにゆえこんな真似を……』 
と思う。そして、一つの事に思い当たる。
「あ奴か!」
 興世王(おきよおう)である。その興世王(おきよおう)が将門の(もと)に転がり込んだと言う報せは受けていた。
『矢張り、すぐさま召喚すべきであった』
 そう後悔して、忠平は唇を噛んだ。師輔(もろすけ)の言うことが本当なら、将門を操るなど、興世王(おきよおう)に取っては赤子(あかご)の手を捻るに等しきこと。将門に最も近付けてはならぬ者であったのだ。
 時期も悪い。前伊予掾(さきのいよのじょう)藤原純友(ふじわらのすみとも)と言う男が海賊を率いて瀬戸内(せとうち)を支配し、都に圧迫を加えており、おまけに、四月以来、出羽(でわ)の秋田城に対する俘囚(ふしゅう)の反乱が続いている。朝廷はそれらの対策に苦慮していたのである。
 そこへもって来て、坂東で将門が謀叛を起こしたと言う。正に四面楚歌(しめんそか)、朝廷の危機とも言える状況なのだ。
 忠平は、己が判断を誤ったことを悟った。だが、太政大臣(だじょうだいじん)たる者、何が有っても己の判断の間違いを認める訳には行かない。
 参内(さんだい)すると、(みかど)に形ばかりの報告をし「御懸念(ごけねん)には及びません。じきに(しず)めますゆえ、御心(みこころ)安らかにおわしませ」
と自信たっぷりの様子で御前(ごぜん)を下がる。

 そして忠平は、左大臣である兄の仲平(なかひら)と大納言である長男の実頼(さねより)を呼び密談をす始めた。
「今、坂東に追討軍を送ることは出来ぬ。純友(すみとも)の動きを警戒せねばならぬからな。都の目の前じゃ。手は抜けません。
 坂東に付いては、火が燃え広がらぬうちに近隣諸国の国司共をして、(すみ)やかに将門を捕らえさせる。兄上、そのように議を決し、早々に奏上(そうじょう)するようお願い致します」
 太政大臣(だじょうだいじん)である忠平が、左大臣である兄・仲平(なかひら)に命じる。
「うん。その様に致そう。実頼手配致せ」
 忠平の(めい)を受けた仲平(なかひら)は、その儘、大納言・実頼(さねより)(めい)を伝える。 
 左大臣として、実頼(さねより)は、併せて公卿(くぎょう)、参議の招集を命じた。

 再び坂東の常陸(ひたち)。将門の坂東独立宣言は、人々の口を介し、あっと言う間に広がって行く。そして、普段から国府と対立していた土豪達を中心に続々と将門の(もと)へ駆けつける者達が集まって来た。
 これらの者と面談し、覚悟を(ただ)した上で取り込んで行くのは良いのだが、この雑多な者達を軍として編成して行く作業は並大抵ではない。
 じきに将門ひとりでは手に負えなくなった。まずは、司令部とも言うべきものを組織しなければならなくない。
 将門は興世王(おきよおう)と、すぐ下の弟・御厨三郎(みくりやのさぶろう)将頼(まさより)を補佐役とし、興世王(おきよおう)には戦略面を、将頼(まさより)には戦術面を補佐するよう命じた。
 それから、その人柄を見込んで、玄明(はるあき)の伯父・藤原玄茂(ふじわらのはるもち)を副将格として登用し、従来からの腹心・多治経明(たぢのつねあき)をその補佐に付けることにした。万一の場合の玄茂(はるもち)の監視役でもあることを経明(つねあき)に伝え納得させた。
 他には、郎等の筆頭格である文屋好立(ふんやのよしたつ)、弟である相馬五郎(そうまのごろう)将為(まさため)相馬六郎(そうまのろくろう)将武(まさたけ)を加えた。五郎、六郎の二人は、相模(さがみ)より駆け付けていた。
 軍の編成作業は将頼(まさより)玄茂(はるもち)経明(つねあき)に任せるが、最終的には将門の了承を得ることにより決することとした。
 日々集まって来る者達との面談は、興世王(おきよおう)好立(よしたつ)将為(まさため)将武(まさたけ)に任せた。しかしこれも、その日毎にまとめて将門自身が目通りし、必ず、直接声を掛けることにした。

 また、将門はその大綱(たいこう)を皆に示した。
一.坂東各地の受領(ずりょう)(みやこ)に追い返し、この地を支配下に置く。
一.公地・公田、荘園を接収し、その揚がりを(まつりごと)の為の費用に充てることにより年貢を軽くする。
一.(つわもの)達の領地争いに関しては、調整機関を設けて裁定し、(つわもの)同士の(いさか)いを無くし、その力を結集する。
一.坂東を支配下に置いたとしても、将門を始め上に立つ者達は質素倹約を旨とし、財貨は坂東と民の為にその多くを使い、決して奢侈(しゃし)に流されぬこと。
 以上のこと、皆の同意を得たい! 

