第51話 北山の戦い 3 大軍崩壊

文字数 1,882文字

 将門が正面突破を試みようとしていると見た秀郷(ひでさと)は、補強の為、遊撃隊二百五十を軍中央に向けて放った。その一隊は、間も無く千晴(ちはる)隊の後方に着き、層を厚くする。
 長弓を持つ者が騎馬のまま容易に射ることが出来る範囲は、正面と左側のみである。流鏑馬(やぶさめ)などの余興として後ろに射たりするのを見ることは有るが、(ひね)った体の反対側がガラ空きになるので、(いくさ)で使える技では無い。射るのはやはり左側なのだ。

 その為、将門軍の標的になり易い右翼に、秀郷(ひでさと)は、信頼出来る戦力として、息子達を配していた。将門軍は、疾駆しながらも、正面と敵右翼に矢を放ち続け、その矢は風に乗って走った。
 その時、一直線に中央に向かって突進していた将門軍が突然右に方向を転じた。龍が大きくその首を右に振った。中央の千晴(ちはる)隊に、続いて貞盛(さだもり)隊に矢を射かけながら平行に進み、左翼端の為憲(ためのり)隊の守る辺り目掛けて突き進んで行く。
 まさか、自分たち目掛けて襲い掛って来るとは思っていなかった為憲(ためのり)隊の雑兵(ぞうひょう)達に動揺が走り、混乱する。
 直前まで、将門軍が放つ矢の雨に(さら)されていた為、正面及び右翼は、()ぐに動き出すことが出来なかった。
 突然、将門軍の驚異に曝された為憲(ためのり)の兵達は、何と、迎え入れるように将門軍が突き進む道を開けてしまった。雑兵達の心に、恐怖の裏返しとして『生きて帰りたい』と言う強い想いが、同時に沸き起こった結果である。
 そして、突き抜けた将門軍が反転して襲い掛かって来ることを恐れて、将門を追おうとする味方の軍の方に向かって逃げ始めたのだ。
 まず、貞盛(さだもり)隊と逃亡兵達の流れがぶつかり混乱する。遊撃隊、千晴(ちはる)隊は、それを避けて将門を追おうとするが、貞盛(さだもり)隊の中からも逃亡しようとする者が出始め、混乱が広がって千晴(ちはる)隊の行く手を阻む。
 そうしている間に、手斧(ておの)を振り回しながら将門が、混乱の中心を目掛けて突進して来た。
 迎え撃とうとした連合軍の騎馬武者が二人、三人と将門の手斧の餌食(えじき)となって落馬する。
 将門に続く郎等達も屈強で、次々と連合軍の兵達が倒されて行く。 

 貞盛(さだもり)は兵を励ましながら、混乱を潜って将門に近付こうとするが、近付けない。その中で、将門の郎等の何人かを倒し、将門に近付いて一撃を与えたのは、遊撃隊を率いる信濃国(しなののくに)佐久(さく)郷司(ごうし)望月三郎兼家(もちづきさぶろうかねいえ)だった。
 秀郷(ひでさと)とは以前から親交が有り、挙兵に際し、遥々駆け着けていたのだ。
 兼家は太刀(たち)で将門の(かぶと)を打ったが、落馬させる程の衝撃を与えるには至らなかった。しかし、将門の(かぶと)の向きがずれた。

 逃亡兵達が、今度は空いた北の方に向かって一目散に逃げ始めたのだが、その数は見る見る増えて、恐怖心が伝播したのか、千晴(ちはる)の隊や、千国(ちくに)千種(ちたね)千常(ちつね)の隊からも逃亡兵が出始める。もはや、陣を組み直すことは不可能な状態となった。 
 陣形を整える為の太鼓(たいこ)(かね)の音が空しく響き、声を枯らして叱咤する将達の叫び声も乱声に掻き消される。

 又も突き抜け、上りに掛かった辺りで、少し距離を取って陣を組み直した将門軍が、再び矢を放ち始めた時、連合軍は遂に崩壊した。殆どの兵が勝手に退却を始めたのだ。いや、将門軍の矢頃を逃れる為、一目散に逃げ始めたと言った方が正確だろう。

 混乱する連合軍を見下ろしながら、将門は兼家(かねいえ)の一撃に()りずれた(かぶと)を荒々しく脱ぎ捨てた。その動作が荒々し過ぎたのか、(かぶと)だけでなく、その下に(かぶ)っている折れ烏帽子(えぼし)まで脱げそうになった為、将門はそれも脱ぎ捨てた。
 戦場ならではのことで、平安の男に取って、人前で被り物を脱ぐなど日常では有り得ない行為だ。
 はずみで(もとどり)が切れ、(まげ)が崩れて髪が乱れ、大童(おおわらわ)となって垂れ下がる。
 郎等が代わりの兜を差し出そうとするのを、
()らぬ」
(さえぎ)り、将門は、
「者共、敵は混乱している。勝ち戦じゃ。命を惜しむな。掛かれ~!」
下知(げぢ)する。将門の言葉は天啓の如く郎等達の心に響いた。

 再び将門軍の突撃が始まった。解けた髪を振り乱して、やはり将門が先頭を切って迫って来る。
「うぬ。くそっ! 退()け~!」
と、(たま)らず秀郷(ひでさと)は退却命令を出した。このままでは、兵の殆どが逃亡して、二度と戻って来ない。もはや立て直すことは不可能と判断した結果だ。兵達は四散し、将と郎等達は秀郷(ひでさと)と合流する為に本陣を目指す。

 連合軍の各隊の将達は、悔しがりながらも撤収に掛かり、それを見た将門は、(かさ)に懸かって猛追撃を開始した。
「だから、言わぬことでは無い」
 敗走しようとする連合軍の中でそう漏らした維幾(これちか)を、秀郷(ひでさと)は一瞬キッと(にら)んだが、すぐに騎乗し逃走に掛かった。
「くそっ。くそっ!」
と叫びながら、秀聡(ひでさと)は駆けた。耳元を何本もの矢が(かす)めて行く。
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