 将と成った者達の間に少しの戸惑いが有ったのは、領地争いの裁定機関を設けると言うことについてであった。言うは(やす)いが、実際の運用となれば簡単には行かないことだ。下手をすれば、争いを(かえ)って拡大することにもなり兼ねない。 
「だが、実際の運用は先のこと、今は何より勢いを付けることが第一」 
と将門は皆に語り掛けた。そして、
 「承知!」
と一致した皆の答を得ることが出来た。

 ドタバタした状態が少し落ち着くと、将門は今述べた者達を集め、軍議を開いた。
「坂東の地から受領(ずりょう)共を追い出し、坂東に住まいおる者達の為の(まつりごと)を行うと決めたが、まず、どこを攻めるのが良いと思うか? 考えの有る者は遠慮無く申すが良い。麿には考えが有るが、皆の考えも聞きたい」
と皆に問う。
「宜しいかな?」
 早速、興世王が口を開いた。
「申されよ」
と将門が発言を許す。
「まずは、武蔵(むさし)を攻めるのが宜しかろうと存ずる」
との興世王(おきよおう)の進言に、将門が
「理由は?」 
(ただ)す。
「武蔵には武芝(たけしば)がおります。武芝は、足立郡(あだちごおり)をしっかりと抑えているばかりでなく、武蔵全体に影響力を持っております。そしてその武芝は、お(やかた)に恩を受けている身。早い段階で我が軍に加えることが肝要かと思います。
 ()ぐにでも駆け付けて来て可笑しくない武芝(たけしば)から、まだ何の連絡も有りません。或いは、武蔵の国府の厳しい監視の(もと)に置かれているのかと思われます、ことに寄っては、捕らわれてしまっていると言うことも、考えられます。だとすれば、少しも早く救い出し、お味方に加えることが必要と思います」
 興世王(おきよおう)は武蔵を優先的に攻める理由をそう説明した。 
「他に考えの有る者は?」
と問う将門に、
下野(しもつけ)を、まず攻めるべきかと」
 そう提案したのは御厨三郎(みくりやのさぶろう)将頼(まさより)である。
「なにゆえか?」
と将門が理由を(ただ)す。
下野(しもつけ)には藤原秀郷(ふじわらのひでさと)()ります。他を先に攻め、秀郷(ひでさと)に兵を集める(いとま)を与えてはならないと思います。そうなれば、秀郷(ひでさと)は、最も手強(てごわ)い敵となりましょう。秀郷(ひでさと)の機先を制して下野(しもつけ)を制することが最も大事かと」
 三郎将賴(まさより)下野(しもつけ)攻めを優先すべき理由をそう述べた。
「麿も三郎殿と同じ考えに御座います。この大事、成るか成らぬかは、下野(しもつけ)秀郷(ひでさと)を制することが出来るか否かに掛かっていると思います」
 平玄茂(たいらのはるもち)将頼(まさより)に同調する意見を述べた。
「三郎殿。麿はその頃、都に()り、噂に聞いただけではあるが、以前、お(やかた)良兼(よしかね)らを追って下野(しもつけ)に入った折には、秀郷(ひでさと)とやらは、尻尾(しっぽ)を巻いて逃げたと聞いておるが……」
将頼(まさより)興世王(おきよおう)(ただ)すと、将門が
「秀郷は麿を恐れて逃げた訳では無い。あの男なりの計算が有ったと、麿は思うておる。追討官符を跳ね()けた程の男だ。得にならぬ(いくさ)を避けただけであろう」 
と自分の見方を示した。
「麿も秀郷(ひでさと)を軽く見ることは危険と思います」
 文屋好立(ふんやのよしたつ)も、そう賛同する。
 「お歴々の意見良う分かり申した。やはり、ここは下野(しもつけ)をまず攻め、秀郷(ひでさと)を討つべきで御座るな」
 そう言って興世王は、あっさりと退()いた。
「皆に問う。なにゆえ秀郷(ひでさと)を討つべきと思うのか? 先程、興世王(おきよおう)殿が申した如く、伯父・良兼(よしかね)を追って下野(しもつけ)に入った際、秀郷(ひでさと)は麿に敵対することは無かった。そして秀郷(ひでさと)は、麿同様、追討を受ける身である。麿より先に謀叛を起こしていても可笑しく無い立場にあるのだ。むしろ、味方に付けるべきとは思わぬか? 手強(てごわ)い相手と言うことは、味方にすれば頼もしい者と言うことであろう」
 将門が、そう提案した。
「しかし、秀郷(ひでさと)が素直に兄上に従いましょうか?」
 三郎・将頼(まさより)が尋ねる。
「分からぬ。口先だけでは(らち)が明かぬであろう。
 麿の考えを申そう。まず、下野(しもつけ)に軍を進める。もし、秀郷(ひでさと)が刃向かって来れば戦わざるを得まい。しかし、麿に(くだ)ると申し出て来れば、もちろん受け入れる。静観したとすれば交渉の余地は有る。いずれにせよ、秀郷(ひでさと)の出方次第じゃ。
 時を(ついや)やしてはならぬ。体制が整い次第、下野(しもつけ)に攻め入る」
 将門が。皆にそう決する事を伝えた。
「分かり申した」
 それぞれが賛同の意を示す。
輜重(しちょう)の用意は?」
と、将門が尋ねる。
「はい。それが、皆、持ち去られて、国衙(こくが)の蔵は殆ど空に御座います」 
 五郎・将為(まさため)がそう答えた。玄明(はるあき)の扇動により、農民兵達が食糧を大量に持ち出し、消えてしまっていた。 
「そうか、出来る限りで良い。早々に集めよ。後は下野(しもつけ)で調達する。急げ」
と将門は指示した。

 そんな折、出陣を目前にして大問題が起こった。多くの者達が加わったことに寄り、互いに見知らぬ者も多くなり、管理体制が整わぬ間の(すき)を突いて、貞盛と為憲が脱走したのだ。将門は悔しがったが、幸いにして維幾(これちか)を逃すことは無かった。

 ここは常陸(ひたち)である。(かつ)て、貞盛(さだもり)の父・常陸大掾(ひたちのだいじょう)国香(くにか)に恩を受けた者が手引きをしたのかも知れない。将門に従うことを決めても、それはそれとして、人としての別の心情が働いた可能性も有る。
 貞盛(さだもり)為憲(ためのり)の逃走を助けた者が居ると言う確信は有ったが、それを(あぶ)り出すことを将門は避けた。その詮索をすることで兵達の間にお互いに対する不信感が醸成されることを恐れたのだ。
 それよりも、今は次なる闘いに向けて士気を高めることが必要と思った。

 天慶(てんぎょう)二年(九百三十九年)十二月十一日、坂東独立を目指す将門軍は、まず下野(しもつけ)に向けて進軍を開始した。それ迄にも、受領(ずりょう)に対してそれなりの抵抗を示す者は少なくは無かったが、土地も(たみ)(すべ)て朝廷のものであり、太政官(だじょうかん)から派遣される国司(=受領(ずりょう))がそれぞれの国を支配し、租庸調(そようちょう)を課すと言う、律令制度の原則は建前としては、まだ、意識されていた。しかしこれは、それを真っ向から否定し、土地を耕す者、(みずか)らがその地を支配することを宣言した初めての出来事となる。 
 坂東と言う限られた地域に於ける出来事とは言え、平安中期に、既に次の時代への萌芽が始まっていたと言うことである。

 実質的には律令制度の崩壊は、かなり以前から進んでいた。しかし、受領に対して抵抗はしたとしても、公然と制度そのものを否定した者は居なかった。
 武士と言うものが生まれる前夜のこの時代に於いて、(つわもの)とは、その出自(しゅつじ)に貴賎の差は有っても、実態は職業軍人では無く、その全ての者が農業経営者すなわち武装農民なのである。ごく単純化して言えば、(かん)である(ごく)少数の貴族が、(みん)である大多数の農耕者を支配し、その上前(うわまえ)()ねて豪華で(きら)びやかな生活と文化を維持していたのだ。それが平安時代と言うことになる。

 将門の坂東独立宣言に寄って、(わず)かだが、そこに一筋(ひとすじ)のひびが入った。この一筋のひびが広がって行くには、まだまだ時を要するが、時代の先駆けであったことは確かと言える。
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